戦乙女騎士団
〈えーっと、あの旗は……〉
訓練所で一番広い広場の片隅に設えられた粗末なベンチに腰掛け、広場を埋め尽くす色とりどりの旗と騎士達を眺めながら、うーんと唸る。
白地に金色で獅子が描かれている旗は、王都周辺に領地を持つ、王に仕える騎士団のもの。青地に銀色で獅子が描かれている旗は、副都の太守に仕える騎士団のもの。ロボが所属する訓練所は、副都の太守が設置した、副都周辺の騎士団へ騎士を供給する為の施設なので、房が白色の、銀色の獅子が描かれた青色の旗だ。副都の太守の近衛隊の旗は、房が金色。副都の太守直属の騎士団の旗には、銀色の房。そしてあの、白地に青色の房が付いた旗は。近くの騎士と真剣の打ち合いを始めた、大柄なのに俊敏な騎士の傍で翻る旗に、ロボは記憶を探った。あれは確か、新しき国の王の息子の一人、第三王子ジェイリの指揮する騎士団の旗だ。ロボの暮らしていた家と領地が接していたので、見覚えがある。と、すると、あの素早い剣捌きで騎士達を次々と倒しているあの大柄な騎士が、第三王子なのだろう。その第三王子の前に現れた、兜の裾から金色の髪が見える騎士に、ロボは胸を躍らせた。リール騎士団長だ。
第三王子とリール騎士団長が、互いに剣を構える。次の瞬間、剣の打ち合う金属音が、殊更大きく広場に響いた。二人の体格は、互角。だが俊敏さは第三王子の方が上だ。次々と繰り出される第三王子の華麗な剣の攻撃を、リールは受けるのに精一杯であるようにロボには見えた。大丈夫だろうか? 心配になり、思わず腰を浮かせる。と、その時。リールの背が、急に縮む。次の瞬間、第三王子が身に着けていた華美な鎧の腰に、リールの剣が当たるのが、ロボの瞳にもはっきりと映った。
「これで終わりだ」
息を切らせたリールの声に、第三王子は手の中の剣をリールの方に投げる。その剣が地面に突き刺さるより早く、第三王子の姿は騎士の集団の中に消えていた。第三王子の暴挙に、呆然とする。しかしとにかく、リールが勝って良かった。ロボはほっと胸を撫で下ろし、再びベンチに腰を落ち着けた。
それにしても、ずいぶん大勢の騎士団が合同訓練に参加している。まだ包帯の巻かれた右足を見てから、ロボは肩を落とした。自分も、あの集団の中に入りたかった。寂しさを覚え、ロボは大きく息を吐いた。「騎士団の旗を識別する知識も、騎士の素養の一つだ」とリールに言われて頑張っているとはいえ、やはり、ロボには、身体を動かす方が性に合っている。それに。……身体を動かしていれば、隣に友人が居ないことを、忘れることができるかもしれないのに。ひとりぼっちだったロボに初めて話しかけてくれたゼイルの笑顔と、首を斬られてロボの膝に落ちてきたゼイルの身体の重みを同時に思い出し、ロボは慌てて首を横に振った。
そっと、上着のポケットから銀色の留め金を取り出す。いつも輝いていたはずの留め金が、今日は何処か曇って見えた。あの、友人の首を躊躇いなく刎ねたあの小柄な人が、ロボを助けてくれた恩人なのだろうか? そうでない方が、嬉しい。ロボは留め金をぎゅっと握ると、首を強く横に振った。……あの人は、赤色の上着と黒のマントを身に着けていた。間違いなく、古き国の騎士だ。罪無き人々の首を刎ね、王を呪っているという。そんな人が、恩人であるはずがない。……そうであって欲しい。
と。
「……あ、やっぱりいた」
聞き覚えのある声に、はっとして顔を上げつつ大急ぎでポケットに留め金を仕舞う。ロボのすぐ目の前で、あちこち跳ねた赤い髪の青年が笑っていた。今日は、職人風の服装ではなく、新しき国の騎士が着用する白の上着をきちんと身に着けている。騎士にしては少し華奢に見える肩に羽織った青色のマントが薔薇を模した留め金で留められているのを見て、ロボは羨ましげに溜息をついた。薔薇を模した銀の留め金は、青年が騎士叙任を受けた者であることの証。ロボのような見習いがその留め金を付けることができる日は、まだまだ先だ。そして、その青年が持っている旗に目を留め、ロボは先程とは異なる感情に大きく息を吐いた。青色の地に剣を持った乙女が描かれその旗は、副都周辺を広く探索し、人々を悪意から守る役目を持つ『戦乙女』騎士団の旗だ。その騎士団に対する良い噂と悪い噂を、ロボは両方聞いている。悪辣な盗賊だろうと、悪意有る者が呼び出した悪霊だろうと、的確な戦略と鮮烈な剣の力で容赦無く殲滅するというのが、良い噂。そして、悪い噂の方は。
「怪我は、大丈夫か?」
「あ、はい」
留め金を、見られただろうか? 口を引き結んで、青年をじっと見詰める。ロボのある意味不躾な態度にも、赤い髪の青年はただにこにこと笑っているだけだった。
「良かったよ、ライラが心配していたから」
青年の言葉に、白金色の髪をお下げに編んだ少女の姿がロボの脳裏に浮かぶ。だがすぐに、レイという名の大柄な騎士がロボを訓練所まで連れて帰った時にリールが発した警告の言葉が、彼女の優しげな面影を打ち消した。
「気をつけろ。彼らは『古き国』と繋がっている」
日頃の優しげな口調とは正反対だったリールの言葉を、思い出す。新しき国の騎士団であるにも拘わらず、古き国の女王を信奉している。それが、ロボが聞いた戦乙女騎士団に対する悪い噂。古き国の女王の血筋は、古き国と新しき国を統一した『統一の獅子王レーヴェ』によって滅ぼされている。だが、戦乙女騎士団に所属する騎士達は、その身に持つ『時空を飛ぶ力』を利用して古き時代から女王を召喚し、古き国の騎士として女王から騎士叙任を受け、新しき国を呪い滅ぼそうとしているという。そして、古き国の騎士である証が、恩人も持っていた椿の形の留め金。この留め金を持っていて良いのだろうか。ポケットの中で、留め金をぎゅっと握り締める。罪無き人々を殺し、新しき国に害を為す者達と同じ物を持っていたくはない。だが、ロボを助けてくれた恩人の唯一の手掛かりがこの留め金なのだ。相反する思いが、ロボを人知れず苦しめた。
そして。ロボを苦しめる感情は、もう一つ。目の前の赤い髪の青年を上目遣いに見遣り、そしてすぐに俯く。助けてくれた彼らに、ロボはお礼すら、言っていない。彼らの名前すら、知らないのだ。
「あ、そう言えば、名乗ってなかったな」
俯いたままのロボの前で、赤い髪の青年は変な顔一つせずに屈託無く笑う。
「俺の名はルージャ。副都の太守の娘にして戦乙女騎士団の団長であるレイ様の従者」
「はあ、……って、え?」
ルージャと名乗った青年の口から出た『娘』という言葉に絶句する。では、あの大柄で横柄だった青年は、女性だったのか?
「え、まさか男だと思ってたのか?」
ロボの反応に、ルージャも驚いたようだ。
「担がれた時に分からなかったのか?」
問いに頷いたロボに、ルージャは横目で広場の方を見、そして小声で言った。
「レイには黙っておけよ、そのこと。怒らせるとおっかないからな」
そう言うルージャの、僅かに震える声に、屈託を忘れて笑ってしまう。この人が、いやあの美しい少女もだが、罪無き人々を残酷に殺したり、新しき国を、王を呪ったりしているのだろうか。……いや、人は豹変することがある。森の中での出来事を思い出し、ロボは背筋が震えるのを感じた。
と。
「ルージャ!」
空から鋭い声が降ってくる。見上げると、灰色の馬に跨がった大柄な影が、春の日を反射して眩しく映った。ルージャが仕えている戦乙女騎士団の団長、レイという、人だ。ロボの瞳はそう判断する。しかしどこをどう見ても女性には見えない。
「出番だ!」
「はいはい」
レイの声に、ルージャがにっと笑うのが見える。その表情のまま、ルージャはレイが投げた弓を受け取ると、背中に掛けていた矢筒から矢を一本取り出すなり目にも留まらぬ早さでその矢を射た。
ロボが目を丸くする前で、先程までルージャの手の中にあったはずの矢が遠くの的に吸い込まれる。矢が的の真ん中に当たるより先に、ルージャは再び矢筒から矢を取り出すと、今度はゆっくりと構えて矢を射た。その矢も、吸い込まれるように的の真ん中に刺さる。矢筒の中の矢が無くなるまでルージャは射続け、狙っている感じは全くしなかったが矢は悉く的の真ん中に当たった。
「こんなもんかな」
弓を下ろしたルージャが、ロボを見てにこりと笑う。凄い、としか言いようがない。ロボは尊敬の眼差しでルージャを見詰めた。
「体格差で、剣ではレイに勝てないけど、弓なら、ね」
馬上のレイを横目で見、ルージャが本音をぼそりと漏らす。確かに、ロボ自身も、まだ背が低く、剣の技では他の見習いに勝てたためしがない。しかし、弓なら。
「弓も良いけど、即戦力なら石投げだな」
弓を教えて。思わずルージャにそう言ったロボに、ルージャはにっと笑いかけると広場の石を拾う。ルージャの投げた石は、矢と同じように真っ直ぐ、遠くの的に真ん中に当たった。
「毎日練習すれば、これくらいできる」
石は何処にでも落ちているし、慣れれば短刀を投げて敵の勢力を削ぐこともできる。ルージャの言葉に、ロボは再び頷いた。
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