二人の母の物語

「ラウド!」


「大丈夫だ」


 明らかに無理をした笑みを浮かべ、ラウドが頷く。


「レイが来るまで、しばらく休むから」


 異変に気付いて走り寄ってきた隠里の若者達にそう言うと、ラウドはロボの腕を掴み、半ば強引に自分の横に座らせた。


「……お母さんの、話をして」


 若者達が去り、抜け道に二人だけになると、ラウドはロボに寄りかかり、静かにそう言った。そんなこと、言われても。身体に触れるラウドの身体の熱さよりも、ラウドの要望に対する戸惑いが、ロボの口を塞ぐ。何から話して良いのか、分からない。


「俺の母はね、ロボ、新しき国の王に仕える男装の近衛騎士だったんだ」


 そのロボの戸惑いには全く構わず、ラウドはそっと目を閉じ、小さな声で話し始めた。新しき国の近衛騎士だった母親が、当時の獅子王の愛を受けてラウドが生まれたこと。母が男の子を産んだことが獅子王の正妃の怒りに触れ、母はお腹の中に妹を身籠もったまま、ラウドと共に王宮を追い出されたこと。それでも母は冷静で、亡くなるまで恨み言一つ吐かなかったこと。そして。ラウドが幼い時に大怪我で生死の境を彷徨った時、目を覚ましたラウドを抱き締めて一度だけ大泣きをしたこと。


「母が泣いたのを見たのは、その一度だけなんだ。それ以外は、本当に冷静で、冷徹と言っても良いくらいだった」


 静かで、それでいて何処か懐かしさを含んだラウドの声に、ロボはそっと、触れているラウドの手を握った。そのロボの手を、空いている方の手でラウドが軽く叩く。


「次はロボのお母さんの話を聞かせて」


「はい」


 ロボの母は、統一の獅子王レーヴェに下賜された荒野を開拓した新しき国の騎士の子孫。末っ子だった母は持参金が容易に用意できなかった為に中々結婚することができず、家のことを手伝っている時に現れた、敵であるはずの古き国の者を助けようとした新しき国の騎士に一目惚れをし、その結果ロボが生まれたという。父の分からない子を産んだことで非難された時期もあったが、今では、領内に植わっている葡萄と橄欖に詳しく、しかも計算の上手である為誰も母には頭が上がらないこと。そして、騎士ではなく、計算や書類を扱う文官になることが、ロボに対する母の希望だったこと。思いつくままに、ロボはラウドに話した。


「そうか」


 ロボの話を聞いたラウドが、静かに息を吐く。


「大切な、たった一人の身内なんだね」


 ラウドの言葉に、涙が零れる。その母が、あの残酷な第三王子に捕まっている。酷いことをされてはいないだろうか? 心が急いて、ロボは無意識に腰を上げた。


「焦っては、いけない」


 そのロボを、ラウドが再び座らせる。


「闇雲では、助けられるものも助けられない」


 ラウドの冷静さと的確なリーダーシップは、母親の躾の賜だろう。ロボは何となくそう、思った。


 と。


「ラウド!」


 甲高い声が、狭い空間を震わせる。見上げると、怒りに歪んだレイの顔が、ロボの全身を凍らせた。そうだ、自分は、……古き国を、この人を、裏切った。レイが振る、何故かゆっくりと近づいてくる鋭い切っ先を、ロボは諦めと共に見詰めていた。次の瞬間。


「レイ!」


 大音声と共に、切っ先がロボの視界から消える。ロボの目の前には、ラウドの小柄だがしっかりとした背中があった。


「話を聞け! ロボは、第三王子に捕らわれた母親を助ける為に、隠里の場所を……」


 それだけ呟いたラウドの身体が、ゆっくりと傾ぐ。慌てて受け止めたラウドの身体の冷たさに、ロボは思わずラウドを抱き締めた。


「ラウド!」


 おそらくレイの剣を止める時に傷付いたのであろう、ロボが貸した青いマントに、一筋の赤く濡れた模様がじわじわと表れている。自分は、どうなっても構わない。しかしラウドは。皆を、ロボを助けてくれたラウドは、助けなければ。


 きっと眦を上げて、レイを見る。レイはロボを睨み返すと、剣を鞘に収めてラウドのぐったりした小柄な身体を抱き上げた。


「ルージャと一緒に馬車で副都へ連れて帰る。お前も一緒に来い」


 ロボに背を向けたレイの言葉に、ロボは大きく息を吐いた。

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