第3話

 ほい、と姉から渡されたのは笛みたいなやつ。なんていうのかな、緊急ブザーだな。紐を引っ張ると助けてくださいって音がなる。

「子供じゃないんだぞ。こんなもんいらないよ」

「危ないから持ってないとだめだよ。今、たぶん日本で一番狙われてるよ。私より危ない。っていうか私は常に注目されてるからかえって安全なんだけど」

 確かに、一度誘拐された身からすると、不安はある。だが、こんなものを持たされるのもみっともないような気がしてしまうのだ。

「いいよ、こんなのなくたって、十分気をつけて歩くし、いざとなったら戦うし。うん、どうせなら武器があった方がいいな。ヌンチャク的なやつとか」

「あんたそんなの使いこなせるの……? そんなに持ちたかったら何を持ってもいいけど、こっちもこっちで持つようにしな。できればこっちを最優先で使って」

「しょうがないなあ……」

 不承不承俺はそのブザーを受け取って、カバンに入れると、それじゃ使えないと怒られた。カバンにつけるのが普通なんだって。なんだか不格好というか……。

「どうも、状況がわかってないみたいだから、正直迷うけど見せてあげる。ネットの反応ってやつなんだけどね……」

 姉が差し出したスマホを見ると、まったく目を覆いたくなるようなものが映っていた。いったいどこから撮られたのか、どうやら昨日の帰り道とかのようだが、俺の写真がいっぱい流れているのだ。俺のというが結局は姉の生き写しとして撮られているのだが……。

「なんだよこれ……気持ち悪いな……どういうつもりなんだ?」

「そりゃあんたの写真がバズるからね。注目度くっそ高いのよ。そんで、まあまともな人の意見や、かわいいとかいうのもいるけど、変態もいるからね……嫌でしょ?」

「嫌すぎる。嫌にも程があるというか、学校行きたくないんだけど、どうにかならない?」

「その方がいいかもね……」

「いや、やっぱり行く。理不尽なんかに負けるわけにはいかないんだった」

「だったらお母さんに言ってタクシー代出してもらうといいよ」

「うーん、金で解決だな。今はそのぐらいは妥協するかなあ。まだ慣れてないしな」

 母はむしろ進んでそのお金を出してくれたし、ついでにいうと家の下には警察の人も見回ってくれているから、パトカーでも行けるぐらいなんだとも言われたが、それはさすがに嫌すぎた。

「じゃあ今日はまあタクシーで行くよ。できたらすりガラスの中が見えないやつがいいね」

 だが残念ながら普通のガラスだったので、横になって寝ながら学校に行ったが、正直快適だった。


 軽量化したかばんを担いで教室に入ると、やはりみんなが注目した。自分的に譲れなかったから男子の制服だが、下着はちゃんとつけてもらってきたから、変ではないはずだ。自分としては変な感じはするが、見た目は問題ないはず。

 相変わらず俺は特に表情も変えずに自分の席についた。周りの連中も普通に話しているように見せかけて、やっぱりチラチラと視線を感じる。また外に出て時間潰そうかと思ったが、昨日はそれで注目を受けたし、なんか知らんが追っかけられたのを思い出した。頭を抱えたが、同時に自分の中でシミュレーションを始めた。仮に自分が廊下を歩いていて、後ろからこう近寄られたらどうだろう。そこを回し蹴り一閃するわけだ。

 でも実際にそんな動きできるかなぁ、まだこの身体に慣れていねえんだ。体重もちょっと軽いかもしれない……。やっぱりここは武器か……カバンを軽くするべきじゃなかったかもしれない。学校に持っていってもいい武器って何? 防犯ブザーじゃいざという時間に合わないよ。

 ……などと考えていたらいつのまにか先生が来ていた。


 お昼時に神崎さんが耳打ちしてきた。女の子のささやき声が急にするとゾクッとしてしまう。

「糸崎くん、あのね、窓から見えるんだけど、マスコミっぽい人が来てるの」

「え、マスコミって何?」

「実は昨日も放課後来てて私も話を聞かれたけど、知らないふりしたんだ」

「あーそういえば写真も撮られてたんだっけ……」

「あ、もう知ってたんだね」

 どれどれと窓から覗いてみようかと思ったが、神崎が止めた。こっちをすごく見てるから、覗いたらバレるんだそうだ。彼女がそのさらに友達にお願いして、こっそり写真を撮って見せてくれた。

「うーん、記者っていうより、なんだろうなこの格好」

「すごく怪しいっていうか、インチキおじさんみたいだよね。絵とか売ってきそう」

 カモフラージュの可能性もあるが、カモフラージュで目立つやつというのもなかなかいないだろう。

「まあいいよ、ほっとこう。あんだけ目立つから、放課後もいたら裏から帰るだけのことだよ。教えてくれてありがとうな」

 そう答えると俺は話を切り上げて、小説を読み始めた。これ、面白いのもまあ面白いんだが、半分話を終わらせたいから読んでる。話は苦手なんだが、話を終わらせるのはもっと苦手だ。幸い、神崎さんはあんまり話を続けてくる様子はなかった。彼女は俺のことをよく知ってるんだったっけ?


「糸崎くん、だめだよ、まだいるよ」

 なんか、もうクラスメイトがみんな窓から覗いているのに、どうやらまだいるらしい。図々しいのかにぶいのか、それとも何か意図があるのか?

「ありゃこっちのことを撮影してるよ。配信してるみたいだ」

 そうクラスメイトの男子が言った。なんだ、記者じゃなくてそういうやつだったのか。ある意味余計厄介じゃないか。

「糸崎、俺たち見張ってるから、裏からこっそり出て帰ったらいいよ」

「見張ってて、動いたら捕まえてでもくれるのかい」

「いやそれは……まあなんか動いたら連絡するよ」

「俺の電話番号知ってるの?」

「教えて」

 なんか、教えたくない気がしたので教えなかった。調べればわかるような気もするが。どっか書いてなかったっけ。

 それはともかく、見張ってはくれるらしいので、効果があるんだかないんだかだが、それを頼りにして自分はこっそり帰ることにした。少し、ワクワクしないでもない。

「じゃあ、ここは任せるよ。頼んだぞ」

 そういうと男子を中心にワッと盛り上がった。特殊作戦みたいで面白いらしい。俺の味方になってくれるやつって意外といたのかな。それとも今のノリだけのことか?


 神崎さんだけがついてきて、学校裏から抜け出した。誰もいない。ように見える。

「大丈夫そうだよ。まあ何か来てもどうにでもなるけど」

 どうにでもなるというのは俺の根拠のない自信から出た発言だ。

「糸崎くん、だめだよ、私が先に行かないと、糸崎くんが人にバレたらだめなんだから」

 彼女はそう言うが、自分のことに他人を巻き込んだりするのは嫌だった。そもそもついてきてほしくなかった。まして……女子を先に行かせるなんて、はずかしい。

 とはいうものの、何事もなく家の近くまで来た。

「もう大丈夫だよ、家すぐだし、もうついてこなくても。これ以上行くと遠いでしょ? なんなら俺が送りたいぐらいだけど本末転倒だよな」

「う、うん。でも、まだ心配だな。できたら家まで行きたいな」

 これはどういうことだろうと考えた。こういうシチュエーションは恋愛小説で読んだことがあったかな。でも、俺にそんな色気のあるような話があるだろうか。そうでなくても、ちょっと押しが強いのは迷惑だなと思った。

「いいよ、もうひとりで帰るから。いざとなったら走って家に駆け込むしさ。なんなら防犯ブザーもあるよ。あんまりこれ使いたくないけど」

「でも、まだ身体がうまく動かせなくて体調とかも良くないんじゃなかった……?」

 それは確かに今の自分の身体に対する信頼っていうものがまったくない。走りづらいというかほとんど走ったことないし、歩いているだけでも時々つんのめりそうになる。

 でも、もうここまで来ると意地もある。

「いいから、いいから! ここまでありがとな! じゃ、またあした!」

 そう言って走り出し、まあ逃げ出したのだが、50メートルも進んだだろうかというところで、当たり前のように転んでしまった。これは、やべえと思ったところで、たまたま近くにいた男に抱きとめられた。

「危ない! 大丈夫ですか」

 お腹の辺りでがっちり支えられて一瞬だけ息が止まった。どうやら相手はたぶん同じ学校のやつで、もしかしたら先輩かもしれないが背が高くて真面目そうなイケメンで、しかもどうやらいいやつらしい。

「糸崎くん!」と神崎さんが追いかけてきた。「びっくりした、急に転んだのが見えたから」

「あっ、お友達かな? もうひとりで立てそう?」

 支えられたままぽかーんとしてしまっていた俺は急に男の顎に頭が当たるんじゃないかという勢いで直立した。

 多分当たらないはずだが、男は軽くかわすような仕草をしてから、何もなさそうでよかったと笑った。

「あの、糸崎くんを助けてくれてありがとうございます」

 神崎がお辞儀をした。男はそれに笑って返し、神崎の顔がちょっと赤くなった。なんで赤くなったなんて気がついたのか自分でも謎だが。なんか本当に、人生について考え始めたモルモットみたいな顔で俺は二人を見ていた。

「助けてくれてありがとうございました。失礼します」

 思い出したようにそれだけ礼を言って、俺は家に帰る道をまた走った。

「あ、待ってよ、ちょっと!」

 神崎さんが声を出したが、聞こえないふりをして帰った。


 一人で部屋で夕飯を食べながらやっと違和感に思い至った。あんな優しい態度、とっさに支えた時の身体への触れ方とか、表情とか声とか、そんな態度を取られたことがない。ような気がする。家族からはあったかもしれん。幼い頃に。でもとにかくそういう態度が気持ち悪い感じがしたし、どうしていいかわからなくなってしまった。俺に何を求めているというのだ。

 さぞかしモテるんだろうな、あのイケメンは。実に不愉快だ。でも美形の度合いなら姉の方が比べ物にならんほど美形だし。まあ性別は違うけど……。


 ネットを見てたら姉の画像が流れてきて、なんか話題になってんのかなと思ったら、俺の画像だったみたいだ。またどっかから写真を撮られている……。しかも、マイナとか呼ばれているらしい。愛菜の妹だから妹菜でマイナだと。確かにおっとりした雰囲気の、巨乳で、アイドル級の美少女についているのががっつり男の名前だったら嫌だなあ。ネットのやりとりを見てて他人事のようにそう思った。自分に思えねえんだよどうあがいても。

 とはいうものの、よく考えたら、こういう写真を撮ってるってのは、もしそいつがスナイパーだったら殺されてるってことだ。やべえよ。必要なのは防犯ブザーではなく、防弾チョッキだったのでは? カバンに鉄板を入れるってのを試すべき時かもしれん。

 ……実際鉄板っぽいのを引っぱり出してきて試してみたが、重すぎて心が折れるかと思った。力が弱くなってるんだから、筋トレからしないとだめかもしれん……。もしくは警察の人に話をしたら防弾チョッキでもくれるだろうか。くれないかもしれない。銃撃っつうのは俺の妄想だし……。

『愛菜の弟の姉の妹です……すべてをお話します』

 って動画を投稿しようかと思ったけどやめた。一発ネタ以上の何物でもない。どっちかっていうと俺が表明したいのは怒りだ。盗撮して勝手に名前をつけて話題にして金も稼ぎやがる。本人がどんだけ傷ついてると思ってるんだ、と言いたいがSNSのアカウントを持ってないから偽者乙ってなってしまうだろうな。自撮りを出せば一発だがそれは嫌すぎる……。姉の方から言ってもらうのがいいかもしれない。ただこういうのに巻き込むのも悪いかなあ。

 とかなんとか思ってたら姉が自分で俺についてのことを書いてくれていた。

「私の家族のことをネットであれこれ書くのはやめてください。特に盗撮はやめてください。犯罪です。強い精神的ショックがあるのに追い打ちをかけないでください。悪質なサイトを真に受けないでください」

 今どこにいて書いてるのか知らないが、ありがたいことだ。言われて思ったが、精神的ショックというのは大げさにしても、今日もひどく疲れた。あんまり人と話したわけじゃないが、注目されてたり、変な出会いがあったり、それにただいるだけでも疲れる。トイレに行って歯を磨いて寝るとしよう。家族にはなるべく合わないようにしてだな。

 ……学校の連中にも俺のことをいちいち見ないでくれって言ってやりたいな……。


 翌日。学校へ行くと、みんなが俺のことをマイナちゃんと呼ぶんだ。正確にはまだ校舎にも入ってない段階で、窓から発見されたらしく、誰だか知らん有象無象がそう大声で呼びかけてきた。

「低能ども」と俺は小さな声で言い返した。あいつらは何を言ったかもわかってなくて大喜びしていた。どこのクラスかもわからないし興味もねー。校舎に入り、防犯ブザーをこれ見よがしにいつでも引けるようにして、牽制というか威圧というか、しながら歩いた。遠巻きになんだか珍獣を見るような目で男も女も覗いてくる。たとえアリクイの威嚇ぐらいにしか見えなかろうがこちらは本気だ。自分の教室に入ると、クラスメイトはまだまともだった。いつもどおりのように見える。

 おはよう、と言われたので、うんと頷いて、席に座った。はあ……と深すぎるため息をついた。また写真を撮られたかな? やっぱり隠れながらきたらよかったかな。つい堂々と目立ちながら来てしまったが。写真ってのは防御力無視攻撃だから、回避するしか方法がない。顔を隠すとかだな……。いやむしろなぜそうしなかったのか。せめてマスクとかすればよかった。フルフェイスヘルメットがもっとも確実かもしれないが、逆に怪しいがな。

「大変だね、なんか」

 隣の席の男が話しかけてきた。隣なだけに、事件以前からたまに話をしていた。堺なにがしといったかな。別に特徴はないが、まずまず善良なやつだ。

「うん……本音言うともう帰りたい。ていうか転校したい。どっか遠くの、俺のこと誰も知らないとこに」

「残念だけどそういうとこはもうないだろうね……よっぽどの田舎ならあるいは?」

「さすがにそういうとこに一人で行って馴染めそうにないよ……」

「確かに、そもそも、よく考えたら、その……」

 急に堺は口ごもって、顔を赤くした。男が顔を赤くするのを見てもなんだか楽しくないな。といって昨日は神崎がそうなったのを見たが、それも楽しくもなかった。

「で、なんだよ。よく考えたらどうだって? その結論を教えてくれよ。言いにくいことなのか?」

 耳を相手の口元に近づけてやった。

「あの……あのね……」

 ものすごく言いづらそうにしてるのを辛抱強く待った。しかしこいつ、息してないのか?と思いながら待った。

「君、糸崎さんのこと、誰も知らない世界に行ったとしても目立つと思うんだ。だってその……美人で……可愛すぎるから」

 俺は驚いて顔を離し、堺の表情を見つめた。小さい子供みたいにうつむいている。

「それは客観的に見ての話? それとも堺くんもそう思うってことか?」

「僕もそう思うよ」

「そっか……」とつぶやいて、俺は正面を向き会話をやめた。

 そっかあああああああああ……。

 なんかすごくはずかしくなってきたし、いろんな気分がたくさんやってきて、今日は朝からもうまともに人と話せる気がしない。とても苦しい。

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