第5話 敵はコサックだ!
有名なコサックも初期の頃は遊牧民族の盗賊であった。16世紀後半にはポーランド・リトアニア共和国に属するようになるが、やがてロシア帝国のコサック軍となる。ウクライナ人、南ロシア人やタタール人などによって構成され、現在の南東部ウクライナと南西部ロシアに当たるドン川の流域を中心に勢力圏を持った。
一方この頃のオスマン帝国は既に衰退期にあり、モルダビアを支援する兵力もあまり多くは無い。
それでもモルダビアとオスマン、さらに小国ではあるがクリミア・ハン国など周囲諸国の連合軍戦力は10万前後である。ロシア軍も同程度の兵力と見られる。
バルクの騎馬軍団がコサックの騎馬兵と激突したのはモルダヴィアのプルート川河岸においてである。
ロシア軍は初夏にもかかわらず猛暑となった戦地の行軍で、兵士の士気は低いとの情報が入っている。しかしコサックの戦意は侮れない。
現在の港湾都市オデッサが位置する場所にはタタール人によってカチベイという集落が形成され、15世紀にオスマン帝国によってその跡地に要塞が建設された。
ロシア軍は当初その要塞に侵攻しようとしたが、オスマン軍に包囲されてしまい、大宰相バルタジ・メフメトによって先遣隊が破られた。
しかし、この方面軍のコサック騎兵連隊は本隊と分かれて迂回、ロシア全軍の右翼に布陣していた。そしてプルート川近郊に置かれていたオスマン軍の食糧貯蔵庫を急襲占拠した。さらにロシア軍本隊はオスマン帝国軍に集中砲火を浴びせて数千人の損害を与えつつある。
「タリウト、敵の右翼にコサックだ」
「奴らまだ気づいてないでしょう」
そう言ったタリウトも息をひそめる横で、クイナは早くも剣を抜く。
寡兵で有力な敵を討つには奇襲しかない。こちらは400騎で木立の先に見えるかぎり倍のコサック騎兵だ。ここは大半の敵兵が馬を降りている瞬間を狙う。食糧貯蔵庫を奪取して気が緩んでいるのだろう。中には早くも盗み出した酒を飲んでいる奴らもいる。
「掛かれ!」
バルクの号令が響く。
「皆殺しだ!」
バルクの口癖、「戦場でやる事はただ一つ。殺せ、殺せ、殺せだ」
400騎のタタール騎馬軍団が剣を抜き、地鳴りをさせて駆け出す。
殺戮は半刻ほど続いて終わった。
「撤退だと!」
バルクの元にオスマン軍撤退の知らせが届いた。
ロシア軍別働隊に補給路を抑えられた為、要塞奪回の積極的な意志もないオスマン軍は早くも撤退を決意したという。
さらに戦争準備が必ずしも充分ではなかったオスマン帝国の将軍たちは、士気も統制もとれていなかった。ロシア軍はオスマン軍を易々と撃破したのだ。
当初ロシア軍に連勝して華々しい戦果を期待したオスマン軍だが、それはかなわなかった。プルート川を越えて撤退し、ロシア軍はこれを追撃して撃破した。オスマン帝国にとって決定的な打撃となった。
そしてバルクの元に更なる情報がもたらされた。
共闘していたオスマン軍に去られて孤立したモルダビア軍20000が、クリミアで50000のロシア軍に包囲され全滅の危機に瀕しているという。
モルダビア軍はこの頃友好な関係だったクリミア・ハン国の要塞に逃げ込んで、同国の軍と共にロシア軍に対して抵抗を続いていたのである。
「クイナ、タリウト、行くぞ」
400騎あったバルクの軍団も300程に減っている。だがこれは郷土を守る闘いだ。最後の一兵まで闘い抜く決意である。
「隊長」
そう声を掛けてきたのはタリウトだ。
「後を……」
そこに現れたのはチャガンでブコビィの後リーダーとなっている者だった。あのブコビィを切った副官だ。
「バルク隊長、おれ達を指揮してくれ。あんた達と共に闘う」
タタールの一氏族チャガンはこれまでの戦闘で手痛い打撃を被って兵が著しく減少しており、氏族間ではバルクの軍団が現在最大勢力となっている。さらにアルチとドタウトも共闘したいと申し出て来た。いずれも普段は商売敵の面々である。全ての氏族を合わせると1000騎程になった。
もちろん頼まれたからと言って「行くぞ」の一声で全軍団を動かす事は出来ない。族長達の顔を立てる必要がある。バルクは族長会議を開いたが、50000の敵にたった1000の騎馬兵力では奇襲するしかないと当然の結論に至った。
「うちだけでやった方が遥かにいいんじゃないか」
行軍中である。後ろをチラッと見たクイナはそういい、浮かぬ顔をしている。300から一気に1000騎の軍団になって戸惑っているのか、いつもの調子では無い。
たしかに身内だけの軍団から突然他の氏族と一緒になったのだ。やりにくく感じているのはバルクもクイナと同じであった。
「だがな、これは俺たちの事情だ。そんな事よりモルダビアの軍が窮地に追い込まれているんだ。何とかしないとな」
そう言うバルク隊長の顔が曇ったその時、
「隊長、何を迷っているんですか。戦場でやる事はただ一つでしょう」
そう強く言ったのはタリウトである。聞いたバルク隊長は豪快に笑いだした。
「ワッハッハッハツ、そうだ、殺せ、殺せ、殺せだ!」
バルクは直ぐ馬を返すと、1000騎の軍団に向かい叫び始めた。
「野郎ども、敵はコサックだ。タタールの底力を見せてやれ。怖気付くんじゃないぞ!」
聞いた軍団員が全員剣を抜くと、歓声を上げた。
さらにバルク隊長の檄が飛ぶ。
「戦場でやる事はただ一つ。殺せ、殺せ、殺せだ!」
そして1000騎のタタール騎馬軍団は一塊の稲妻となり丘を駆け下りて行った。
「なに、ロシア軍が撤退し始めただと」
小川に入って馬を休ませ、剣の血糊を洗っていた時だ、
「勝っている筈のロシア軍が何故撤退するのだ」
新たに入った報告では、ロシア帝国で起こった内乱が広がり、軍が引き返さざるを得なくなったと言うのである。
やがてバルクの軍団も解任され、ベンダーに戻った。
この後の話は以前に投稿した「安兵衛の娘ユキとドラキュラ公・ユキは安綱の名刀を抜き放った――」に繋がっています。
隊長バルク @erawan
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