騎士の弁明 2
「噂をすれば!」
素早く、でも優しげにルージャを地面に落としたラウドが、腰の剣を抜く。左腕を、斬り捨てるつもりか。一瞬で肉薄したラウドに、ロボは思わず一歩下がった。かつての友人、ゼイルの首を斬った時のように、無造作に、一瞬で。だが。
「古き国の騎士の血と力で以て、『悪しきモノ』を制する。女王よ守り給え」
呪文のような小さな声と共に、血に濡れたラウドの左腕が、ロボの黒くなった左腕に覆い被さる。たちまちにして、ロボの左腕に居た黒い靄のようなものは文字通り雲霧消散した。
「これで良し」
まだ絡み付いたばかりだから、古き国の騎士の血で祓うことができる。噂をするだけで現れないで欲しいよなぁ。ラウドはそう言って、ロボに例の不敵な笑みを見せた。ラウドの左手の甲に伸びる、古く醜い傷跡が、ロボの目を射る。見ているのが辛くなり、ロボはラウドから視線を逸らした。
「人間は人間の領域に、精霊は精霊の、魔物は魔物の領域で静かに暮らし、互いの領域を越えない。それが一番良いのだけど」
しかし『悪しきモノ』は人を憎み、領域を越えて人を襲う。最近は、人間の心に入り込み、乗っ取ってしまう『悪しきモノ』もいる。『悪しきモノ』に深く魅入られてしまった人間を救うには、首を胴から切り離して殺すしか、方法は無い。
「君の友人も、『悪しきモノ』に深く魅入られていた。だから、首を斬るより他、無かった」
あくまで静かなラウドの声に、泣きそうになる。ロボは思わず下を向いた。そして。古き国の騎士達が、人々の首を刎ねている理由を、不意に、理解する。彼らは、『悪しきモノ』に深く魅入られ、ゼイルと同じようになってしまった人々の首を、刎ねているのだ。他の人々が彼らに襲われないように。首を刎ねない限り、『悪しきモノ』に深く魅入られてしまった人々は、どんなに深く傷つけて倒しても起き上がり、更に凶暴になって人々を襲う。だから、古き国の騎士達は、自らの汚名を顧みず、人々を守る為に、『悪しきモノ』に深く魅入られてしまった人々の首を刎ねているのだ。
しばらくの間、無言で道無き道を歩く。先程までと比べて足取りが重いのは、ラウドの重い話を聞いたからだろうか。
「……大丈夫か?」
不意に、ラウドの顔が、ロボの真正面に現れる。そのラウドの顔色も、少し悪い。
「『悪しきモノ』は、取り憑かれた者の体力も、それを祓う古き国の騎士の体力も奪うからな。もう少しゆっくり歩くか」
ラウドの気遣いに、ロボは首を横に振った。痛み止めが効いてきたのか、再びラウドの背中で眠りに落ちたルージャの足の怪我のことが気になる。早く隠里に連れて行った方が良い。それが、ロボの判断。
「本当に、大丈夫か?」
深く念を押すように、もう一度、ラウドが尋ねる。何故ここまでしつこく尋ねるのだろう。ロボは思わず首を傾げた。だが。
「『悪しきモノ』に喰われて命を落とす騎士も多いが、喰われずとも、体力を奪われて死ぬ騎士も多いんだ」
悲痛な響きを持つラウドの言葉に、はっと顔を上げる。ルージャを背負ったラウドの顔は見えなかったが、ぼろぼろになった左袖と、その下から微かに覗く、傷だらけの左腕に、ロボの胸は痛んだ。この人は、これまで、どれほどの人々を自分を犠牲にして救ってきたのだろうか。泣きそうになり、ロボは思わず下を向いた。それでも、彼らは前へ進まなければならないのだ。
「なら、行こう」
先程までと同じ速度で歩き始めたラウドの後ろを、何とか歯を食いしばって付いて行く。もう少しで王都近くの隠里、というところで、ラウドはぽつんと口を開いた。
「……女王の呪いを止めた件は、あいつの為と言われても、仕方無いのかもしれないな」
「あいつ?」
発せられた言葉よりも、その言葉の何処か苛々した響きに誘われ、思わず尋ねる。
「レーヴェ。君たちの言葉で言うと『統一の獅子王レーヴェ』のこと」
ラウドはロボの方を一度も振り向かず、吐き出すようにそう言った。
「レーヴェは、俺の、……異母兄だ」
と、すると。ラウドの言葉から思わぬ事実に思い至り、ロボの心臓は一瞬止まる。……新しき国の王、獅子王の異母弟が、古き国の騎士団長!
「ライラの『獅子の痣』は、俺の血を受け継いだから。そして俺は、獅子王の血を受け継いでいる」
ロボの驚愕には全く構わず、ラウドは歩きながら言葉を紡いだ。ラウドの母は新しき国の近衛騎士だったが、レーヴェの父の愛を受けてラウドを産んだ。だがそのことが、獅子王の正妃の怒りを買ったらしく、ラウドはお腹にもう一人の子を宿した母と共に新しき国を追われ、古き国を守る貴族の一人である隼辺境伯ローレンス卿に母子共に拾われるまで辛い思いをした。そして。
「まあ、おそらく、新しき国に残っていても、俺は、レーヴェの身代わりとして、古き国の呪詛に晒されただろうな」
ラウドは、今でも、自分と母を追い出した新しき国を、そして獅子王レーヴェを憎んでいる。ラウドが発する冷静な言葉の隅に潜む憎悪に、ロボは正直震え上がった。この冷静かつ少し飄々としたところのある人物の何処に、このような憎しみが宿っているのだろうか。
震える心を静める前に、すっかり茜色になった光に照らされた木々の間に今にも倒れそうな家々が見えてくる。
「ここが、古き国の隠里の一つ」
これまでの口調を忘れたように、ラウドは再び不敵な笑顔を、ロボに向けた。
「ルージャはこっちで面倒を見るから」
隠里の前の、消えかけた山道で、ラウドが問う。
「この道を降りて川沿いに歩けば、王都だ。少し余分に歩くかもしれないが、おそらく暗くなる前に着くはず」
一人で行けるか? ラウドの言葉に、ロボは動揺を押し隠すように頷いた。
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