ロボを放置する騎士

 ロボが護衛として仕えることとなった第四王子は、まだ子供だった。


「兄様の屋敷から出てはいけないなんて、つまらない」


 古き国の女王の呪いに触れないようにという配慮からか、それとも第三王子の残酷な手に掛からないようにする為か、行動に制限が加えられている第四王子を屋敷の中庭に連れて行き、ルージャに教えて貰った石投げを教えるのが、いつの間にかロボの日課になっていた。


 そう言えば、ルージャの怪我は大丈夫だっただろうか? ふと、そんなことを、思う。ライラがいれば、すぐに治してくれるのだが。確かラウドはそう、ぼやいていたが。ライラは女王の呪いを使っていないだろう。確信というか、信頼というか、とにかくそういう想いをロボは持っている。恐れるべきは、『悪しきモノ』に深く魅入られているにも拘わらずラウドが「手を下せない」と悔しがっていた第三王子の方。それが、ロボの現時点での判断。幸い、第三王子は副都近くの自分の領地にいるらしい。護衛としては、楽な仕事だ。ロボはそう感じ始めていた。


 そんな、ある日のこと。ロボは第一王子に頼まれて、王都の近郊に使いとして行くことになった。


「第三王子は自分の領地に引き籠もっているようだから、大丈夫だろう」


 近隣を守護する騎士団に渡す手紙をロボに託しながら、第一王子クロードはそれでも心配そうにロボを見る。聞くところによると、第一王子の側でも、仕えている騎士の数が足りないのだそうだ。


「王の警護に駆り出されているというのもあるが……」


 眉を顰めながらの第一王子の言葉に、耳を欹てる。噂によると、隣国との国境沿いを守るという名目で、正妃が騎士達を集めているという。そんなに自分の息子を王にしたいのか。小さく呟かれた第一王子の言葉に、ロボは小さく息を吐いた。権謀術数は、分からない。でも何処か悲しく思える。仕えている、というより一緒になって遊んでいる第四王子のことは好きだが、やはり、王都は、怖い。副都に、帰りたい。そう思いながら、ロボは暖かい春の日差しの中を歩いた。


「……そうだ」


 その、帰り道。不意に、古き国の隠里へ行ってみようと考える。古き国と呪いのこと、『悪しきモノ』のことは、今もロボの脳裏にきちんとある。特に『悪しきモノ』のことは、幾ら忘れようと思っても脳裏から離れてくれない。それでも、ルージャの怪我のことが気になり、ロボは覚えている道を速歩で駆け上った。少しだけ様子を見て、すぐに帰れば、夕方の閉門時間に間に合うだろう。だが。


「……あれ?」


 道を上がった、木々の間には、何も見えない。人が住んでいる気配すら無い。道を間違えたか? ロボは首を傾げ、そしてくるりと来た道を引き返そうとした。と、その時。


「うわっ!」


 突然現れた、小柄な影にぶつかりそうになる。色褪せた赤い上着を着たその小柄な影の方が大きく一歩後ろに下がったので、ロボは蹌踉けるだけで済んだ。誰だ、いきなり。これまで気配すら無かった場所に人が現れたことに驚きつつ、ロボは腰の剣の柄に手を掛けて前を見た。


「……ラウド?」


 ロボの前で、腰を落として剣の柄に手を掛けている人物を、まじまじと見詰める。肩で揺れる濃い色の髪、灰色の瞳、そして赤と黒の古き国の制服に隙の無い構え。これがラウド以外の誰であろうか。


「ラウド!」


 驚いたようなロボの大声に、しかしラウドは警戒の視線を崩さなかった。


「ラウド?」


 もう一度、彼の名を呼ぶ。ラウドは警戒を崩さずにロボを不審そうな瞳で見詰めると、小さな声で言った。


「誰だ?」


 その言葉で、思い出す。ラウドは、統一の獅子王レーヴェが滅ぼした古き国の最後の女王リュスに仕える古き国の騎士。百年ほど前の人物だ。そして。古き国の騎士達が持つ、時空を飛んで過去や未来の、自分に関連する人物のところに現れる『能力』を、ラウドは強く受け継いでいる。確かルージャがそう言っていたはずだ。と、すると、このラウドは、現在のロボとまだきちんと知り合っていない――王都に向かう途中の邂逅では、互いに名乗ることすらできなかった――時点のラウド、なのだろう。しかしどうすれば警戒を解いてくれるのか。新しき国の騎士であることを示す、白と青の制服を身に着けているロボが味方であると、このラウドに信じさせる方法は、有るのか? ぴりぴりした空気に耐えられなくなり、ロボは途方に暮れた。


〈……そうだ〉


 有るではないか。自分が味方であると示す物が。ロボは素早くポケットに手を入れ、ライラから貰った方の椿の留め金を手探りだけで取り出してラウドの方へ高く掲げた。


「それは」


 春の陽に光る留め金に、警戒した空気が一気に緩む。


「古き国の騎士団の留め金。そうすると。……いや」


 急に、ラウドが上着の裾を強く引く。すぐに、ラウドの掌の上に、平べったい灰色の金属片が現れた。


「俺は『記録片』を持っているから、……おそらく君が飛ばされたんだね」


 そう言って、ラウドは初めてにこりと笑った。


「脅かして済まなかった」


「いえ」


 改めて、ラウドをまじまじと見詰める。上着もマントも色褪せているが、マントを留めている二つの留め金――椿を模した銀の留め金と、狼を象った金の留め金――は、春の陽を浴びて眩しく光っていた。


「こんな山奥に何の用があって?」


「いえ、ちょっと」


 「飛ばされた」。ラウドが告げた言葉に、実はロボは戸惑っていた。古き国の見習いになったから、自分にも『飛ぶ』能力が身に付いてしまったのだろうか? そうすると、これからも、ラウドがしばしばロボやルージャの時代に「飛んで」来るように、自分も何度も過去へ、知らない空間へと飛ばされてしまうのだろうか? 深い不安に囚われ、ロボは思わず下を向いた。


「大丈夫さ」


 不意に、背中が軽く叩かれる。顔を上げると、ラウドが例の不敵な笑みを浮かべているのが見えた。


「元の時代に戻ったら、誰かにこれと同じ物を貰うと良い」


 掌に乗っている、先程『記録片』と呼んでいた平べったい金属片を示し、ラウドが言う。この『記録片』は、古き国の騎士達が過去や未来へ飛ばないようにする重しの役目をするらしい。


「ま、俺には身に付かないから、すぐ飛ばされるんだけど」


 半ば諦めたように笑うラウドに、ロボも思わず笑顔になった。


 と。


「……長居しすぎた」


 ラウドの顔が一瞬で引き締まる。次の瞬間、ラウドは腰の剣を抜くなり、飛び出してきた青いマントを纏った影を一閃で斬り捨てた。


「逃げろっ!」


 ロボに向かってそう言い捨てたラウドの剣が、横から飛び込んできた幅広の剣を留める。と同時に、反対側からラウドを襲ってきたもう一本の剣を、ラウドは左腕で、正確には左手首から発せられた光の盾で留めていた。だが左右からの攻撃に阻まれ、ラウドの背面から迫ってくる三本目の剣を躱す術が無い。それを見て取ったロボはとっさに地面の石を拾い、今にもラウドの背を刺しそうな青いマントの騎士に向かって投げつけた。予定に無かったロボが投げた石に、騎士が怯む。その間に左右にいた白と青の制服を身に着けた敵を倒したラウドが、怯んだ騎士の喉に剣を突き立てた。


「相変わらず冷徹だな」


 不意に、ロボの身体が持ち上がる。太い腕に背後から羽交い締めにされていることにロボが気付いたのは、ロボの方を見たラウドの顔色が変わってからだった。


「レーヴェ!」


 明らかに怒気を含んだラウドの声に、はっとして身を捩らせる。ロボを拘束しているこの人が、ラウドが唯一憎んでいる人物、統一の獅子王レーヴェなのか? しかし見上げても、見えたのは風に揺れる黄金の髪だけだった。


「そいつを放せ! そいつは関係無い!」


「俺の部下に石を投げた奴の何処が『関係無い』だ?」


 剣を構えるラウドに、鼻で笑うような声が響く。そして。


「ラウド、お前が私のものになるのなら、こいつを放してやっても良い」


 レーヴェの威圧的な言葉に、ラウドは肩を落として下を向いた。ラウドが、屈するのだろうか。息ができなくなり、ロボはただ、俯くラウドを見詰めた。だが。


「勝手にすればいい」


 顔を上げたラウドが発した冷徹な言葉が、ロボの心を突き飛ばす。


「服装を見れば分かるだろ。そいつは、新しき国の騎士。勝手に俺を助けたに過ぎない」


 頭の中が、真っ白になる。ロボを羽交い締めにしていたレーヴェの腕が緩んだことも、その為にロボの足が地面に着いていることにも、ロボはしばらく気付かなかった。次の瞬間。


「走れっ!」


 強い声が、ロボの耳を引っぱたく。その声のままに、ロボの足は地面を蹴り、近くの茂みへと飛び込んでいた。剣が激しく打ち合う音が、背後に遠く響く。不意に世界が回り、ロボの身体は地面に激突した。


 どのくらい、倒れていただろうか。気が付くと、辺りは既に夕方の光に包まれていた。呆然とした心のまま、とぼとぼと帰路につく。暗闇の中で辿り着いた、周りより一際明るい第一王子の屋敷で、ようやく顔見知りになった家令や従者達を見てからやっと、ロボの心は現実に戻った。……良かった。自分が居るべき時代に、戻っている。


「どうした、顔色が悪いぞ?」


 そう言いながらつかつかと近づいてくる第一王子の姿を認めて、ロボは半分だけ安堵の息を吐いた。


 だが、残りの半分は。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る