第三王子の欺瞞

 そしてそのまま、日が暮れるのも構わず、副都を出る。道が暗いのも、街道の両脇に広がる森の木々がかさかさと不吉な音を立てるのも気にせず、ロボは幼い頃暮らした家への道を、もう二度と帰らないと思っていた道を、ひたすら速歩で、歩いた。


 どのくらい、無我夢中で歩いただろうか? 思い出を刺激する、橄欖と葡萄の木が両脇に広がる道の真ん中で、ロボはふと立ち止まった。


「早かったですね」


 背後からの声に、振り向く。次の瞬間。降ってきた剣の切っ先を、ロボは本能のままに躱した。


「ちっ」


 再び、鋭い切っ先がロボに襲いかかる。今度は避けきれず、ロボは右肩先の痛みと共に地面に尻餅をついた。遅く出てきた月が、血に濡れた切っ先と、それをロボに向ける人物の姿を浮かび上がらせる。


「第三王子」


 何故こいつが、ここに? 王都に居るはずではなかったのか。そこまで考えたロボの鼻先に剣の切っ先が突きつけられる。自分の血の匂いが鼻腔に広がり、ロボは思わず顔を顰めた。同時に感じたのは、逃れられないほどの、冷たい恐怖。


「さて、どう料理しましょうかね」


 前に聞いたのと同じ、色の無い声が、ロボの全身を震わせる。この人は、自分が当たり前だと思っていることを当たり前にやっているだけなのだ。その認識が、ロボを動けなくさせていた。鼻先から首筋に、血に濡れた切っ先が動く。この切っ先が何時、自分を貫くのか。息を呑んで、ロボはただ、月光に妖しく光る剣を見詰める他、無かった。


「さて」


 その切っ先が、ロボから急に離れる。いよいよだ。ロボはぎゅっと目を瞑った。次の瞬間。派手な金属音が、ロボの耳を叩く。驚いて目を開けると、ロボの前に胸だけを覆う革鎧を纏った小柄な影が剣を構えて立っていた。革鎧の下の赤い制服の裾が、不意の風に翻るのが見える。この人は。


「ラ、ラウド?」


 信じられない思いで、ロボに背を向けて第三王子の剣を留めている人物の名を呼ぶ。ラウドはロボの声に反応せず、ただじっと、第三王子の剣を掲げた剣で留めていた。どのくらい、時が止まっていただろうか。


「邪魔!」


 微かな怒気の混じった声と共に、第三王子が飛び下がる。そしてすぐに上から降りてきた剣を、ラウドはその場所から動かず冷静に受け止めた。上から、左右から、そして下から次々と、第三王子は、その大柄な上に重い板金鎧まで着けている身体もその筋肉質の腕が繰り出す幅広の剣も幻かと思えるほどに軽々と動き、ラウドを襲う。だがラウドは、背にロボを庇ったままその場を動かず、ただ静かに、襲い来る攻撃を全て受け止め、そして流した。第三王子の動きは華麗で激しく、そしてラウドの防御はその小柄な身体に拘わらず重厚で、そして正確だった。


「下がれ。這ってでも」


 不意に、ラウドの呟くような声が、ロボの耳を打つ。その声で我に帰ったロボは、何とか手足を動かし、尻餅をついたまま少しずつじりじりと後退った。次の瞬間、飛び上がるように攻撃してきた第三王子の剣を、ラウドはしゃがむように身を捻って躱す。そして無防備になった第三王子の板金鎧を着けていない首筋に、手にしていた剣を無造作に叩き込んだ。


「やった」


 思わず、歓声を上げる。だが素早さは、第三王子の方が一枚上手だった。ラウドの攻撃を、身を捻って躱したのだ。だが何処かに怪我はしたらしい。第三王子の剣が地面に突き刺さると同時に、血の匂いが一気に濃くなった。


「この」


 ラウドを睨む第三王子の瞳が、月の光で黄色く濁る。次の瞬間。第三王子は身を縮めた状態のまま、その身体をバネにしてロボの方へと飛び込んだ。その第三王子の右手には、短剣の鋭い光が見える。


「なっ」


 突然のことに、動けない。ロボは身を固くして目を閉じることしかできなかった。だが。……血の匂いは近くにあるが、痛みは、来ない。ロボはそろそろと目を開け、そして瞠目した。ロボの前にはラウドが居た。そのラウドの腹の辺りに、第三王子の胸と腕がある。


「ラウド!」


 第三王子が離れると同時に、腹に手を当てて地面に膝をついたラウドに、思わず声を上げる。呻き声も上げず倒れるラウドをにやりと笑うと、第三王子はその嫌な笑みのまま、血に濡れた短剣をロボの方へと向けた。


「確かこいつにも、『獅子の痣』がありましたね」


 小さく身を捩るラウドの身体に唾を吐き、第三王子が大きく笑う。


「もっと苦しんで死ぬように、もう少し下の方を刺せば良かった」


 その言葉に、怒りと悲しみと恐怖が一瞬にしてロボの身体を支配する。動けない。徐にロボの方へと向かってくる切っ先をロボはただ呆然と見詰めて、いた。


 と。

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