獅子の痣
戦乙女騎士団の詰所は、副都の片隅、太守の屋敷からは少し遠い、副都の頑丈な城壁近くにあった。
「ライラ、食料買って来たよ」
背にしていた荷物を下ろし、ルージャが玄関で大声を上げる。
「あら、あなたは」
すぐに、白金色の髪を白い頭巾で包んだ、華奢な姿が、ロボの前に現れた。
「足、大丈夫?」
ロボが名乗るより前に、ロボの前に跪き、ロボの足を調べるライラ。ふわりと広がった濃い青色のスカートと、真っ白なエプロンが眩しく映り、ロボは体温が上がるのを感じた。
「うん、大丈夫そうね」
ロボの戸惑いには全く構わず、跪いたままロボを見上げ、ライラがにっこりと笑う。胸が、痛い。動揺を隠す為にロボは唇を閉じて横を向いた。
「お腹空いてるんだ、ライラ。何か有るかい?」
そのロボの耳に、ルージャの気安い声が聞こえてくる。
「レイが居ないし、他の人もみんな遊びに行ってるから、あまり良いものは無いけど」
「食べられれば別に良いさ」
そう言いながら、ルージャは動けないロボに向かって食堂はこっちだというように手招きをした。
軽い足取りのライラと、買ってきた荷物を軽々と運ぶルージャの後ろを歩き、食堂へ向かう。ルージャとライラ、二人の背を見ながら歩くロボの心の中では、言いようのない苦しい感情が浮かんでは消えた。この感情は、何だろう? 初めての、そして嫌な感じがする感情を振り払うように、ロボは首を横に振った。
「そういえば、あの、ルージャさん」
戸惑いを消す為に、前を歩くルージャに声を掛ける。
「ルージャ、で良いよ」
すぐに、ルージャが振り向き、ロボに笑顔を見せた。
「ルージャは、生まれた家に帰らないの?」
「ライラも俺も、ここが生まれた家」
小さい頃は、祖父母の居る村――倒れたロボを運び込んだのもその村らしい――に住んでいたこともあったけどな。ロボの問いに、振り向いたライラがにこりと笑う。ルージャの父母も、ライラの父母も、戦乙女騎士団の一員であるらしい。少し年上のレイとも、小さい頃からの知り合いだと、ルージャは少しだけ肩を竦めて言った。この戦乙女騎士団は元々、新しき国のある大陸の南西側に領地を持つ零細貴族が組織した、本当に小さな騎士団であったそうだ。その騎士団が副都の太守の庇護を受け、副都の片隅に詰所を構えるようになった理由は。
「確か、ロボには『獅子の痣』が有ったよな」
ルージャの言葉に、左肩に触れながらこくんと頷く。おそらく、ロボを助ける為にロボの服を脱がせた際、ルージャもライラもロボの左肩の痣を見たのだろう。しかし何故今、唐突にこの痣の話が出てくるのだろう。訝しげに、ロボは首を傾げた。
『獅子の痣』は、新しき国の王の血を引く者に現れる、王の後継者であることの証。そう、昔母から聞いた覚えがある。しかし、百年ほど前に古き国を滅ぼして大陸を統一した英雄である『統一の獅子王レーヴェ』は色を好み、多くの女性との間に多くの子を成したらしい。その為に、現在でも庶民の中にも時折、獅子の痣を持つ者が生まれている。おそらく、獅子の痣を持っていたと母が言っていたロボの父も、そのような理由で獅子の痣を持つ、王家とは関係ない人物なのだろう。それが、ロボの推測。だから、その血を引くロボも、獅子の痣を持ってはいるが王家とは関係が無い。
「その痣、私にも有るの」
突然のライラの言葉に、はっとしてライラを見る。恥ずかしいから、誰にも言わないでね。頬を染めながらのライラの言葉に、ロボはしっかりと頷いた。そして。
「レイにも、有るのよ」
「そしてその痣が、この騎士団がここまで大きくなった理由」
ライラの言葉を、ルージャが引き継ぐ。獅子の痣を持つという、その理由の為に、戦乙女騎士団の前団長であったレイの母は副都の太守に見初められ、太守の妻となった。その結果、小さな騎士団だった戦乙女騎士団は副都の太守の庇護を受け、副都周辺のみならず新しき国全体を広く探索する騎士団へと成長した。壁に掛かる、何処か恩人に似た濃い色の髪と灰色の瞳を持つレイの母の肖像画を示しながらのルージャの説明に、ロボはふーんと頷いた。勿論、副都の太守が零細貴族の娘であるレイの母を娶ったのには確固たる理由がある。統一の獅子王レーヴェの、王家の血を引くにも拘わらず、獅子の痣が無い為に、副都の太守は副都を守る任務以上の地位に登ることが、すなわち新しき国の王になることができなかった。自分が王になれないのなら、獅子の痣を持つ息子を作り、彼を王に。それが、副都の太守の野心。だが、太守の予想に反し、獅子の痣を持つ子供は娘二人だけ。意固地になった太守は娘の一人、レイを男性として育て、性別を偽ったままレイを王にしようとしたが、現在の王の賢明さとその後継者である第一王子の聡明さに考えを変え、第一王子に獅子の痣を持つレイの妹を嫁がせることで自身の夢を孫に繋いでいるという。あくまで淡々としたルージャの説明に、どう見ても男性にしか見えない大柄な影を思い出す。
「あの。……レイは、その、どう、思っているの? その、レイ自身の境遇」
だからロボはおずおずと、ルージャにそう尋ねた。
「うーん、俺は、よく分からない」
レイ自身は、女性特有の因習に囚われずに自由に動くことができるから、男装も、戦乙女騎士団の団長であることも楽しんでいるように見える。ルージャは唸りながらロボにそう、言った。
「でも、リールさんとの仲が良くないのは、気になるわ」
不意にライラの口から、リールの名前が出る。副都の太守の娘であるレイと、太守の妹の息子であるリールは、幼い頃は人も羨むほどの仲良しで、大きくなったら結ばれるであろうというのが周囲の予想だった。だが、成長するにつれて、リールはレイを避けるようになり、今は逢う度に喧嘩をしているように見える。どうしてあんなに仲が悪くなったのかしら。ライラの悲しげな声に、ロボは首を横に振った。どのような友達でも、互いの立場によって気持ちや行動は様々に変化すると、母から聞いている。レイとリールは、残念な方向に行ってしまったのだろう。ロボは一人、そう、納得した。
「あ、お腹が空いているのだったわね」
これ以上の話は、食堂でしましょう。ライラの言葉に頷き、ルージャに案内されるままに詰所の片隅にある食堂のテーブルに座る。そのテーブルの上に、ライラが幾つかの皿を次々に並べた。皿の中に入っていたのは、煮て冷ました豚肉をスライスしたものと、豆がたくさん入ったスープ、そして美味しそうな匂いがするパイが三つ。
「やっぱり、ちょっと少ないかしら?」
テーブルの上を見回し、ライラが悄気たような声を出す。
「あ、大丈夫です」
そのライラを助ける為に、ロボは大きな声で言った。
「訓練所の夕食、残すとリール様に怒られますから」
ロボの言葉に、ライラもルージャも笑う。良かった。ロボはふっと息を吐いた。しかしライラの危惧通り、テーブルの上の食事は、あっという間に無くなってしまった。ロボの食べる速度より、ルージャの食べる速度の方が格段に速かったのだ。
「ルージャ、食べ過ぎ」
もっと何か残っていなかったかしら。食堂に続く台所の戸棚を覗いているライラの肩が悄気るのが、遠くからでも確認できる。ライラの言葉に舌を出すルージャを、ロボは羨ましく感じていた。
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