第3話 ━発動━

落ちるぞ、落ちるぞ……。

 

そうして、僕はその音色を待ち望んだ。何度も聞いた馴染み深いあの音、あの頃にまた戻れたら……。どれだけ望んでも、祈っても、乞うても、過ぎ去った時間は巻き戻らない。どうやっても過去には戻れない……。

 

……

 

なんて間際にまで思っていた。だけれど、鳴らない。待てども暮らせども一向にそれは鳴る気配がない。屋上で震えながら立ち尽くしているこの瞬間も、残酷に時は経っていく。とっくに時刻は来ているはず。平日の朝なのに。

 

(——故障か?——時間割が変わったのか?)

(おかしいおかしい!)

 

良かったという安心感と死ねないという絶望、どうして鳴らないのかという疑問に包まれながら、それらに押し潰されるように倒れた。

僕は膨らませていた期待を「現実」という名の鋭すぎる針で無惨にも割られてしまった。

 

今までの自分にさよならをしたかったのに——。

 

人生は思い通りになんかならないというのは僕の今日までの体験からこの身をもって躾されているのだけれど、見捨てられるようながっかり感は簡単に慣れるものではない。ようやく肩の荷が下りると思ったら再びそれを背負う羽目になるとは。

ハァハァ。どうしてだ。もう起きてから五時間くらい、こんなにも待っている。綺麗とは言い難い屋上に大の字に横たわり、息荒くスリープモードのスマホを叩き起こし時刻を確認。

 

——8:20

 

丁度この校舎のチャイムが鳴る時刻である。まさに今。すました顔のようにも、嘲笑っているようにも見える綺麗な8:20の文字。

「はちじ にじゅっぷん!?」

この僕が思わず声を出した。それも外で。驚き、そして呆れる。思い残すことまみれでチャイムはそろそろだろうと確認したのは19分頃。紛れもなくその時、僕のスマホには「8:19」と表示されていた。もうそれからずっと待たされた。生死のふちで僕は馬鹿真面目に待っていた。体感的におそらく十五分は経っている。クロノスタシスどころではない。不可解がすぎる。この世界が間違っているのではないか?

 

残念。待ち望んでいた死への切符は売り切れでした。またのお越しをなんとやら——

疲れているのか……きっと、そうだよ。そう思いつつ現況にふてくされながら、いつも通りの無気力状態に帰ってきた僕は空を見上げた。

 

——鳥が二羽仲良く宙に静止している。

 

「は?」

僕はその一文字とともにお手本の様な二度見をした。しっかり目もこすった。それはホバリングとかではなく、ブレの無い写真のように動きが消失している。

ほら、見てくれ。鳥の羽の細部の模様までしっかりと目視で確認できる。その理屈がよく分からないが。


(えっ、なぁにこれ死後の世界?

——いやじゃあこの下に僕の死体がなきゃおかしくない?)


(じゃあ夢の中なのか?

——にしては感覚が鮮明では?)


(というか僕以外の時間止まってね?)

 

どういうことだ???

 

自分は動ける。それに感触もある。理解も説明も不能な体験に追いつかない頭を掻き回されつつもどこかワクワクしていた。

周りを見渡して気づく、車、通行人はもちろん、校庭の旗がシワを寄せたまま不自然に固着している。というかそれまで騒がしかったあの生徒たちの声が聞こえない、不思議なくらいの静寂、聴覚の機能が心配になるほどの無音である。

 

スマホの時計はまだ8:20。僕は確信する。

(そうか、ここは時の流れが止まった世界か。)

 

その景色を見た僕は奇跡が起きたかのように涙がこぼれた。心の何処かで待ち望んでいたのかもしれない。どれほど長い間待ちわびていたのか。かつてないほどの神秘的な体験に息をするのも忘れ、あれほど嫌いだった今までの自分の境遇は砂粒の様に感じた。

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