第3話 やれやれ
夜の暗闇の中、雪が深々と降っている。吐息も白くなるはずだと思う。窓は温度差による水蒸気で曇っていた。
ふと昔を思い出す。
これは俗説だが、雪が降る満月の晩、透き通る泉がある場所に、時折ユニコーンが現れる。出会うことができたなら、その恋は成就するという、伝承があった。それはここレムナントの伝承である。
ツァオリンは何故かその話を知っていて、俺を森の中へと連れだした。泉の前で待つこと数刻、結局ユニコーンは現れなかった。
そして俺は、その一年後に、里を追放されたのだった。
クソみたいな話だ。笑うしかねえ。
俺が持ってる話はこういう、胸糞悪い話ばかりさ。
だから、誰とも話さず関わらず、のんべんだらりと生きていたいのだが――ねえ。
「そろそろ寝るか」
立ち上がる。壁に立てかけてあるブロードソードを手に取った。
「ポルポタ。影に戻れ。寝るぞ」
鞘から白刃を見せて、呼びかける。ポルポタは納刀を契約条件にしていて、刀剣を抜かないと呼び出すことも還すこともできない。
この契約条件ってやつは、神の能力を得る上で、最低一つはつけなければならない。万能すぎる力は神と同じ。
当たり前だが、そんなことを神々が許すはずはないのである。
そんな時。
ダンダンダン!!
扉が叩かれた。
何事かと目を向ける。
「ソーン家の者です!! ルー=ラルバ!! 至急ここを開けなさい!!」
ソーン家とは、さっき来ていたアシュレイの家のことである。
俺は三分見せていた刀剣を、鞘の中にしまう。
「開ける前に要件を言え。何だ?」
「それはここを開けてから話させていただきます」
「だったら契約不成立だ。帰れ」
「……」
「……」
「……偉大なる我が神オーリアの名を借りて、我に集いし破壊の力――」
舌打ちした。ノブの鍵を回し、扉を開く。
「なんだ――」
言う前に、黒服の男が乗り込んでくる。そのうちの一人の男が、俺の手をつかんできたので、俺は反射的に、刀剣の柄頭で男の顎を撃ち抜いた。
グラサンかけたごつい男が、俺の一撃を受けて吹っ飛び、天井に顔面を突っ込ませてプラプラと揺れる。
「貴様!!」
男らが振り返って、俺を見る。いや、今まで俺がいた場所を見る。トロ臭い奴らだった。元とはいえ俺も
こいつらに捕まるほど鈍足じゃない。
「なんだ?」
そいつらが一望できる場所まで移動し、壁に身体を預けながら、俺は言った。声に反応して、男らが振り返る。
「やってくれるじゃない」
ごつい男らを押しのけて、一人の女がズイと前に出る。同じく黒衣の格好をしていたが、他の男らと違って、スカートタイプであった。
美しく、細身であるが、筋力や性別で相手を判別する時代はとうに終わっている。契約する神によっては女子供でも、大の男を倒しうる。
山の中に引きこもり、半ば鎖国状態だった
「本来なら今すぐに貴方を捕まえて拷問にかけるところだけど、今は火急の事態だからね。許してあげるわ」
「俺も本来だったらここの天井代を要求してるぜ。いや、今でも要求するな。天井代しめて六ゴールド。とっとと置いて失せろ」
「貴様!!」
黒服の男らがズイと前に出るのを、女が片手で制する。
「今日ここにアシュレイ様が来たわね」
「だったら?」
「戻ってきたりはしてないかしら?」
「戻ってきてるわけないだろ。もしそうならとっくに帰してるよ」
「悪いけど、改めさせてもらっていいかしら」
「悪すぎるだろ。絶対ダメだ」
「そう。じゃあ言い方を変えるわ。この場でみっともなく、解剖前の蛙みたいに倒れ伏して私たちの行動を見守るか、私達に素直に譲って事なきを得るか。好きな方を選びなさい」
ため息をついた。頭をかく。
「やれやれ。――ラグレイ」
呼びかけると、影から一匹の獣が現れた。ドヨドヨ、と黒服が騒ぎ出す。女は、静かに俺のことを見据えていた。
「祟り神だ。こいつ、祟り神を使えるぞ」
祟り神とは、ここレムナント帝国のみで使われる、使い魔、神使の呼び名である。何故そう呼ばれているかというと、使い魔、神使を使える人間が、ここレムナント帝国には存在しないからだ。
前にも言ったが、俺の故郷である黒曜、
黒曜は、山に囲まれている国ということもあって、非常に攻めづらい土地であった。更には、
黒曜有する忍びに手を焼いていたレムナント帝国前皇帝、イースロット三世は、とうとう戦の禁じ手に手を出した。
黒曜を網目状に走る川、
それによって、レムナントはおよそ五百年ぶりに大陸制覇を成し遂げたが、それ以降、土地や獣、樹木の神が、レムナント人に手を貸すことはなくなったという。
「ラグレイ。ポルポタからアシュレイの匂いを追跡しろ。そしてそいつらを、その匂いの元に案内してやれ」
『主は?』
ラグレイが念話で俺に話しかけてくる。ラグレイは俺が使役する獣の中でも、一、二を争うほどに賢かった。
念話で俺に話しかけられるのは、こいつともう一匹だけである。
「俺は寝る。俺がそこまでする義理はないからよ」
「おい貴様。一人で何をブツブツと――」
黒服の男がズイと前に出るのを、女が今一度片手で制した。
「つまり、この獣を私たちに貸してくれる。そういうことでいいのかしら?」
「そういうことだ」
「殊勝な心掛けね。だけど覚えておきなさい。これで見つからなければ、あなたにはこの世で最も恥ずかしい拷問にかけて、世の晒し物にしてやるわ。覚悟しておきなさい」
「見つかるさ。しかし覚えておけ。仮に最悪の形で見つかったのだとしたら、それは、お前らが戴くイースロット三世を見過ごしてきたことのツケを払う時がきた、ということだ。怒るなら、かつての自分自身に、怒ることだな」
「貴様!! 今の言葉は、れっきとした不敬罪に当たる――」
「やめなさい!!」
女の一喝で、男が動きを止める。しばしにらみ合い、女が踵を返した。
「貸し一つよ。これで礼はいらないわね」
「端からそんなもん求めてねえよ」
バタンと扉が閉められる。
俺は今一度、ホットミルクを味わった。椅子の前足を持ち上げて、また戻す。ゆりかごのようにそれを繰り返した。
眠るとは言ったものの、眠れず、数刻。
『主』
声が聞こえてきた。ラグレイからである。
『やはり来てもらうことはできませんでしょうか?』
「何故?」
俺は後ろから取り出した羊皮紙に、呪を描いて声を飛ばした。
『彼らでは――遅すぎます』
「やれやれ……」
つぶやきながら、俺は一段と大きく、椅子の前足を、持ち上げたのだった。
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