友人の豹変

「本当に、この辺りに盗賊が潜んでいるんだな」


 震えながらの隊長の声と、隊長の横を歩いているはずのゼイルの強く頷く声が、聞こえてくる。だが、ロボの前を震えながら歩いている年嵩の見習い騎士の大柄な三つの背中に阻まれて、一番後ろを歩いているロボには隊長の顔もゼイルの顔も見えなかった。


 訓練の一環として、見習い騎士と彼らを教え導く年上の騎士とで構成される騎士団内の一隊に加わるよう、ロボは騎士団長であるリールから命じられた。リールの命令ならば、喜んで従う。だからロボは、勇んで、古き国の騎士の服装をした盗賊が現れたと友人であるゼイルが報告していた、副都近くの森の中を歩いているところだった。周りは、寒々とした木々ばかり。溶けかかった雪の泥濘が、あちこちで罠のようにロボやロボが所属する隊の人々の足を捕らえる。


「ううっ、寒っ」


 ロボの前を歩いていた年嵩の見習い騎士の一人が、マントを身体に巻き付けてぶるぶると震える。前を歩く騎士達のブーツは一様に、泥濘んだ泥に濡れていた。


「こんな寒いとこ、これ以上いたかないや」


「止めとけ、北は更に寒いぞ」


 愚痴を言い始めた見習い騎士を、横にいた別の見習い騎士が窘める。


「嫌だよな。王からの直々の命令とはいえ、これ以上寒いところに行かないといけないとは」


 その見習い騎士の言葉に、残っていたもう一人の見習い騎士も、同調するように身体を大きく震わせた。


 ロボの前を歩く三人の年嵩の見習い騎士は、北にある、この国を支配する王が住まう王都に派遣されることになっていた。その理由は、王の命令であるとしか、ロボは聞いていない。しかしながら、噂によると、副都周辺の騎士団には全て、できるだけたくさんの騎士を王都へ派遣するよう、王からの命令が届いているらしい。何の為に、王はそのような命令を? この話を聞いた時、ロボは思わず首を傾げた。病に伏せっている王を、古き国の女王が発する呪いから、守る為? それとも、王都よりも更に北西で国境を接する隣国の侵攻に備える為だろうか? いや、現在の王の正妃は、隣国の姫君だ。隣国が侵攻してくることはあり得ない。新しき国は、北西で隣国と陸続する以外は海に囲まれた国である。隣国以外の侵攻は、考えなくとも良い。では何故、王は、王都に騎士を集めているのだろうか? その命令の為に、副都周辺の警備が手薄になるとリールが嘆いていたことを、ロボはこっそり知っていた。副都とその周辺を守る為にも、訓練された騎士が必要だ。それなのに、多くの騎士を王都へ集めてしまったら、副都周辺の守りはどうなってしまうのだろうか。悪辣な盗賊や、悪心を持つ魔術師が召喚する悪霊などが出てきた時に対応できなくなるかもしれない。恐ろしい予測に、ロボは寒さとは別に震えた。


 と。考え事に夢中になっていて足下が疎かになっていたロボの足が、深い泥濘に嵌まる。這い上がってきた氷のような冷たさに、ロボは顔を顰め、できるだけ素早く泥濘から足を抜いた。靴も靴下も、足さえも、既に湿って冷たくなっている。ここで弱音を吐いていては、立派な騎士にはなれない。それは、分かっている。だが、……こんな冷たく寒い場所に、古き国の騎士を騙る盗賊が居るのだろうか。感覚が無くなりつつある足を機械的に動かしながら、ロボは支給された短いマントを身体に巻き付けた。いや、友人であるゼイルの言葉を疑ってはいけない。だがしかし、ゼイルも、もしかすると、……騙されているのかも、しれない。そこまで考えたロボの足は不意に、何度目かの泥濘に滑り、雪と泥の中に派手に尻餅をついた。次の瞬間。


「ぐわっ……!」


 隊長の声が、人間とは思えない咆哮を奏でる。泥濘から腰に上がってくる冷たさを忘れて顔を上げると、狼狽でロボの方へ下がってきた見習い騎士達の向こうに、首の半分を失った隊長の血に染まった驚愕が見えた。口を赤黒い血で染めたゼイルの、微笑む顔も。


「なっ……!」


 突然の見習いの変貌に、三人の見習い騎士達が腰に佩いた剣を抜く。だが、三人がゼイルに斬りかかる前に、見習い騎士の一人が不意に横から現れた黒い靄のようなものに飲み込まれた。


「……え」


 戸惑うロボの目の前で、残った二人の見習い騎士も為す術も無く次々と黒い靄に飲み込まれる。残ったのは、泥濘に尻餅をついたままのロボと、頽れた隊長の首筋から血を啜り続けるゼイルのみ。


「老人の血は、あまり美味しくないな」


 体内の血を全て啜られ、土色の塊と成り果てた隊長の身体を泥濘んだ地面に落とし、ゼイルが口を拭う。見習い騎士三人を飲み込んだどす黒い靄は、ゼイルとロボを無視して再び森の中へと消えていたが、ゼイルの周りにその残滓が漂っているように、ロボには感じられた。


「君の血は、美味しそうだね、ロボ」


 一足でロボの目の前に立ったゼイルの、血に濡れた姿と鉄のような匂いに、震えが走る。逃げなければ。頭はそう、警告を発しているのに、身体は地面に凍り付けられたように動かない。血と靄に濡れたゼイルの手がロボの頬を撫でる、その手の冷たさに、ロボは自分の歯ががちがちと鳴るのを感じた。


 次の瞬間。目の前にあったゼイルの顔が、ロボの斜め前へ倒れる。ロボの膝に落ちた、友人の首の無い身体を、ロボは口をわなわなとわななかせながら凝視した。


「大丈夫か?」


 聞こえてきた声に、恐る恐る顔を上げる。濃い色の髪に縁取られた、男性にしては優しい顔に、ロボの記憶がはたと蘇った。この、人は。……まさか。


「済まない」


 近くの草で手にした剣の血を拭い、剣を鞘に納めた小柄な影が、ロボの膝から友人の身体を持ち上げ、地面に横たえる。その人が着ている、左袖だけが何故かぼろぼろな赤色の上着と、その上から羽織っている黒のマントに、ロボの瞳は釘付けになっていた。左肩部分でマントを留めている椿の花の留め金にも。


「『悪しきモノ』に深く魅入られてしまっていたから、首を斬る他無かった」


 あくまで淡々とした、それでいて何処か悲しげな説明を、ロボは全く聞いていなかった。確かめなければ。ロボの目の前に居るこの人が、昔ロボを助けてくれた恩人であるのかどうかを。だが。声が、出ない。友人に襲われそうになったこと、その友人が目の前で殺されたこと、その二つもロボにとっては衝撃だったが、何よりも、目の前に居る人が着ている赤と黒が、ロボの目を引きつけて離さない。リールが言っていたように、ロボの恩人は、敵である、古き国の騎士だった。そのことが、ロボには一番の衝撃だった。だから。


 声にならない声を上げて、立ち上がる前に後ろへ下がる。強張った身体に鞭打って何とか身体の向きを変えると、ロボは全てから逃げ出した。

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