暖かい日差しの中、縁側でのんびりと煙管を吸う誠一郎のもとに、椿月がやってくる。


「煙たくないですか?」


「ううん」


 そう言って床に膝をつくと、上半身を乗り出し、椿月が誠一郎の唇を奪う。


 突然のことに驚きつつ、誠一郎は支えるように彼女の腕に手を添えた。


 しばらくして唇が離れて、戸惑いに頬をほのかに紅潮させる誠一郎。


「まだこんなに明るいのに……」


 椿月はうふふと笑いかける。


「だって私たち、もう夫婦だもの」


 あれからしばらくの時が経ち、祝言を挙げた二人は、椿月が誠一郎の借家に移り住む形で共に生活を始めた。


 ここは深沢家の土地であるし、本家からの祝いの代わりに新居を建て直してやると兄に言われたのだが、二人で相談し、当面それはいいと断った。


 たしかに古びてはいるが、二人の思い出のある家だから。


 二人はいつかのように、縁側に並んで真っ白な築地の壁と青空を眺める。


 一緒にいることに理由がいらなくて、必ず相手が自分のもとに帰ってくる。


 なんて幸せなんだろう。


 陽光の温もりが包む中、どちらからともなく、視線を交わした二人がほほえみ合う。




 いつか読んだ外国の詩に、天にあっても地にあっても、生まれ変わっても共にいようと誓う愛の歌があった。


 今はそれがよく分かる。


 どこにいても、生まれ変わっても、あなたと共にいたい。


 物語の中でしか聞いたことがないような連理の契りというものを、あなたとだから知ることができた。




「連理の契りを君と知る」<完>







「とりあえず、この作品はここで完結にします」


「分かりました。でも、もし続きを書きたくなったらいつでもおっしゃってくださいね。このシリーズは先生の一番のヒット作、うちでも未曾有の売り上げを誇る作品なんですから!」


 威勢の良い若手の編集者が、拳を作って前のめりになって言う。


 作家は面映ゆそうに、少しだけほほえみをたたえた。


「ただいまー! おとうさまー!」


 その時、書斎に小さな男の子が駆けこんできた。


 自分の父以外に知らない大人の男性がいたことで、ビックリして動きを止める。


「お父様のお仕事中に勝手に入ってはだめよ」


 男の子を追いかけて、今度は和服姿の女性がゆったりとした足取りで入ってきた。


「おかえり。まずは着替えておいで」


 作家は落ち着いた声で、幼い息子にに着替えを促す。


 はあい、と再び駆けて男の子は部屋を出ていく。軽快な足音が遠ざかっていった。


「奥様、お邪魔しています」


 編集者は満面の笑みで女性に挨拶をする。


 作家の何より大切な、花のように麗しい、美しく可憐な妻。


 元人気女優の美人妻を見たくて、この作家の家に原稿を取りに行く役目はいつも争奪戦になっていることは、社内だけの秘密だった。普段は原稿取りになど行かないような人まで行きたがるのだから大変だ。


「お構いもできずすみません。いつも主人がお世話になっております。お茶、すぐにお出ししますね」


 そう言ってゆっくりと動き出した妻を「いやいや!」と制して立ち上がり、編集者は言う。


「原稿もいただきましたんで、私はこれで! またおうかがいします! お体、お大事になさってください!」


 そうニコニコ話し、ぺこりと頭を下げると、足取りも軽く玄関から出て行った。


 元気な若い編集者に、妻は思わずクスリと笑う。


 残された二人だけの空間。


 和洋折衷のモダンな邸宅に、春の甘くて優しい風が吹き抜ける。


 ベランダ沿いに作られた書斎兼応接室は、サンルームのように一面がガラス戸になっており、柔らかい陽射しがよく入る。


 いつも原稿まみれの書斎机の上は珍しく片付いており、外国より送られた知人の俳優からの手紙が、返信用の便箋と共に置いてあった。


 妻は夫にほほえみかける。


「あの話、やっと終わったのね」


「ここまで長く書かせてもらえるとは思いませんでした」


 夫は目を細め、薄く、でも温かいほほえみを返す。


「ふふ、お疲れ様」


 ふいに涼しい風が吹き込んで、穏やかな沈黙が訪れる。


 二人のこれまでをなぞるような時間。


 そして妻はこう尋ねた。


「ねえ、あなたの小説、私も読んでいい?」


 夫は目をつむって一呼吸置いた後、答えた。


「いいですよ。やっとあなたに読んでほしい話が書き上がりましたから」


 それは、もうずっと前の約束。


 律儀に守り続けていた妻は、優しくほほえんだ。


「そう……。あれから何年かかったかしらね……」


「……すみません」


 夫は表情に苦笑をにじませる。


「いいの。約束したもの」


 大人の女性の優雅なほほえみの中に、夫はいつまでも、無邪気な娘の頃の彼女の笑顔の面影を見る。


「あなたと出会ってから今までのことに、こうしていつでも本で出会えるって、素敵よ。……本音を言うと、ちょっぴり恥ずかしいけどね」


 そう言って初(うぶ)に顔を赤らめる妻の頬に、夫は手を伸ばす。


 触れた指先に誘われて、二人は静かに唇を重ねる。


 長く、穏やかで、心の満たされる口づけ。


 それから夫は、おもむろに妻の腹に掌を当てた。


「……体調はいかがですか」


「調子いいわ。大丈夫。最近よく動くのよ」


 ふくらみを帯びた腹部からは、二人が作り出した新しい命の存在を感じられる。


 妻は楽しそうにお腹をさする。


「次も男の子かしら、それとも女の子かしら」


「女の子だったら、君に似てくれないと困るな……」


 真剣にそうつぶやく夫に、妻は思わず笑ってしまう。


「ふふふっ。無事に生まれてくれたら、なんだっていいわ」


「そうですね」


 むつみ合う視線が交わる。


 今日も、明日も、明後日も、一緒にいられる幸せをかみしめながら、二人で生きて行こう。






短編連作「連理の契りを君と知る」<終わり>




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