『古き国』の女王の決意

「新しき国の王様と、お話ができないかしら」


 不意のライラの言葉に、図書室全体が凍り付く。リヒトの横で出納簿の計算をしていたロボの手から羽根ペンが転がり落ち、羊皮紙に黒い染みを付けた。


 古き国の廃城の地下に留め置かれたままのロボは、図書室でリヒトの手伝いをして過ごしていた。ロボの横には、足の骨折がまだ治りきっていないルージャが、書類作成は苦手だとばかりに髪の毛を逆立てて羊皮紙に向かっている。そしてその横には、古き国の赤いローブを着たライラが、ロボとルージャの様子を楽しそうに見物していた。許可が無い限り図書室から一歩も出てはいけないとレイから厳命されている。ロボの裏切りを、レイは許す気が無いようだ。そのことが、ロボには悲しく、しかし当然だと思っていた。それはともかく。


「ま、また唐突に、何を、ライラ」


 羊皮紙から顔を上げたルージャが、戸惑ったようにライラを見る。ルージャの向こうのライラの顔は、真剣そのものだった。


「誤解を、解きたい。そう思ったの。レイや、古き国に協力してくれている人々の為に」


 歴代の古き国の女王の中には、強力な呪いの力を持つ者も確かに居た。だが、現在の古き国の女王であるライラが持っている力は、古き国の騎士に『悪しきモノ』を封じる能力を授けることができる力と、病気や怪我を治癒する力、そして絶対に使わないと宣言している『敵対する者の存在を消す力』のみ。人を呪う力や、ましてや病気にする力は、ライラには無い。歴史書における古き国の最後の女王であるリュスが、歴代の女王が使っていた呪いの力の殆どを解除したと、これは確かラウドが言っていた。ラウドの言葉にどのくらいの信頼性があるか、ロボには判断できない。だが、ライラの「呪いは使っていない」という言葉は信頼したい。それが、現在のロボの心の中だった。


「ライラの考えは、分かるけど」


 一方、リヒトはあくまで冷静だった。


「ライラの言葉を、王が信じてくれるかどうか」


「それは、やってみないと分からないわ」


 しっかりとしたライラの言葉に、リヒトは少しだけ黙り、そして再び口を開いた。


「第一、新しき国の王宮にどうやって侵入するの? 新しき国の王が造った場所だから、あの都には古き国の抜け道は無いよ」


 リヒトの言葉に、今度はライラが黙る番だった。


「レイに頼めば、良いんじゃないかな」


 そのライラに、ルージャが助け船を出す。


「聞き入れてくれるかどうかは、分かんないけどさ」


「そうね」


 ルージャの言葉に、ライラは小さく頷いた。


「レイとリールさんの間にある誤解も、解きたいし」


 折角の幼馴染みなのに。小さく呟かれたライラの言葉が、ロボの胸に優しく引っかかる。確かに、リール団長のレイに対するあの冷淡な態度は、度が過ぎている。二人の間を何とかしたいというライラの気持ちに、ロボは全面的に賛成した。あの二人は、もう少し互いに優しくできるはずなのだ。そして。


「第三王子のこともだけど、古き国の為に、障壁はなるべく減らしたいの」


 第三王子。ライラの口から出た単語に、背筋が震えるのを感じる。母を捕らえ、古き国の隠里の老若男女を処刑しようとし、利用する為か嗜虐する為かは分からないが獅子の痣を持つラウドを苦しめた。その悪辣さが野放しのままであることが、ロボには恐ろしく感じられた。


「なるほど」


 ロボの震えの横で、ルージャがライラの言葉に頷き、そしてにやりと笑う。


「第三王子の件より、王の気苦労を減らす方が簡単かもしれないな」


 ルージャの言葉に、リヒトが呆れた笑いを浮かべるのが見えた。


 その時。


「計算は終わったのか?」


 鋭い声が、図書室を再び凍らせる。声の方を見ずとも、レイが図書室に入ってきたことは手に取るように分かった。


「レイ、王都に潜入する伝は、無いかしら?」


 間髪を入れず、ライラがレイに問う。


「何をする気ですか、女王陛下」


「新しき国の王と、話がしたいの」


 真剣な面持ちのライラに、レイの額の縦皺が一本増える。


「何故ですか?」


「古き国と、古き国の存続に力を貸してくれる人々が危機に晒される可能性を、減らせると思うの」


 レイに対するライラの解答は、女王としての威厳と慈悲に満ちていた。


 しばらく、沈黙が流れる。


「分かりました」


 不意にレイが腰を落とし、ライラの前に跪いた。


「御意のままに、女王陛下」


「ありがとう」


 優しげに微笑んだライラを、ロボは眩しく見詰めていた。

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