第14話

十四話

 見たくもない光景が、目の前に広がる。地面は赤に染まり、大好きだった人は動かなくなった。必死に、必死にその人の名前を呼ぶが、その人からの返事がない。それが、生命が終わった事だと認識するには、馬鹿な私でも分かった。


 その犬は『つばき』と言い、私と同じような見た目の犬だった。毛並みはすごく整っていて、毛色もまるで名前に劣らない程に綺麗な赤色をしていた。


 私は、まるで私がご主人を召喚するように、あの場所でつばきさんに召喚された。つばきさんの後を継ぐためだ。『イヌガミの村』の平和を守るという、任務の後を継ぐために。


 しかし、私は大きな過ちを犯してしまった。正しく後を継ぐことが出来なかった。あの時、あんな事をしなければ……。


 約束を……守っていれば……。


 広い草原の上に、眠っている一人の少年と、宙に浮いている一つの球体がいた。球体には大きな口がついており、その姿は、『種』を思わせるような不気味な見た目をしていた。

 球体についている大きな口は、笑みを浮かべているように口角が上がっており、今にでも笑いだしそうだった。


 球体は、眠っている少年に向かってこう言った。


 早く君が食べたい、と。


「でもまだァ~?まだァ~?もっとォ~?もっとォ~?混ざり合ってからァ~?あァ~?」


 球体は機嫌よく笑いながら、梅の周りを、くるりくるりと自身も回りながら周っている。そんな異様な光景をさくらと村長は魔法陣で見ていた。

 さくら達は今、イヌガミの村にある洞窟の中にいる。この洞窟は昔からあったわけではなく、さくらが急遽作った物だ。


「嫌な展開になってきましたね……」


 さくらは村長に言うと、村長は「そうだな」と頷いた。


「私がつばきさんだったら、こんな事にはならなかったでしょうね」


「そんなこと言わない事だよ、さくら。良く頑張ってくれてる」


 村長は「それに」と続く。


「今回の作戦だって、さくらが考えたものじゃないか」


 村長にさくらに優しく言うと、さくらは悲しそうに天井を見上げ、

「穴だらけですがね……」

 と呟いた。


 さくらは「そもそも」と続く。


「あいつが生け贄の近くに現れず、ずっと隠れていたままだったら、私の作戦はそこで終わってました」


「やっぱり、私じゃなくてつばきさんだったら……」と、さくらはそう言いかけた時、村長が「さくら」と、止めた。


「そんなに自分を卑下するものかない。球体は生け贄である梅くんの元に現れた。これは紛れもない事実で、さくらは賭けに勝った。それでいいだろ?」


 村長はさくらに微笑んだ。さくらも一呼吸置いた後、


「ありがとうございます」


 と言った。


 長いような短いような時間、無音が続く。それはまるで、誰かに黙祷を捧げているようだった。


「あのな、さくら」と、その無音を破ったのは村長で、さくらは「はい」と返事をする。


「ごめんな。本当に、色々と押し付けてしまって」


「大丈夫です。これが私の償いですから」


 村長は「すまない」と呟いた後、直ぐ様


「絶対、助けよう」


 と力強い声で言った。

 洞窟の中だからか良く響く。

 さくらは村長が拳を握り締めているのを確認し、「えぇ、絶対」と答えた。


 村長は別の用事があるようで、さくらは新しい魔法陣を作り、村長をそこへ行くように言う。村長は別れ際に「ありがとう」とさくらに微笑んだ。さくらは微笑み返し、村長は魔法陣に入っていった。


 さくらは一匹になった洞窟の中で、さくらは大きく溜め息をつく。


「今は私が『イヌガミ』なんだ……頑張らないと……」


 さくらは口調が戻っているのに気づく。


「ファイトです。私……」


 その言葉は何処か寂しく、洞窟に響いた。


 気を取り直し、さくらは魔法陣を覗く。球体は梅の上を、くるりくるりと自身も回りながら、梅の身体をなぞりながら周っている。

 さくらは少し、ほんの少しだけ腹を立ててが、「冷静冷静」と自分を落ち着かせた。

 そしてさくらは、昔の事でも思い出しながら、魔法陣を出した。


「さてと、寂しがり屋のご主人を、いつものように起こしに行きましょうか……。そうだ、事が全て終わったら、あの時朝のように、散歩にでも連れていって貰いましょう」


 さくらは毎朝梅の顔を舐め、起こしていた時の事を思い出す。寝ている時の梅は、笑みを浮かべつつ、涙を流していた。そしてその涙を舐め、梅は起きる。これが梅と出会ってからの日課だった。その時は分からなかったが、今なら分かる。きっと寂しかったのだろう。

 毎日毎日、家に帰り、もういない両親の帰りを待つ。一日の終わりには、ベットの上で必死に涙を堪えながら意識が失われるのを待つ。

 そんな日々がきっと続いたのだろう。

 その証拠に、さくらと梅が出会った時、その目には光が無かったのを覚えている。

 今思えば、死にたいと思う感情と、両親に助けられたこの命を粗末には出来ないという感情が、混ざりに混ざって考える事を放棄しているようだった。

 そんな梅にさくらは近づく所から、さくらの『物語』は始まった。

 それから紆余曲折しながら一人と一匹は歩いていき、さくらのご主人は運命の人と出会う。それが八重だった。そして、泣いたり、笑ったり、怒ったり……そして最後には笑って終わる。そんな人生が送られる予定だった。

 しかし、あの時、あの場所でその幸せは奪われてしまった。

 さくらはずっと後悔をしていた。あの時、吠えていれば、あの時、何かしらの方法で二人に気づかせていれば、もうちょっとマシな未来になっていたかも知れない。


 もう、あんな八重は見たくない。


 魔法陣を出した所は自分の住処の近く、村長達が住む家の近くだ。それは作戦を悟られないためで、なかなか帰ってこないご主人を偶然見つけた風に装う為だ。

 少し時間が経ち、さくらは梅を見つける。梅の上にはまだ球体は回っていた。それを見えない振りをしつつ、「ここに居ましたか」とまるで探し回っていたかのように振りをした。

 球体はさくらの存在に気づき、その大きな口の口角をあげる。そして、何かを言おうとする。さくらはそれに被せるように、「さて、帰りますよ。ご主人」と言った。


「お久しぶりィ~?」


 そんな声にさくらはまた被せる。


「おや、手を怪我されてますね……ごめんなさい。私は治癒出来ないので、それはまた今度」


 さくらのその行動に球体は少し口角が下がる。すると突然、「さくら」と女性の透き通るほどの綺麗な声が聞こえた。

 その声には聞き覚えがあり、さくらはその声の方向を見てしまった。


「やっぱり、聞こえてるじゃないですか」


 またしても、透き通る声が聞こえる。やはりその声は、さくらの信頼していたつばきの声に似ていた。というかそのままの声で、まるで、つばき自身が喋っているようだった。

 さくらは数秒間、固まったかのようにその場から動かなくなってしまう。

 様々な感情が一つ一つ、空っぽだった容器に個体のまま落ちていく。怒り、悲しみ、喜び、それらは混ぜようにも混ざらない。どうも気持ちが悪いので、ガチャガチャを回すように、その中にある感情を抽出する。何でもいい、何でもいいから、この感情をハッキリさせたい。数回回した後、出てきた感情は……


 怒りだった。


 さくらは唸り声と共に大きく吠えた。相手に敵意を剥き出しだと一つ聞けば分かる程の低い声だ。歯は剥き出し、姿勢は低く、目の奥には球体しか映っていない。


「どうしたの?さくら?」


「その声で私の名前を呼ぶな!!」


 さくらの怒号に球体はその声で、綺麗に小さく「フフフ」と笑った。そう笑っている間も本体である球体は、満面の笑みのままだ。


「良い子良い子、ですよ。さくら」


「うるさい!!」


「もう、本当に仕方のない子ですね。先程の行動といい、少しだけ、お仕置きが必要みたいですね?」


「お、お仕置きって……」


 さくらが言い終わる前に、さらに、その体が引きちぎれる程さらに、口の端と端を引っ張り上げる。そして、言葉を放った。


「どうして私の事を見捨てたの?」


 と、いいながらさくらの耳元に近づく。途中、さくらは「来ないで!!」と叫ぶが、そんな言葉は球体は無視をした。


 そして……


「何で私との約束を破ったの?」


 と、その綺麗な声で囁いた。さくらは何かを言おうとしたが、その言葉を遮る。


「貴女のせいで痛かったですよ……そう痛かった。噛みつかれて身体中に激痛が走った後、噛み千切られて、それでまた痛みが走るの。それが何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も……骨がミシミシっていう音と同時に、骨としての機能を失っていくあの怖さ……生命が終わっていくのを、身体を通して伝わってくるこの怖さ……分かります……?分からないですよね?だって貴女は私が死ぬまで見ていただけなんですから、それどころか……」


 球体が全てを言い終わる前に、さくらの心は耐えきれず、感情の器は破裂し、中にあるものがドバドバと泥のように出てくる。


 さくらは何度も強く吠える、それと同時に感情が一つだけになった。それは……


 『殺意』


 メリットも、デメリットも、何も考えなくなっていた感情が持ち出す『殺意』。


 そうだ。こいつを殺せば。こいつを殺せば全てが終わる。終わる。終わらせる。絶対に。


 それと同時に悲鳴が聞こえてくる。聞いた事があるその声で、さくらは我に返った。

 気が付くと、さくらは球体に噛み付いていた。そのナイフのような鋭い牙で、球体の体を貫通させていた。

 球体は笑っている。こいつの悲鳴ではない。ではいったい誰の悲鳴だ。そう考えると同時に答えが出た。

 脳が考えるのを拒否する。

 あれだけ緑だった地面が真っ赤に染まる。それは真下にいる梅の腹部から出ているようで、前足で触ると、ちょんと音を立てた。どうやらそれは夢ではないようだ。


 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……


 そんな言葉だけが脳を埋める。そして、さらに追い討ちをかけるように球体は口を開いた。


「また……やってしまったね……?」


「あ……あぁ……」


「あの時も、こんな風に皮膚を貫通させて私を食べたのでしょう?どうでしたか?美味しかったですか?」


 さくらはずっと「あぁ……」としか言わない。


「貴女がやった事でしょう。貴女が未熟だから、引き起こした事でしょう?」


「ちが……」と否定しようとするさくらを、球体は否定する。


「違いません。貴女は私を通して守りたかった相手を傷つけた。それは紛れもない事実でしょう?それは言い訳できませんよね?出来ないはずですよね?なのに貴女って人は……」


 噛みついていたはずの球体は、いつの間にかさくらの目の前にいる。幻覚なのか、それがだんだんつばきに見えてきた。

 見とれるほどの綺麗に整っている毛並み、それにはその名に恥じぬような、赤色の毛色をしたつばき。


 さくらは「どうすれば?」と聞いた。すると答えが帰ってくる。


「簡単です、諦めればいいんですよ。諦めて、何も抗わず、何も考えず、この少年を球体に差し出して、それが終わったらまた別の者を球体に差し出して差し出して差し出して差し出して差し出すだけの……従順な犬になればいいんですよ。それが私への償いだと思いませんか……??」


 『諦める』その言葉が、何度も何度も脳に繰り返し流される。この答えは正しくない。それは分かっている。だけどもうこれでいいのではないか?もう何が何だか分からなくなってきた。


 あれ?何のためにこんな事をしているんだっけ?何でこんなにも苦しい思いとか、悲しい思いまでして何をしようとしていたの?


 考えれば考える程はっきりとしない、だったら、もうつばきの言うように何も考えず、ただひたすら生きているかどうか分からない状態で生きていこう。


 そうやって逃げて逃げて逃げ続けて、何かも台無しにした後、きっと後悔の道に進む事だと分かっていても。


 さくらはふらふらと前に進んだ後、意識を失った。一つ残った球体は、にやにやと数秒間大笑いするのを耐えた後、我慢できずにその場で勝利を確信したと大笑いする。

 さくらの牙で向こうの方が見えるまで空いた箇所は、はいつの間にか塞がっており、それと梅の傷も、まるで最初から無かったかのように塞がっていた。


「やっぱりィ~?生きるのって最高だなァ~?」


 そう生を実感しつつ、先程よりもさらに大きな声で笑った。

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