第3話 ラウラ・アレクシア

 ラウラ・アレクシアが住まう館はモルダビアの港を見下ろす小高い丘の中腹に建てられており、明らかに裕福そうな構えだ。漆喰の白い壁には蔦が彩りを添えている。

 20人もの軍団は全員が一度に座れるほどの広いテーブルで、優雅なディナーとワインで歓待される。


「バルクさん、今日は危ないところを助けて頂き、本当に有り難うございました」


 とラウラはいい、ワインのグラスを持ち上げた。


 ラウラ・アレクシアはオスマン帝国で日本から来た安兵衛と出会い、弟の窮地を救われている。その後は安兵衛の娘ユキを養子に迎えるのだが、それはまだ先の話である。




 程なくしてベンダーに戻っていたバルクの元に、ラウラから仕事の話が舞い込んだ。陸路で荷を運ぶから、ルーマニアまで護衛を頼むという内容だった。


 モルダビアの港には東の諸国から黒海を渡って様々な産物が入っている。だがモルダビア公国自体は周辺国の中では一番貧しい国であるため物価が安い。だからルーマニアに物資を運べば相当な利益になる。もちろん無事に届けばの話である。これまで多くの商隊が盗賊の犠牲になっているのだ。


 だがラウラには秘策があった。オスマン帝国はアジアとヨーロッパの貿易路を押さえている。だが黒海を自由に行き来出来るラウラの貿易船は、ヨーロッパ人の生活必需品であったアジアの胡椒など香料をオスマン帝国を介さず手に入れ、莫大な利益を得ようとしていたのだ。

 ただしその計画の実現には安全に陸路をルーマニアまで運ばなくてはならない。これまで何度も強奪されている。もちろん私兵を配備して送り出すのだが、計画はいつもそこで頓挫してしまう。

 盗賊の被害、それだけが悩みの種だったのだ。



 荷馬車の長さは4メートルほどで、幅は約1メートル強。商隊の行く先は必ずしもいい道だけではない。時にはぬかるんだ道を避けて脇の森に入る事もある。この時代は道が狭いから、これ以上の幅では困難が予想される。

 荷を満載した二頭立ての馬車は全部で5台、それぞれに御者が2人ずつ乗り組んでいる。

 護衛するバルクの騎馬兵は前回と同じ20騎である。私兵を雇う代わりに頼まれたのだ。

 モルダビア公国の港からルーマニアの国境まで、荷馬車は脇道に入る事態を考慮すると200キロ前後を走破しなくてはならない。途中盗賊に襲われるなど、どんな困難が待ち構えているか分からない。状況次第では200キロが300にもなり得る。

 この時代乗合馬車のスピードは時速5〜8キロ位だというが、重い荷を満載した馬車ではその半分も出ないだろう。すると一日中進めても20〜30キロか。目的地までは10日以上も掛かる勘定である。




「行くぞ」


 隊長バルクの声で商隊が動き出す。先頭がバルクで中間がクイナ、しんがりの指揮を受け持つのがタリウトである。商隊の全長は100メートルにもなる。



 やがて雨が降りだし、道がぬかるんで思うように進めなくなってくる。


「皆んな馬を降りろ」


 隊長の命令で軍団は全員馬を降り、荷馬車を手で押しだす。だが雨は本降りとなって止む気配が無い。


「仕方がない、一旦休憩だ」


 馬車から馬を離して脇道の草をはませながら、人は林に避難する。もちろん雨には濡れるから気休め程度にしかならない。


「ついでに何か腹に入れておけ」


 全員が携帯食を口にするが、軍団員は皆水と酒を革袋二つに入れ身につけている。そして雨除けの小天幕1つを携行し、あとは長い外套で夜に毛布代わりとなるものを持っている。つば広の帽子も必需品で、雨が首筋に入らないようにする。


 雨でなければ焚き火は火打ち石を使い起こす。携帯食は乾パンとチーズで、あとは木の実が重要だった。もちろん干し肉もだ。

 モンゴル騎馬民族の主食は干し肉と馬乳酒だったが、東ヨーロッパに住み着いた今ではワインも飲む。


 この時代に長い旅では良い道の有無は論外で、とにかく行けるのならばそれで充分だった。

 夜は毎晩木を切り倒し、それで馬を野獣や盗賊から守る垣根を作らねばならない。


「くそ、初っ端からこれかよ、ついてねえや」


 そう言ったのはクイナで、豪雨も夜半迄には上がったが、火を起こせず冷えた身体を温める事が出来ないからだ。




 ところがその夜、


「隊長」


 クイナに起こされた。


「早くも盗人どもです」


 怪しい者らが近づいて来ていると言うのだ。


「タリウトが皆を起こしてます」

「よし、10人は馬を押さえていろよ」残りはついて来い。クイナ、案内しろ」

「はい」


 バルク達は近づいて来る盗賊と商隊が休んでいる場所を横から傍観する位置にそっと移動した。

 たしかに物音を立てず次々と忍び寄って来る何者かが居る。これは見つけたクイナの手柄だ。

 1人、2人、……どうやら賊は9人のようだ。


「合図を待て、まだだぞ」


 そして賊が剣を抜こうとしたその時、


「今だ、掛かれ!」


 不意を突かれたのは賊の方だった。寝ているはずの兵士も掛かって来るではないか。左右から迫られ、逃げる間もなく2人が切り倒され、残りは闇に消えて行った。


 だが倒れている賊を見ていたタリウトが、


「隊長、こいつの顔は……」


 見覚えのある顔だと言う。


「なに、ブコビィの手下だと!」

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