『新しき国』の王に会う『古き国』の女王

 視線を感じて上を向くと、何時になく青ざめた顔のレイが見える。


「ロボ、落ち着け。きょろきょろするな」


 ロボを注意するレイの声も、どことなくぼやけている。心を静めなければならないのは、レイの方だ。レイには常に嫌みを言われているような気がしているロボはこっそりと溜飲を下げると、落ち着いた歩みを見せる白く細い影の後ろを慎重に歩いた。


 ロボとレイで、男装をしたライラを挟んで、黄昏の光が窓から差し込む人気の無い石造りの廊下を歩く。この大陸を支配する新しき国の王宮なのに、こんなに静かで良いのだろうか。第四王子とその妹と共にこの廊下を歩いた時と同じ疑問が、ロボの心に渦巻いた。


「王の病に障らないように、人の出入りを最小限にしているそうだ」


 そのロボの疑問に答えるかのように、レイが小さく呟く。副都の太守の代理として、王を見舞う。それが、表向きのレイの役割。ロボとライラは、レイの従者として王宮に入っている。そして、三人の本当の目的は。


「ライラを、頼むぞ」


 廃城を出る間際、ロボの腕を掴んで悔しそうに言ったルージャの言葉が、脳裏を過ぎる。三人は、ライラが先に希望した「古き国に対する王の誤解を解く」為に、この場所に、新しき国の王が住まう王都の王宮にいる。どんなことがあっても、ライラだけは、守らなければ。それが、ルージャに対するロボの義理。


 そういえば。


「ラウドを、待たなくて良いのか?」


 ロボではなくラウドを、ライラの護衛にすべきだと暗に示すルージャの言葉に、レイは首を横に振っていた。何故レイは、ラウドや他の古き国の騎士ではなく自分を、ライラの護衛に選んだのだろうか? ラウドと一緒に飛ばされた過去から帰って来たロボを間髪も入れず捕まえてまで。ロボはこっそりと首を傾げた。ある意味気まぐれに未来へと飛んでくるラウドの登場に、信頼性が無いからだろうか? それとも、かつての新しき国の王、統一の獅子王レーヴェを、そして自身と母を追い出した新しき国全体を、ラウドが心から憎んでいることを、レイが考慮したからだろうか。


 ロボがそんなことを考えている間に、目的地に辿り着いたらしい。


「ここだ」


 見覚えのある小さな扉の前で、レイが止まる。


「私が外を見張る。ロボは、ライラを頼む」


 信頼したわけではない。その言葉が滲むレイの顔に、口をへの字にしたまま頷く。裏切ったのは、ロボの方だから、レイの疑いが晴れないのは、分かっている。だが。……ライラを害することは、絶対にしない。それだけは、レイにも分かって欲しい。だからロボは、心の中でレイに舌を出すと、ライラの後に付いて部屋の中に入った。


 前に第四王子達と訪れた時と同じく、その部屋は王が伏している部屋にしては狭く、薬草の匂いとは違う香の匂いが漂っていた。しかし暗い部屋の真ん中には確かに、前と同じように豪奢なベッドが設えられている。何も言えなくなったロボの前で、ライラはしっかりとした足取りでベッドに近づくと、ベッドの周りに垂れている薄い帳を静かに開いた。


「獅子王陛下」


 静かな声が、響く。身動ぎした王の、痩せた身体が、ライラを見た瞬間跳ね上がるように飛び起きたのを、ロボははっきりと見た。


「静かに。何もしません」


 僅かに声を上げかけた王を制そうと飛び出しかけたロボを、ライラの左腕が止める。震えながら傍らに置いてあった剣を抜く王の動作を静かな瞳で見詰めから、ライラはゆっくりと右手を上着に掛け、一呼吸で獅子の痣がある左肩を露出させた。


「この痣を、見て下さい、王」


 剣の切っ先を向けられても、それでも恐れることなく、ライラが言葉を紡ぐ。その横にいたロボは、緊張と恐怖で震えていた。


「私は、古き国の女王の血と共に、新しき国の王の血をも受けています」


 不意に、切っ先が消え、王の落ちくぼんだ瞳がライラとロボの前に現れる。見開かれた蒼い瞳が恐ろしく感じられ、ロボはごくんと唾を飲み込んだ。


 と、その時。


「何故あなたがここに居るのですか?」


 聞き知った、というより聞きたくない声が、扉の向こうに響く。第三王子! こんな時に! ロボは扉の方を振り向き、唇を噛み締めた。この部屋の出入り口は、扉と窓のみ。窓から、ライラを抱えて逃げることができるか? ロボがそこまで思案した、丁度その時。


「ベッドの下に、抜け道がある」


 ざらざらした、しかししっかりとした声が、耳を打つ。窶れてはいるが、それでも優しげに微笑む王の顔が、ロボとライラの前にあった。


「ありがとうございます。獅子王陛下」


 丁寧に頭を下げるライラの横で、床に腹ばいになる。確かに、ベッドの下に、大人一人が通り抜けられそうな螺旋階段があった。


「ライラ!」


 急いで、ライラの上着の裾を強く引く。すぐに、服を直したライラの影がロボの横に現れ、そして何も言わずに螺旋階段を降りて行った。そのライラの後から螺旋階段を降りる。螺旋階段の先は、少し湿った石畳の部屋だった。


「ここで待ってて。逃げられるか見てくる」


 ライラにそう言い置いて、部屋の出口を少しだけ開ける。先程通り抜けた王宮の『表』と呼ばれる場所の風景が、確かに見えた。これならば。大丈夫だ。後は、王宮の正門まで行くことができれば。


「逃げられそうね」


 レイは、大丈夫かしら? いつの間にかロボの傍に立っていたライラが、気遣わしげに呟く。柔らかいライラの香りが、ロボの鼻腔をくすぐった。


「い、行きましょう」


 どきまきしながら、ライラの手を取る。そしてそのまま、ロボは部屋の外へと出た。


 だが。

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