第4話

 近寄るなオーラを出し続けてどーにか今日の学校を終えることができた。こんな疲れることある? なんか腹筋とかつきそう。でも腹筋なんていくら鍛えても油断してるところを殴られたら死ぬのだよ。

 まあそれはいいんだが、帰るのも帰るで大変なのは変わっておらず、正直ゆっくりしてから帰りたいのだが、他の生徒が帰ってから出ていくと目立ってしまう。……と神崎さんに言われた。一緒に帰ろうと言ってくるんだが、まったく仕方ないなあ。彼女はもともと俺のことが好きだったって聞いた。今でもそうらしい。どうやら。悪い気はしないが、戸惑いもある。彼女は顔はまあまあ可愛い……いやかなり可愛いと思うけど、ぶっちゃけ今でもどんな性格とかよく知らないし……こないだ好きとか言われて初めて驚いたくらいだったから。

 それに、たぶん俺についてくるのは危険を伴うことで、それをしてくれるというのは並々ならぬ好意だとも思う。というかむしろついてこなくてもいい。

「そうだよ、別に俺についてこなくてもいいよ。危ないでしょ。俺一人だったらうまいこと隠れながら帰るから」

「本気? 普通に走るのも難しいのに……」

 神崎さんはなかなか痛いところをついてくる。やはり今日も学校の裏門から帰ることにしたのだが、ちらほら他の生徒もいる。その中に、なんか背の高い男がいた。

「先輩! 待ちましたか?」と神崎さんが嬉しそうにその男に言った。

「今来たところだよ」と男は答えた。

 ちょっと状況が飲み込めなくて俺は二人を見つめていたが、なんか既視感があって、それで思い出したがこいつ昨日のイケメンか。

「神崎さん、どういうこと?」

「あ、あの……先輩と一緒に、送ってあげようって話になったんだ。やっぱり男の人がいると安心でしょ?」

「俺も男だけど」

「男が一人より二人の方がいいだろう? 河野です。よろしくね」

 握手を求められたような気がするが、なんか気持ち悪かったのでポケットに手を入れて下を向いていた。

 すると神崎さんからマスクを渡された。そういえばこういうのをつけようと思っていたんだっけ。いつも忘れる。二人もすでに装備していた。

「まあ、とりあえずは行こうよ、糸崎くん。立ち止まってたら危ないしさ」

「危ないっつっても写真撮られるだけだし……」

 文句を言いつつも、流されるように歩いた。


 ふたりはとぼとぼと歩く俺に歩調を合わせてくれる。かと思ったら、急に河野が俺の斜め前に飛び出して「おい!」と言った。

「え、何々?」

 その先を見るといかにもオタクみたいな男がひとりこっちにスマホを向けていた。ああ写真を撮ってたのか……。まったく気が付かなかった。

 河野が大きめの声を出したからか、相手は逃げていった。

「先輩、ありがとうございます」

 神崎さんは礼を言ったが、俺は不安に思った。

「河野……先輩、あの、大丈夫ですか? あれ、ネットに流れるかもしれませんよ、先輩は男だから、変に叩かれるかも……俺もすでになんか色々言われてるし。もちろん神崎さんも気をつけないといけないし」

 神崎さんはあんまりそういうの詳しくないみたいで、「えっ、大丈夫でしょ」なんて気楽に答えた。河野もまたなんでもないように答えた。

「いいよ、女の子を守って僕が叩かれるならむしろ本望だよ。まあ、せっかく心配してくれるなら、立ち止まらず行こう」

 うながされて、俺も気持ち早めに歩くようにして、ちらりと上を向いて先輩の顔を覗き見た。俺が女なら惚れていたのかもしれないなあ……。

 そしたら先輩と目があった。すぐにそらしたが気づかれただろう。あいつ、俺と目なんか合わせててどうするんだ。周りを警戒してないのか?


 後は何もなく俺の家についた。

「ここが糸崎さんの家か。やれやれ、とりあえず無事についてよかった」

 表情はマスクでわからんが安堵のため息をつきながら先輩は言った。

「写真は結構撮られたっぽいですけどね。まあすれ違う人全員に怒るわけにもいかないし」

「写真はまだしも、僕はもっと誘拐とかそういうのがあるかと思ってたんだ。実はカバンに鉄板を仕込んでいてね……」

「あっ、それ、俺もやろうと思ってたやつ。重くないんですか? すごいなあ。ちょっと持たせてもらってもいいですか? 力持ちですね」

 俺が先輩のカバンとか腕に触ろうとすると、「糸崎くん」と神崎さんがおずおずと声を出した。ああ、ちょっと置いてけぼりにしすぎちゃったか。

「せっかくだから、二人とも、うちに上がってく?」

 何をお礼したらいいのかわからんが、お茶ぐらいは出せるかと思って声をかけてみた。

「だ、だめ」とっさのように神崎さんが言って、それからゆっくり喋りだした。「あの、私達が家にまで上がっちゃったら、また何を言われるかわからないし、今日はここで解散しようよ。それでまた、明日とか、来週とかも、またこうやって一緒に帰ろう?」

 言われて俺もお礼ですら相手のことを考えてなかったのかもしれないと感じてしまった。

「確かに、その通りだよな……。あ、いや、そうじゃない。ここで俺が暗くなるような話じゃない。わかったよ。じゃあ、今日はここで別れようか。ここまで一緒に来てくれてありがとう、先輩もありがとうございました」

「いや、またいつでも……」

 それで俺は二人と別れた。マンションのエレベーターを待って乗って降りながら思ったが、二人はそれであの後どんな風に帰るんだろう。一緒に帰るのか、それとも全然家が違っててすぐ分かれるのか。彼女らの家がどこなのかなんて俺は知らない。


 夜中、神崎さんから電話が来た。どうも別れ際が気になったらしく、変に暗い気まずい感じにしちゃってごめんなさいと言うのだ。いや、全然気にしてないよ、もう忘れてたし、また学校で会うしさと答えた。自分が喋った声がなぜか反響してスマホから耳に戻ってきて聞こえてくるのが不思議だ。電話の設定間違ってるんじゃないのか。

「でもなんでこんな遅くに? 今までずっと悩んでたの?」

「あ、うん……まあ、そう、なの。ごめん、確かにもう遅い時間だったね」

「別に全然いいよ。今マリオカートやってたんだ」

「あ、そうなんだ……私、ゲーム機持ってないからやったことないなあ」

「じゃあ今度……」うちで一緒にと言いかけてやめた。女子をうちに上げるのはなんかハードルが高い。「いや、なんでもない。また明日な。明日ってか来週か」

 俺、休みの日はどうすごすかな。まあゲーム三昧になると思うけど。指のトレーニングは身体にも良いんだな、多分。小説を読むのもまあ悪くない。

「じゃあ、またね」

 神崎さんが言って電話を切った。そしてマリオの続きを何回かした。

 神崎さんはもしかしたら、俺に何か言いたいことがあったんじゃないのかな。どうも今更にそんな気がしてきた。週末だからどっか行きませんかとか、そういうのもあったかもしれん。彼女は俺のことが好きっていうから。もしかしたらそうだったかも……と思うと急に顔が熱くなってきた気がする。もったいないことをしたかなあ。だんだん、彼女の顔とかも、かわいく見えてくるようになってきたところだから。もともとよく知らない相手だったが、やはり好かれると好きになってしまうものだなと、思ったりもしてしまった。


 週末は疲れもあってか少し体調も悪く、もともと行くことになっていた病院に行った。母と一緒にお医者さんの話を聞いたが、なにやら体内のホルモン的なやつがうまく出てないらしく、脳と身体とのバランスが崩れているらしい。男か女かどっちかに偏らせないとだめなんだと。そりゃ俺は男だと、いいたいところなんだが、その選択もだいぶ苦労するらしい。どっちを選んでも楽ではない。

「女の子になった方がいいんじゃないかしら?」

 母親が言うがどうも他人事な感じがする。俺の心と逆の意見に反発があるだけかもしれないが。近いうちに決めろと言われたが、まあ即答は逃れられたので、本当に人生を見つめ直さないといけないようだ。ちょっと話が大きいな?


 両親はどちらを選んでも全力でサポートすると言う。姉はまた俺の部屋にやってきた。

「もう女の子の匂いしかしないね……」

「お姉ちゃんからしたらその方がいいか? 大好きなおっぱいもあるし……」

「そんなこと……武志はずっと私の弟だわ。ねえ、今のままだとすごく苦しいの?」

「そこまで苦しいことはないけど……お医者さんが何が起こるかわからんっていうから……」

「男の心を選んだらどうなるの?」

「それは……性的に普通の思春期の男子並になって……自分の裸にも興奮してしまうような感じになるとか。恋愛もどうしても男には興味がまったくない、いや今でもすごく嫌だけど、そういうわけだから我慢して男と付き合うわけでもなければ、まあ肉体上は、女同士の恋愛しかできないわけだな。今はどっちつかずだからまだいいけど、お姉ちゃんにも結構やばいからまた抱きついてこられたら困るようになるな」

「あっ、そうなんだ。ふ~~ん。私は困らないよ」

「困るよ、あんた綺麗でいい匂いするんだから。あのねえ、自分でもあんまり考えたくないけど、最悪の場合、身体自体を結構工事して多少なりとも男に近づける必要があるんだ」

「ひえっ、こわすぎ。やめてよそんなの。やめよう? 私と結婚しようよ。双子の姉弟だけど。私、あなたのことが好きだし」

「待って、そんなの初耳。驚かせないでくれよ、冗談だろ」

「冗談じゃないし、証拠を見せてやる」

 そして姉は、愛菜は俺の口に口をくっつけた。それはとても甘く、官能的で……あったんだろうけど、自分はあんまり感じなかった。しかしまたも力が弱くベッドに押し倒された。

「ちょっと、やめてよ。離して」

「あんたがこうなったのは私のせいだし……私が責任をとって一生大事にしてあげたいって気持ちがあるの、わかる?」

「わかるような気はするが、急すぎる。重い、重いよ。とりあえず上からどいて」

「重かないわよ! このまま、今からこの身体でもできることってのを教えてやる!」


 しばらく後、俺たちは裸で姉だけが泣いている。

「私だけが良かった。あんたは全然ダメなのね」

「そりゃそうだよ。例えばお医者さんが異性の裸を見てもなんとも思わないでしょ。興奮が伴わないんだから。でも、僕はお姉ちゃんの気持ちは嬉しかったよ。それは伝わったから。ただ順番が違ったんだよ」

「じゃあ、あとでなら私と一つになってくれる?」

 なんだか見たこともないような姉の不安そうな顔だ。だが女と女でどうやって一つになるというんだ。とはいえ女と男なら余計だめだ。だって俺たち双子なんだから、倫理的に以上に生物的に……。

「実は、今気になってる子がいるんだ。ああ女の子だよ。俺が男ならその子と付き合ってもいいなと……思うようにもなった。相手は俺のことが好きだって言ってくれたけど、それは男の俺で……今もそうかはわからないけど、でもすごく好意を感じるから」

「その子の方が大事ってことなの?」

「いやだってお姉ちゃんはお姉ちゃんだろ。冷静に考えて……。付き合うっていうのはおかしいでしょ? マスコミやらファンやらうるせーのになんて言われるかわかんないよ?」

「別に、なんか言われたら引退するし。どうでもいいわ」

「親やマネージャーさんがなんていうか……」

「そんなのは私がどうにかするのであなたは心配しなくていいのよ」

 すっかり覚悟完了しているようだが、ドン引きである。まあいいや。

「そろそろ一人にさせてほしいよ。また学校行ってから、色々考えるからさ。お姉ちゃんのことも含めて」

「あんたもよくそんな冷静にいられるようになったものね。まあ、私も忙しい身だから、部屋に戻るわ。でも、私の気持ちを忘れないでね」

 そう言って部屋を出ていったかと思うとすぐに戻ってきて、一緒にお風呂に入ることになった。子供じゃないのにはずかしいけど、なんかすごくにおいがついちゃってるんだって……。


 いつものように男子制服に着替えて家を出た。顔がいいから何を着てもさまになる。マイナちゃん、と呼びかけてくるのを無視はしきれずちらっと見るが、子供だった。一瞥して歩みを続けるが、ちょっと冷たく見えたかな。マスクで顔を隠すようになったから、表情もわからないし。いや、別に微笑んでたってわけでもないが。だいたい俺がサービスしてあげる必要があるのか? それよりなんであんな幼稚園児みたいなのが俺を知ってるんだろう。不思議だ。You Tubeで芸をやってるわけでもないのに。愛菜の妹だと何もしなくても人気になるのかねえ。いや、人気とも限らない、単に名前を呼ばれただけで子供も無表情だったし。むしろ全然喜ぶとかしてないし、ありゃ本当に見つけただけだ。やっぱりこの格好おかしいのかな? そもそも親はどうした。俺なんかに近づくと巻き込まれるぜ……なんかに……。


 無事、いつも通り学校についた。いつも通りというのが変なやつに声をかけられるというのを含めてだが。朝は自分は気まぐれな時間に家を出るから、というかかなりギリギリに出るから、道中はほとんど他の生徒もいない。代わりに学校につくともううるさい、喋ってる言語がまったく判別できない。でもマイナとか言われるのは聞き取れるようになってしまった。これ別に俺の名前でもなんでもないんだが?


 ほぼ自分の席から動かぬままに一日を終えた。どうしても必要な時は……まあ影を薄めること忍者のごとく……イメトレの効果が出ていたらいいが。

「じゃあ、帰ろうよ」と神崎さんが声をかけてくれるので、ちょっと待ってと俺は言った。

「実は、話があるんだけど。割りと大事な」

「えっ、いいけど、ちょっと待ってね」

 神崎さんはスマホを少しいじった。

「OK、それでどこでお話する? 悪い話じゃないよね……?」

「俺にとってはどうなるかわからないかな」

 学校のどこかいい場所があるかっていうとあんまり思いつかなくて、結局自分の教室の隅っこの椅子を借りてふたり、話を始めた。

「とはいえどう話を進めたらいいものか……プレッシャーを与えたくないから、説明するより本題に入った方がいいとは思うんだけど、俺のプレッシャーは変わらないんだ」

「なに? なに? 怖い話? でも私どんなことでも引いたりしないよ、大丈夫だよ」

「そう言ってくれると……嬉しい。あの、つまり、つまりなんだけどね」俺の顔が真っ赤になったと思う。これは性的な興奮ではなく、緊張と照れと、色々だ。少し一息おこう。

 息をゆっくりと吐いた。夕焼けの中の神崎さんは、美しい。心の美しさだと思う。俺は心は別にだが顔はかなり美しい。そんなことはいい。

「実は、神崎さん、俺を好きって言ってくれたよね。俺も、好きになったんだ。恋人になってほしいんだ」

「……ええ」

 いいよっていうニュアンスではなく、戸惑い。まあ急な話で戸惑うのはわかる。ゆっくり待とうと、思ったらすぐに彼女は喋りだした。

「糸崎くん、ごめん。私は、男の子と恋愛がしたいの……。糸崎くんの、いいえ、糸崎さんのこと好きだけど、もう恋愛の相手としては見られない。ただ、すごく生活が大変だと私が思ったから、それでずっと助けたいと思ってはいたけど」

「あっそうなんだ……。俺、俺の心はまだ男なんだけど、それでも駄目かな?」

 彼女は悲しげにうつむいて答えた。

「それに、実は、今私は河野さんが好きになってしまったから」

「河野さんって誰? クラスメイト?」

「えっ、あの、いつも一緒に帰ってくれる先輩、背の高い……」

「ああ、いやわかってたよ。知ってた。ちょっとびっくりして……」

「ね、糸崎さん、私たち、お友達ではいられないかしら?」

「どうだろうな。ちょっと大事な話がもうひとつあって、俺、なるべく早く性別を選ばないといけなくなったんだよね」

 俺は彼女に簡単にその話を説明した。

「じゃあ、私と付き合うなら男になるつもりだったの?」

「いやそんなプレッシャー感じなくてもいいけど、ひとつの判断材料でね、あくまでね。その場合、俺の心は今と大きな変化はないけど身体がちょっと変わるかな」

「女になったらどうなるの?」

「そしたら、俺っていう存在は消えてなくなるかもしれんね。どうなるかよくわからないんだ。でも、たぶん普通に男が好きになるんだろうなあ。もしかしたら、先輩のことまかり間違って好きになってしまうかもしれない……そんなことはないと思うけど」

 神崎さんは最初驚いて、そして不安げな様子で答えた。

「いえ、それあるかもしれないわ……だってあの人かっこいいもの。私糸崎くんのこと好きだったけど、同じぐらい好きになったもの。そしたら最高のカップルになっちゃう。私なんて……」

「なんか複雑な気持ち。まあ、いいや、そういうことなら、もうなるべく会わないようにしようよ、お互い。俺もあいつに惚れたくないから。そんなことはないとは思うけど」

「……そうね……ごめん、こんなことになってしまうなんて……でも……。でも、今日は送らせてくれる? まだ大丈夫なんでしょう?」

「ああ、全然問題ないよ。言い忘れてたけど、うちの姉がね、愛菜が女になれってうるさいからそうしようと思うんだよ。それに、ネット見るともうなんか俺がすでにアイドルみたいになってるし。あの馬鹿どもをがっかりさせるのも悪い気もするし。そんなことはないか。まあそうなったら、男がうざいから転校して愛菜と同じ女子校に行くかもしれない。笑っちゃうけど。でもちょっとそれも楽しみだったりする」

「そうなんだ。あはは。それじゃあ、私にだけこっそり、どんな風に過ごしてるか、教えてよ」

「まあ、面白いことがあれば教えてあげるよ」


 二人に送ってもらって家に帰った。本当に自分はやり遂げたと思った。こんな苦しいことがあるだろうか。途中気分が悪くなりそうだったのを一生懸命隠してた。特にあの男と話したくなかった。女になんかなりたくねえ。女子校に行くのが楽しみなわけがあるものか。無責任にネットに書いてるやつは糸崎武志という男がいるってことを誰一人考えもしていない。かわいそうな男だよあいつは。

 失恋したんだ、俺。でも失恋だったのか、まず恋だったのかよくわからない。ただ、ちょっと苦しいな。なんだかばかばかしい。あいつのために自分の人生を左右しなくてよかったのかもしれない。

 なんてことを考えてるんだ。人を悪し様に言っちゃいけない。そんなことだからフラレたんだぞ。いや……関係ないかな……。愛菜に左右されるのはどうだろう?


「では、女性を選ぶということでよろしいですね?」

 お医者さんがそういうので、はいと答えた。でも念のために聞いておきたいことがある。

「身体を男に近づけるのと違って、女になってもあとからその、やっぱり男に……ってできるんですよね?」

 どうも不安なことに、中年の男性のお医者さんは少し考え込んだ。

「確かに可逆的でないこともないが、はたして一度変わってから戻るのがいったい本当に元の人間なのだろうか……。ただでさえ心は身体に引っ張られるというのに、ましてこの……」

「どうなんですか……?」

「なんとも断言できません」

「じゃあ、どうにでもなるってことですか」

「そうでないとも言えない」

「この方は名医なのよ」と横に座っていた母親が言った。


 さっさとその手術は終わった。手術っていうより投薬というか。今はなんにも変わった感じがしないが、一晩寝て起きたらもう別人……かもしれないらしい。今日は入院。

「お姉ちゃん、手を握っていてくれる?」

 手を伸ばすと愛菜が握り返してくれた。一緒に泊まってくれるらしい。俺の手は少し震えているようだ。

「俺、男なんかと恋愛するようになるのかな。考えてみると、本当は女との恋愛もちゃんとしたことがなかったかもしれない。俺の人生なんだったんだろ」

「武志はお姉ちゃんのこと大好き、お姉ちゃんと結婚するって言ってたじゃない。私もあなたのこと愛してるよ。それに、男に戻りたかったらいつでもお姉ちゃんが男にしてあげる。男になるには最高の女だよ私は。たぶん」

「でもそれにしては胸が小さい」

「腹がたつけど、今だけはその発言許してあげる」

 明日はどんな風に目が醒めるのだろうか。武志なのか……それともマイナとかいうやつなのか……もうすでによくわからないが……。きっとこの手はまたつなげられるだろうと、それだけが安心できた。

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遠くの自分 こしょ @kosyo

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