第12話

十二話

 日が暮れ、夜になった。外はすっかり静になり、物音一つない家の中からは少し強い風の音と、風に揺られる草の音しか聞こえない。

 さくらはいま村長達の迎えに行っており、いない。なので梅は、リビングにて椅子に座りながらその帰りを待っていた。


 梅は魔法の使いすぎで疲れたのか、こくりこくりと頷くように頭を動かし、今にでも寝そうだった。


「ふぁぁ……」


 梅は大きく欠伸をする。ここまで疲れたのも久しぶりだった。何年前だったか、いや、もう二百年以上も前なのか、梅にはあまり実感がなかった。


「二百年……か……」


 そのワードが頭に残る。


 女神様が二百年経っていると言っていた。それが未だに信じられない。梅からしてみれば、車に轢かれた後、すぐに女神様と会いこの世界に転移してきたのだ。


 しかし、自分達の上位にいる存在、『神様』が言うのならそうなのだろう。


 今はそう納得するしかない。


「八重……」


 梅は呟く。それは今現在寂しいからか、はたまた他の理由があったのか分からない。しかし、それに続いて浮かんでくる事が確実にあった。


 八重はこの世界にくるまでの二百年間何をしていたのだろう、と。


 さくらはこの世界に来る前に『色々あった』と言ってた。八重も『色々あった』のか……本人に一回聞いて、少しでもはぐらかされたら聞くのを辞めよう。人には言いたくない秘密があって当然だ、それを無理矢理聞くのは人としてどうかと思ったからだ。


「僕にだって言いたくない秘密とか、思い出したくない記憶だってあるもんな~」


 と、眠気を吹き飛ばす為に、背もたれに寄りかかりながら体を伸ばす。これが絶妙に気持ちが言い。


 梅は気の抜けた声を出しながら、その気持ちよさを全身で味わいながら、昔の思い出に浸っていた。友達や両親との楽しい思い出……出来るだけ楽しかった、嬉しかった思い出を思い出す。


 そして、ある程度思い出に浸った後、体制を戻した。


 そういえば、さくらは全部話すと言っていたが、それは果たしてここに来るまでの事も全てなのか、それともこの村、『イヌガミの村』の秘密の事だけなのか……。


「まっ、その時になったら分かることだから今は考えなくていいか……」


 もうネタが無くなってきた。


 村長達はまだなのかと思う梅。


 無心でさらに何分か待ってもまだ帰ってこない。


 梅も迎えに行きたいが、さくらも向こうに行っているので行けない。それに、下手に動いてしまうとすれ違いになってしまいそうで怖い。


 梅に残っている選択肢は待つという事だけだ。


「生け贄か……」


 梅は机にうつ伏せ、一言呟いた。


 生け贄……そう言われても実感がない。


 本来なら梅は試練をクリア出来ていた。目の前には出口があったからだ。木と木の間が入り口と同じような間隔で取られ、その片方の木には『おめでとう!』の文字が書かれていた。しかし、梅の目の前でそのすぐしたに、あの文字が追加された。


 『生け贄に選ばれた』という文字が。


 理不尽だ。


 どれだけ嘆こうが結果は変わらないのは分かってる。分かっていても嘆きたくなるのが人というものだ。


 梅は軽く拳を握った。


「これで良かった……うん」


 これで、ダイが生け贄になることは無くなった。それは喜ばしい事だ。あぁ、これを存分に喜ぼう。いいじゃないかこれで。


 でも……


「やっぱり……」


 我が儘だって分かってる。


 どちらかというと梅は幸運な方だ。


 人間の命は一つしかない、本当だったらあの時から梅はもう二度と八重とさくらと会うことない筈だった。しかし、梅はもう一度会うことが出来たのだ。これだけで超がつく程幸運だろう。そうだ、それだけで運を使い果たしてしまったのだ。


 生け贄にだってなってもおかしくないくらいに……。


 梅は生け贄になることを受け入れようとした。しかし、本能がそれを拒否する。


「生きていたいな……」


 涙が出そうになる。


 しかし、それをグッと抑え込んだ。


 一回目の死は突然に起きた。だが、今回の死は死ぬ事が分かっている死。それがこんなにも辛い事だったなんて分からなかった。


 梅は、そんな事を考えていると、突然家のドアが開いた。梅は体をビクッと跳ねさせる。声も出そうになったが寸前で止めた。

 ドアを開けたのは八重だった。八重は走って帰ってきたのか息を切らしている。あそこまで息を切らしているのは、この世界に来てから初めて見た。


「梅!!」


 八重が息を切らしながらも梅に近寄る。そして、強く抱き締めた。急に抱き締められた梅は、少し驚いたが、すぐにその理由が分かった。


 体が震えていたのだ。息も切れ、体が震えている一人の少女に今梅は抱き締められている。八重は心配になると、自分の信頼している物を抱く癖があるのだ。


 何だか心臓の動きが速くなってきた。これは恋なのか、安心からなのか良くわからないが、とにかく、心臓の動きが速くなった。抱きつかれているという事は信頼されているという事だから、これは喜んでいいという事なのか?あぁ駄目だ、考えが纏まらない。


 …………


 ただ一つ言えることは、こうされている事は梅にとって嬉しいものだった。


 しばらく無言が続く。梅が聞こえるのは息を切らした八重の呼吸をする音と、これが梅の心臓の音なのか、八重の心臓の音なのか分からないが、速く脈打つ心臓だった。


 出来ればずっとこうしていたい。

 梅はそう思った。


 息を整えた八重がぼそりと呟く。


「生け贄に選ばれたって本当……?」


 八重の声は震えていた。怖いのか、辛いのか、今にでも泣きそうなのか……おそらく優しい八重の事だから全てだろう。


 少し梅は躊躇う。


 八重の泣くのが予想つくからだ。


 八重の泣いている顔を見たくない。泣かせたくない。


『何を今更』


 心の中で誰かがそう言った気がした。


 ゆっくり息を吸って吐く。


 言うべきだ。


 そう思って梅は口を開いた。


「うん、僕も突然の出来事だったからあんまり実感は無いけど……」


「選ばれたみたい」


 ごめん。心のなかでそう強く思った。


 それを聞いた八重は、「そっか……そっか!大丈夫だからね!」といつもの明るい声で答える。

 梅は少し驚いた。予想していた答えとは違ったからだ。梅自身も決して涙脆くは無いわけでは無いが、八重よりも強い自信があった。


 なのに、どうしてこんなにも泣きそうになるんだろう。


『泣きてぇ時は、泣いていいんだぜ?我が息子よ』


 突然、今は亡き父の声が脳裏に浮かんだ。


 その言葉にこう返した。


『僕にだって男の意地がある』と。


 父はいつものような大きな声で笑い、大きな手で頭をゴシゴシと、何かを洗うかのように撫でてくれた。


 あの時もそうだった。


 事故の日。何処にご飯を食べに行くかを決めるために、対戦ゲームで一勝負をしていた時の事だった。


 父の使うキャラ、父の行う操作等を全て記憶して挑んだのに、それでもコテンパンにされた。梅が落胆していると、あの大きな手で頭を撫でてくれた。しかし、梅の記念日だったため、母に酷く怒られ、店を変えてくれた。


 両親ともあまり休みが取れない職業で、休みが取れた日には、父に対戦ゲームを挑むのがお決まりだった。


 勝負を挑めば大人げなく勝ってくる。それが梅の父親だった。じゃんけんだって父には一回も勝ったことがない。どうなっているのか……。


 結局、一回も勝てないまま死んでしまった。


 勝ち逃げは絶対にさせないからな……


 そう思い、梅は泣くのを我慢した。勝ち逃げさせないために必死に我慢した。だけど少しだけ、こぼれてしまった。また負けてしまった。卑怯だ。


「大丈夫……大丈夫だからね!」


 その涙に気づいたのか、八重は必死に『大丈夫』と言ってくれた。その言葉を聞いてもう良く分からなくなった。どうすればいいのだろう、もう良くわからない。死んでも自分は死ぬ、死ななくてもどうせ自分は死ぬ。どっちに向かっても死ぬ運命……


 それでも、一つだけ良かった事がある。


 こんな運命をダイに背負わせる事は無くなった事だ。それだけだった。


 こんなことを考える。


 もしかしたら、自分がここに存在しているだけで周りに迷惑がかかるのかもしれない。

 あの時だってそうだ。二人が死んだあの時も、自分さえいなかったら二人はきっと、笑い、泣き、怒り、そしてまた笑いながら生涯を終えていたはすだ。だけど、自分という存在があったからこそ二人は死んだ。そう思えば、自分は生け贄になって当然なくらいの事をしている。これは償いだ。両親に対しての償い……。


 きっと、天国にいけば二人に……。


 梅もまた八重を抱き締め、「うん」と頷いた。


 死ねば大切な人は守れる。


 この人を何としてでも守ろうと思った。


 この命に変えてでも……これが僕なりの償いだ。


 これは嘘だ。償いなんて聞こえがいいように言って、正義の味方ぶってるだけ、偽善にしか過ぎない。


 今の本当の気持ちは……


 二人に会いたい。


 会って抱き締めてしい。


 一緒にご飯を食べたい。


 いっぱい話したい笑い合いたい。


 好きな人が出来たって言いたいその反応が見たい。


 そして……



 もう楽になりたい。


 

 そう思うと、何故か自然と恐怖が無くなった。梅の口は高角が自然と上がり、梅の目は希望に満ちた目になった。


 そして、


 『楽になれる』


 と思った。


 しばらくして、村長とリーヨが家に帰ってきた。リーヨと八重は二階で、話が終わるまで待機。梅と村長に、さくらを混ぜて話すことになった。どうやら、生け贄になった人にしか話せない事があるらしい。


 二人は椅子に座り、空中にはさくらの出した魔法陣が浮いている。さくらは家に入れないので、この魔法陣を通して聞いたり話したりするからだ。


「まず最初に、遅れてすまない」


 村長が頭を下げる。梅は「大丈夫ですよ」と笑顔で答えた。その反応に、村長は何かに気づいたのか、両目を開き驚いた。


 しかし、それはほんの少しの間の出来事で、すぐに話に戻る。


「……確認だが梅くん。生け贄に選ばれたって本当かい?」


 村長が梅に聞き、梅は「はい」と頷く。


「そうか……」


 村長は覚悟を決めた。少し声が震える。だが、言わなければならない。村長はもう一度覚悟を決め直す。そして……


「この村はある者に支配されているんだ」


「はい」


 村長は自分の心臓に手を当て、ほっと息をつき、心から安心する。まるで、さっきまで自分の生死が関わっていたかのように……。


「おや、思ったより反応が薄いですね。結構な暴露話かと思いましたけど……」


「だって知ってたからね」


「なるほど、だったらその正体も知ってるね?」


 村長がそう梅に聞くと、梅はこくりと頷いた。


「そんな所です。生け贄に選ばれた時に大体知らされましたよ」


「どういう風に?」


「今のさくらの魔法陣のように、空中に黒い小さな球状の物が現れたんです。そこから声が聞こえて……て感じですね」


「そうなのか……だったら話すこと無くなっちゃったな、さくら。」


「そうみたいですね」


 村長は少し何かを考えていると、梅が口を開いた。


「それより、さっきの反応をみていると、村長もこの事を知らない人に話すと殺されるみたいですね」


「梅くんもそうなのか……」


「はい、そうみたいです」


 梅は妙に落ち着いていた。


「本当にいいのかい?」


「はい、大丈夫です」


 呆気なく死ぬことを了承する梅。もちろん、その反応に村長は少し驚いた。


「そんなに呆気なく……もっと考えても」


 その言葉を最後まで言い終わる前に梅は口を開いた。


「考えた所で何になるんですか」


「でも……」


「考えた所でもう時間はない筈ですよ、だって生け贄の日は……」


 梅は少しだけ躊躇った。だが、言う。


「三日後、何ですから」


 三日後で何が出来るのだろうか……精々お別れの言葉を並べる事だけだ。


 今は何も感じない。


 喜びもない。


 怒りもない。


 哀しさもない。


 楽もない。


 そう、目の前にいる村長の優しさも感じないのだ。


 ただ人形が喋っているだけ、梅はそう思うことにした。


「そうなのだが……駄目だ。私が言っても説得力がないな……すまない」


「謝らなくて大丈夫です。仕方のないことですから。あっ、そうだ、八重の事を頼みます。ここで八重は何年過ごしたか分からないですけど、八重は僕の大切な人なので……笑顔でいてほしいんです。だから、よろしくお願いします」


「……」


 人形が無言のまま聞いてくれた。


「これで終わりにしましょう。僕は寝ますね」


 人形がこくりと動き、「おやすみ」という声が聞こえてきた。それに「おやすみなさい」と振り返り言い、梅は自分の部屋へと入っていった。

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