第2話

 自分の部屋でゲームでもやってたら時間が経って母親が帰ってきたし、更に時間が経つと姉も帰ってきた。別に出迎えるということもない。というか普段から自分の部屋にこもりっきりだ。とはいえ、さすがに部屋で用を足したりするような高レベルなことはできなかったので、しばしば出歩くこともある。喉も渇くし腹も減る。部屋に持ち帰って食べることが多いがな……。なんでかって、どうもうちの家族の顔を見ているとムカムカしてくるんだ。別に誰が悪いことはない。むしろそれぞれみんな優秀で順風満帆な人生を送ってるんだろうと思う。父親もまだ全然若いし、稼ぎもいいし、母親は美人で頭がいい。姉は言うまでもなく常に中心だ。あの、ここに俺がいる意味あります? ただでさえ女というのはおしゃべりだし、まして自分が華やかなというかおせっかいな話題しかないような業界に身をおいていることで、話すことが無限大にあるらしい。あれで、外ではクールなキャラで売っているから、気軽な話もできずストレスも溜まっているのかどうなのか知らないが、そういうのを家族もおとなしく聞いているどころか実に嬉しげにしている。俺にはそれは無理で、聞いてられんので黙って部屋にこもるようになった。その習慣は今となっては気楽でとってもいいんだが、もう少し小さかった頃は人知れず自分とか家族とかについて悩んだものだ。

 急にトイレに行きたくなった。部屋を出て向かっている途中の道で、姉の愛菜と顔を合わせた。

「うわ! 美少女がいる!」

 と叫んでくるから、こちらは苦い顔をしながらまずトイレに行った。出てもまだそこにいたので苦情を言った。

「あのさあ、同じ顔になっただけだろ。改めていちいち騒がないでくれないかな。何度も見ただろ、嫌になるよ」

「全然同じ顔じゃないよ。元々の武志っぽさがすごくあって、なんかのんびりした感じで優しそうで、癒やされる」

「のんびりって……俺ってそんなだったのか? つーかそんなこと今まで言ってくれたことがあったか?」

 姉は、ちょっとだけ考えて、「なかったかも」と言った。

 当たり前のようだが、姉は顔も身体もスマートでただ美少女というだけじゃなくかっこいい。歌もダンスもやる人だから。

 比べて俺はまあ平均というか平凡というか、まず比較するのが悪い。これと比較してしまうとどんな人間でもだらしないかのように見られてしまう。

「でもなんで胸だけそんな生意気に大きいの」

「知らない」

「うちの一家にそんな遺伝子があったのかなあ……」

「本来そんな要素がないとしたら、それは薬の悪影響だ。そういう風に俺の身体が変えられたんだろうな」

 姉は一瞬表情を曇らせ、がばと抱きついてきた。近年近しく話したことはあっても、物理的に抱きつかれるなんてことはなかったと思うんだが……。

「ごめんね、あなたがそうなったの、私のせいで、だから、私があなたにできること、してあげたいけど、どうしたらいいかわからなくて」

 涙声の姉は女優でもあるから感情表現が豊かで、ってのはひねくれた見方かもしれないが、そういうとこで俺も彼女につられて脈絡もなく感情が引っ張られてしまった。俺は彼女の薄い胸に抱かれて少し泣いた。


「……薄い胸は余計なんじゃ!」

 なんか知らんが頭を叩かれた。

「確かにそういうことちらっと考えたけど、口に出してないと思うんだけど、俺」

「お姉ちゃんにはなんでもお見通しなんだよ」

 といいつつなぜか両手で姉が身体を押してきて俺の部屋の前まで来た。

「あの、まだなんかあるの?」

 泣いてしまったからか、どうも一緒にいるのがはずかしくなってきた。

「頼みがあるんだけど……とりあえず部屋に入れてもらってもいい?」

「なんで……今まで俺の部屋に寄り付いたこともないのに」

「いや、まあ、今までは……きょうだいといえども……だったけど。ちょっと今、返してもらいたいものができて」

「なんだそりゃ?」

 やたらと強引に押してくるので、しょうがなく部屋に入れたが、どうもはずかしい。別に汚いわけでもないし、変なものも一応目につくところには置いてないし、そもそも所詮姉ではあるんだが、それでも自分以外の人間を入れる事態には対応していない。関係ないが人間じゃなくても虫とかにも入ってもらいたくない。虫は苦手だ。

「なんか男の子の匂いがする」

「そりゃそうだろうよ」

「こっちからはしないのに」

 といって姉は俺の首元を嗅ぎ始めた。いい匂いがするってのはこっちのセリフだ。やっぱりアイドルは普通の人間と違うのかな。単に何かつけているだけかな。

「で、お願いなんだけど、その……おっぱいを触らせてもらえないかしら」

「え、誰の? 俺の?」

「触るだけじゃなくて、ぎゅーって私を抱いて……さっき私がしてあげたようなことをしてほしいの!」

「女がそんなことして嬉しいの?」

「んんんんそれはわからないわ……。でも、私、憧れてたの。普段から。羨ましいって思ってた。だってみんな結構軽率に友達と触り合ったりしてるんだもん。でも、私はクールなアイドルだから、そんなことできなくて……! でもみんなの中に入りたくて!」

「自分で自分のことクールって……まあ外での愛菜を見てたら否定できないけど。でも難儀な悩みを抱えてたんだなあ……」

 いいよも悪いよも答える前に、押され押されてベッドに座らされてしがみつかれた。そして胸に顔をうずめてくる。

「うーん……これは……すばらしい」

 まるで小さな子供のようだが、それで極端に静かになってしまった。だけど妙に強い力がまだこもっていて、こてっとそのまま仰向けに倒された。それからというもの、俺の胸を枕にして、寝てるんじゃないかというぐらい動かなくなった。

 考えてみるとアイドルから押し倒されるなんてなかなか体験できないことだろうが、あくまでこれはただの双子の姉だし。でも双子の姉だとしてもこの状況はなかなかに変わっているような気もする。最近は話もほとんどしなかったし、男女の別を知ってからはこうやって直接触ることなんて考えられなかったんだけど……かといってそれで仲が悪いというわけじゃないのはわかっていた。話なんかしなくても。

 そんなことを考えていたら愛菜が「はあ……」と身体中の空気が抜けるみたいな長いため息をついた。よく息が続くなと感心した。

「あの、大丈夫? なんか死にそうな感じだけど」

「堪能しました……」

「もういいなら、離れてよ。いい加減こっちの息が苦しくなってきた」

「私、重かった?」

「ちげえよ、めんどくせえな。なんもしなくても胸が重いんだよこの身体はよ」

「……とてもよかったよ。満足しました。あんたの身体は私を癒やすためにあるんだと思った。って言ったら怒る?」

「怒るというか、おめえも嫌じゃないのか? 姉ちゃんのファンの悪意の結果だぞこれは」

「……そうね。弟をこんなにさせられて、許せない。ねえ、息が苦しそうだよ。ドキドキしてるの?」

「いや、圧迫されてたから、息ができんかった」

「ドキドキしてよ! この私がこんなに近くにいるんだから!」

「ああめんどくせえなもう。もう離れて帰れよ! 汗かいてきたよ」

「大丈夫? 拭いてあげようか?」

「いらん!」

 アイドルを部屋から追い返した。俺が男の身体を持ってたらお互い危なかったな。まあ持ってなくなったからこその行動なんだけど……。

 だけど、姉があんなことするとは思わなかった。よくわかんないけど女同士ってこんなもんなのかな。ふと、俺の部屋が姉の匂いになってしまっていることに気がついた。これは侵略行為だよ。


 父親が早めに帰ってきて、愛菜もいて、要するに珍しく家族が揃ったので全員で夕食を取った。なにやら父は楽しげだった。いつもは影が薄いというか軽んじられているが、確か以前見たネットでは「前世でどんだけ徳を積んだら姉の父親になれるのか」なんて言われてたと思う。その時は俺という邪魔者の話は出てなかった気がするが、まあ父親や母親は少なくとも存在するけど兄弟だの姉妹だのはいるかいないのかわからんものな。ぶっちゃけテレビでプライベートの家族の話してるのかとか知らんのでね。学校の連中は不思議にもどこからか伝わって知っているようなのだが、いったい誰が広めたのやら。その辺のつながりで、最初の誘拐犯もどういう関係の人間かとか、背後関係がもしかしたら洗い出せるのかもしれないが、そもそも犯人が白状すればそれで解決だ。でも俺にはそれはどうでもよくて心の底から知りたくない。見えないところで野垂れ死んでくれたらいい。

 何の話だったかな。この家は女が強いので、父親は普段はいるかいないかわからん。その点は俺も同じだが、俺は顔を合わせるのを避けるように生きてきた。今日は……ただ気まぐれで一緒の食卓についた。もらった身体をこんな身体にしてしまった負い目も……いや、間違えた。家族に対する負い目なんかは全然ない。どうせ誰も残念にも思ってないだろう。少なくとも父の方は跡継ぎを探すほどの家でもない。

 その父が箸を取ってくれとか醤油を取ってくれとかいうので、わざわざ取ってやると嬉しそうにありがとうと言ってきた。どいつもこいつも、今を受け入れすぎだ。変わってしまったことを悲しんでくれたのは……昼間のあいつしかいないのか。でもこっちはあいつのことなんて知らない。とにかくちょっと限界が来たので食卓を立った。

「残りは部屋で食べる」

 そう言ったが母親が「ああそう」と答えたぐらいで別に何もなかった。料理を作った本人がだいたいこういう感じだからいいんだろう。それにどんなものでもちゃんと残さず食べてるからな! 部屋でだけど。俺というのは中途半端な人間でグレるというとこまでいけない。スキャンダルになっちまう。こういう苦しみを誰もわかってくれないし小遣いも少ない。


 11時頃にもなって、寝ようとしたところ、姉が来た。寝ようとしてたどころかもう寝てたのに。電気は少なくとも消してた。眩しくて目の上に手を当ててたらすぐにまた暗くなって姉がベッドに入ってきた。

「わあ、なんだよ、何事だ」

「一緒に寝てあげようかなと……」

「なぜそうなる。なんかおかしいよお前、なんかあったのか?」

「あんたの身体以上のことは起きてないわね」

「また身体目当てで来たのか?」

「そうね……それは……否定できない」

「ひえっ、ちょっ……寄るな」

 俺は愛菜を追い出そうと身体を手で押したが、なんとも遠慮がちで効果は薄く、むしろ右手に身体を乗っけられてしまった。重たい。いや重くはない。すまん。

「変な意味じゃないからあ。ただ私と同じぐらいの美少女と初めて会ったからお近づきになりたいのよ」

「いやあんた何様??」

「トップアイドルだけど?」

「顔が同レベルならおっぱいが大きい分、俺が勝ってしまうんだが?」

「身体はよくても性格がちょっとね……それに、好みとかあるから」

「そういうこと言うならなおさら出て行け!」

「許して、後でお金あげるから、ね、いいでしょ。お金だよ。これくらいでどう?」

 指を立てているみたいだが暗くて見えない。

「見えんわ。悪いけど、俺は後ろ向くからな」

 よいしょと腕を引き抜くと、愛菜に背を向けた。それでも良かったらしく、姉はおとなしくなった。そういえば昔は一緒に寝てたなあ、と懐かしくも思った。何かの思い出が走馬灯のように流れていく……でもなく、秒で寝てしまった。


 早朝からごそごそと動くので目が覚めた。姉はさすがに朝が早い。俺は遅い。首も動かしてないのにすぐに気づかれて、起きた?と姉が呼びかけてきた。

「おかげさんでね」

「こちらこそ、お陰様でこんな気持ちのいい朝は久しぶりよ。私って孤独だったのね。頂点に立つものの孤独っていうのかな……後でお金も上げるからね」

「いらねえよ。っていうか、そのなんか……変な言い方やめろよな! わざとやってんだろ! だいたいこんなわけわからんことでお金なんか稼ぎたくねんだよ、俺の苦しみをわかってくれよ。こんな身体にさせられてよ。こっちは悩んでるんだ。それともわかってくれるつもりはないのか?」

「私思ったんだけど、武志は仮面ライダー好きでしょ」

「え、まあ子供の頃はよく見てたけど。ていうか一緒に見てたじゃん。急になんだよ」

「あれと同じよ。色々パターンはあるけど、仮面ライダーも、なんか悪い人に改造手術されて、でも頭もおかしくなる前に逃げるでしょ。そしてその力を使って悪い人と戦う。心に正義があれば大丈夫なのよ!」

「いったい俺は何と戦うっていうんだ……」

「悪に染まらないことがこれからのあなたの戦いよ。そして私を救って! 私を救えば大勢のファンも救われる」

「俺にお前のファンなんか救わなきゃいけない義理があるのか?」

 愛菜はやれやれというように首を振った。

「しょうがないわね。いっそお金のためでもいいから」

「そんな言い方されるとますますやる気が出てこない」

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