再び、子供と出会う
それからすぐに。ロボはレイの命令で、廃城の地下から外へ出された。
「副都近隣の隠里に、手紙を届けて欲しい。それくらいできるだろう」
上から降ってくるレイの言葉は、いつもより更に傲岸に聞こえる。ライラやルージャ、そしてラウドには申し訳無いが、逃げてしまおうか。そう考えてしまったほどだ。だが勿論、ロボの逃走対策に関しては、レイに抜かりは無かった。
「これを持っていろ」
ラウドがかつてロボに見せた物と全く同じ、灰色の平たい金属片を渡される。『記録片』と呼ばれるこの欠片には、ラウドが言っていた「『飛ぶ』能力を封じる力」以外に、持つ者の言動を全て、リヒトが管理する図書室の本の中に記録する力が有るという。
「なるほどね。ロボの行動は全てリヒトがお見通し、ってわけか」
記録片をまじまじと見詰めるロボの横で、ルージャが呟く。
「捨ててもリヒトがすぐに気付く」
「そういうことだ」
あくまで冷たいレイの言葉が、ロボの気持ちを沈ませた。
「裏切りの理由は、ラウドから聞いている。だが私は、君を許すわけにはいかないんだ、ロボ」
「はい」
レイの立場は、理解しているつもりだ。だからロボは、冷たいレイの言葉にただ頷くしかなかった。
そして。
「第三王子の件は、今のところ心配無い」
レイが、ロボの心配を先回りする。
「あいつはまだ王都に留まっているそうだ」
それならば、第三王子の件だけは大丈夫だ。ロボは半分以上ほっとしていた。
暖かくなった道を、ずんずんと歩く。久し振りの外は、ロボが思っていたよりも明るく、そして美しかった。草木の揺れる音も、鳥の囀りも、ずいぶん懐かしく聞こえる。歩いている内に、ロボの心はだいぶん軽くなった。勿論、裏切りの件も、第三王子の件も、古き国の件も王に対する呪いの件も、心に引っかかっていることに変わりはないが。何が本当で、何が嘘なのか、混乱する今のロボには判断できない。判断できないことが不安になり、ロボは思わず身を震わせた。
その、帰り道。
〈……おや〉
木々の間から聞こえてきた、変わった音に、耳を澄ませる。風も無いのに、木の枝が他の枝にぶつかっているような音が聞こえてきていた。この、音は、誰かが一人で木剣を枝に打ち付けて訓練している音だ。ロボも昔、誰も剣の稽古の相手をしてくれなかったので、一人で立木を打っていたことがある。聞こえてくる音に昔の自分を重ね合わせてしまい、ロボの足は知らず知らずのうちに音の方へと向かっていた。
「あ」
すぐ側に来て、立木打ちをしているのが前にロボが怪我をさせた子供だと気付く。子供に気付かれる前に立ち去った方が良いだろうか? ロボの思案はしかしすぐに、子供が打っていた、低いところに生えている枝が大きく傾ぐ姿に掻き消された。
「危ない!」
折れた枝が子供の上に落ちるより一瞬早く、子供を抱きかかえて遠くへ飛ぶ。尻餅をついて呻いてから腕の中を見ると、灰色の服を着た子供が怯えた瞳でロボを見ていた。何故、怯えているのだろうか? しかしロボが疑問を口にするより先に、子供の身体の震えは止まっていた。
「あ、あの、ありがとう、ございます」
ロボの膝の上でこくんと頭を下げた子供に、にこりと笑う。子供の礼儀正しさに、ロボは好感を持った。だから、と言うわけではないのだが。
「一人で、訓練していたのか? 枝が折れるまで」
思わず、子供にそう問う。ロボの質問に、子供は濃い色の髪を揺らして頷いた。
「相手をしてくれる人は、いないのか?」
「います。……けど」
人間は、怖い。小さな声が、耳を打つ。育ててくれている義父のように強く優しい武人になりたいけど、人を傷付けるのは、怖い。囁くように、子供はそう、口にした。そう言えば。ある思考が脳裏を過ぎる。ロボ自身も、まだ人を殺したことは無い。騎士を目指しているのだから、いつかは人を殺さないといけなくなる日が来るのだろう。そのことは、理解してはいるのだが、実感が、全く湧かない。騎士見習いとして、常に腰に鋭利な剣を佩いているにも拘わらず、である。いや、腰の剣自体、抜いたことは、皆無。訓練で怪我をさせることと、殺すことは、全く方向性が違うこと。ラウドが首を刎ねた友人のことを唐突に思い出し、ロボは無意識のうちに首を横に振った。
「大丈夫さ」
子供に、というより自分に言い聞かせるように、声に出す。ロボの根拠の無い言葉に、それでも子供はこくんと頷いた。
「そう言えば、名前は?」
子供を膝から下ろしながら、尋ねる。
「ラウド、といいます」
子供の答えに、ロボは口をあんぐりと開け、目の前の子供をまじまじと見つめ直した。確かに、髪の色と、瞳の色は、ラウドだ。だが、あの不敵な笑みは、どこから来るのだろうか? どちらかというと、王都へ行く時に出会い、女王のことで喧嘩をしたロボと同い年くらいの――ラウド本人に尋ねたところ、あの時の年齢はロボより二つ年上だったそうだが――ラウドに近い気がする。……と、すると、やはりこの子供はラウドなのだろう。ラウドは、古き国の騎士達が持っている『時空を飛ぶ』力を強く引き継いでいるとルージャも、ラウド自身も言っていた。ロボは記録片を持っているから、ラウドの方が時空を飛んでしまったのだろう。ロボが子供と出会った時に、子供が怯えているように見えたことも、説明がつく。新しき国の白と青の制服を着ているロボを、不当な理由で新しき国から追い出され、古き国の騎士になる為に頑張っているこのちびラウドは『敵』だと認識したのだろう。それはともかく。不意に聞こえてきた微かな濁声に、はっとして子供を抱え茂みの影に隠れる。何処かで見たことのあるような、新しき国の騎士の制服を着た大柄な騎士が三人、ロボと子供のすぐ脇を笑いながら通り過ぎた。
〈危ないな〉
第三王子のことが脳裏に浮かぶ。このラウドも勿論、獅子の痣を持っている。もし第三王子がこの子供を見つけたら、子供だということで大人のラウドや自分よりも操りやすいと判断して、第三王子が自分の良いように扱うだろうということは火を見るより明らかだ。だから。
「あのさ」
ポケットの中の記録片を子供に見せる。
「誰か保護者にこれと同じ物を貰って、なるべく他の人と一緒に居た方が良い」
ロボの言葉に、ラウドはきょとんとしてロボを見た。
「何故ですか?」
「獅子の痣を持っている人間を掠って、自分の欲望を果たそうとする奴が居るんだ」
ロボの言葉に、ラウドは目を丸くし、そして自分の左肩に触れて悲しげに首を横に振った。
「この痣。……やっぱり、みんなに迷惑を掛けてる」
何故か泣き崩れたラウドの小さな身体を、抱き締めて支える。
「僕は、居ない方が良かったのかな」
聞こえてきた小さな声に、ロボはぎゅっと唇を歪めた。ラウドの気持ちは、分かるつもりだ。従兄弟達に虐められる度に、ロボも何度か消えてしまいたいと思い、そしてそのうちの何度かは実際に家出をした。家出をしたり、物陰に隠れたりする度に、探し回ってくれた母の安堵の表情と額に浮いた汗を思い出し、ロボは俯いてしくしく泣くラウドと同じ目線にまでしゃがむと、ラウドの小さな肩を強く掴んだ。
「そんなこと、誰にも言うな」
ロボの言葉に、ラウドが顔を上げる。今にも消えそうなその小さな身体に、ロボははっきりとした声をぶつけた。
「お母さんが悲しむぞ。居るんだろ、お母さん」
前にラウドが話してくれた、大怪我をしたラウドを抱き締めて泣いたラウドの母の話を思い出す。ロボの気持ちが通じたのか、ラウドは泣き止もうと目をぎゅっと閉じ、そして再びロボを濡れた瞳で見詰めた。
「うん」
小さな声が、響く。もう、大丈夫だろう。ロボはほっと胸を撫で下ろすと、小さなラウドを勇気付ける言葉を口にした。
「いつかさ、大きくなった時に、ラウドにしか救えない命があるんだ」
「え」
半信半疑の表情をしたラウドに、にこりと笑う。ラウドが居なければ、ロボは子供の時にあの黒い靄――おそらく『悪しきモノ』だったのだろうと今では判断できる――に捕らわれて命を落としていた。しかしそのことは言わず、ロボはちびラウドの、傷一つ無い左手を優しく掴みながらもう一つの事実を口にした。
「大丈夫さ。そのうち途方も無く強くなる。古き国の狼団の団長になるんだから」
「う、嘘だぁ」
古き国の騎士は、雲の上にいるような立派な人たちばかりなのに。ラウドの否定に笑ってしまう。未来をばらすことでリヒトに怒られるかもしれないな。何となく、ロボはそう思った。しかし、それでこの小さなラウドが笑ってくれれば、それで良い。
「だから、もう、『自分なんて居ない方が良い』なんて言うな。約束だ」
「う、うん」
ロボの言葉に、ラウドがこくんと頷くのが、ロボには嬉しかった。
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