エスト


彼が賓客室といったこの部屋は、一度撮影で行った某有名ホテルの最高級スイートにちょっと似ている。だだっ広い部屋にソファーとテーブル、部屋の奥にはベッドらしきものがあり、いくつかある扉はおそらく洗面所とお風呂。クリーム色とネイビーを基調として家具が取り揃えてあり、品のある空間に仕上がっている。


彼は私の向かいに座って、通信機っぽいもので――おそらくこれも魔法――誰かに連絡をとっている様子だった。ホテルっぽいというイメージを連想してしまったせいで、少しだけ嫌な予感がしてしまう。


(異世界転移ものって、だいたいなんか祀り上げられてウハウハ展開のものが多いって聞いてたから大丈夫だと思うけど……、やらしいことさせようとしてるとか、ないよね?)


いたいけな18歳の少女を1人、こんな部屋に連れ込んでいるのだ。こちとら無防備で味方もいない。悲鳴を上げても、暴れても、誰も助けてはくれない。


(絶対、一般人の女の子だったら、こんな状況悲鳴を上げてるよね)


10歳から芸能界に入って、汚い大人の一面を少なくない回数目の当たりにしてきた。未成年の体を平気で買おうとする輩はいたし、才能を平気で食いつぶそうとする輩もいた。弱者がいくら泣き叫んでも、知らぬ顔をしてだいたいの人が耳をふさいだ。


だからといってはなんだが、わりとイレギュラーな状況は慣れっこだったし、無人島にいきなりつれて行かれて3日間乗り越えるロケに比べれば、知らない世界に来るくらい、大したことじゃ無く思えた。


(まあもしえっちなことされるなら、でブスのプロデューサーより、このイケメンのほうがずっといいかな)


そんなことを考えながらじっと見つめていると、視線に気づいたのか赤い眼差しと目が合う。少し申し訳なさそうに笑みを作って、彼は通信機を切った。


「すみません。説明を急ぐべきなのに、他の手続きに手間取ってしまって」

「いえ、大丈夫です」

「……落ち着いてるんですね。貴方からすれば、いきなり異世界に拉致されたと恐怖を覚えてもおかしくない状況なのに」

「驚いてはいますけど、暴れたってどうにもならないでしょうし。……それに、貴方は悪い人ではなさそうなので」


首をやや傾けて、にっこりとアイドルスマイルを向ける。思惑通り、本当は不安だけど気丈に振舞う少女っぽく見えたのだろうか。彼は罪悪感を覚えた様子で、視線を逸らした。


「簡潔に説明します。ここ……エスティール魔法国には、災厄と呼ばれる魔物が封印されています。かつて建国の英雄が聖なる魔法により封印を施したのですが、効力は300年と限りがあり、再び封印をするためには異世界より聖なる印を携えた少女を召喚しなければなりません」

「それが、私ってことですか?」

「ええ。私たちの都合で貴方をこちらの世界へ呼び寄せてしまって申し訳ないのですが、災厄を再び封印するため、力を貸してほしいのです」


私への謝罪の想いは本当だろう。そして、助力を願う声も、本当だ。でも有無を言わせぬ、圧力があった。彼はきっと私に悪いと思いながらも、強引で残酷な召喚をしていることを自覚しながらも、「災厄」とやらから国を守る使命を最優先に考えているのだ。


そのためには、私になんとしてでも協力させる気でいる。優しく「力を貸してほしい」なんて言いながら、もし私が拒否したら「力を貸せ」「さもなくば」と強い言葉を使うに違いない。


決意に満ちた彼の瞳を前に、そんなことを想像して口元に笑みを浮かべた。


「わかりました」

「え……?」


あっさりとOKすると思わなかったのか、彼が目を瞬く。その姿が少しおかしくて、わざと小さく笑い声をこぼしながら彼を見た。


「召喚? されたときから、なんとなくそういう感じの話かなと思ってたので、大丈夫です。もしえっちなお願いだったらどうしようかと思ったんですけど」

「……は? えっち……?」

「あ、そういう言葉はこの世界にはないんですか? 服を脱がされたり、体を強要されたりするいやらしいこと、っていう意味で……」

「いや、そういう意味ということは理解しています。まさか、そんなことを言われるとは思ってなかったので。もちろん、そんな強要はしませんのでご安心を」


わかりやすく困惑と戸惑いの色を浮かべた彼に、よかったと胸を撫で下ろすふりをする。


(これで、私のペースに持って行けたかな……)


空気がやや変わったところで、体勢を崩して背もたれにもたれかかった。


「ふう、話を聞いて少し安心しました。よかったら、貴方のお名前を伺ってもいいですか?」

「ご挨拶がまだでしたね。魔法研究局、副局長をしているエストと申します」

「エスト……」


肩書きを聞く限り、やっぱり偉い人らしい。


「貴方を召喚する儀式の責任者をしています。今後も貴方がこの国で過ごすなかで、管理者として側にいることになりますので、よろしくお願いいたします」

「こちらこそです」

「……よかったら、聖女様用に衣服の準備を整えておりますので、着替えられますか?」

「着替え?」


言われて、服を見下ろす。今日、音楽番組で披露する予定だった新曲の衣装だ。オフショルダーになっていて、おてんばなお姫様というコンセプトのもと、ミニスカートのドレス風でデザインされている。メンバーによって衣装の色は違うけれど、センターという立ち位置を任せてもらっている私は、コンセプトカラーのロイヤルブルーを担当していた。


「……かわいいから、このままでいたいんですけどだめですか?」

「……。……私の前では構いませんが、この部屋を出る際にはお着換えをお願いできますか?」


言葉に迷うように言い淀んだ後、エストが言いづらそうに告げる。やっぱりこの人は物腰が柔らかそうに見えて、実は頑固だ。「着替える?」と選択肢を与えたくせに、結局、「着替えろ」と言っている。


(あんまりわがまま言ったり、好き勝手したら警戒されそうだな)


とはいえ、このまま素直に引いては面白くない。少しだけ唇を尖らせて、チュールになっているスカート生地を指先でつまんだ。


「……エストは、こういう服が嫌いですか?」

「え?」

「一応、男の人にかわいいって思ってもらえるように作られた服なんですけど。特に鎖骨が見えるように計算された胸元と、見えそうで見えない裾の部分がかわいくて……」


立ち上がって、彼に見やすいように、ずいっと一歩寄った。二重のきれいな瞳をエストは何度かぱちくりと瞬きさせる。そして、わずかに目元を赤くさせた。その表情がかわいくて、つい頬がゆるみそうになる。私より少し年上に見えるのに、こういうことに耐性がないらしい。


「……か、わいらしいと思いますよ。ただ、この国の女性はそこまで露出の多い服装はしません。するとすれば、生涯を共にする相手にのみ」


(あんに、私のことはしたないって言ってる?)


残念ながら私は不特定多数に見せるために体をきれいに保ってるのだ。見せてなんぼ。せっかく研いできた武器を隠すわけにはいかない。


(……堅物そうだけど、こういうのほど落ちるとちょろいし。ファン(味方)になってもらって損はないもんね)


――「葵ちゃん、露出多い衣装は俺好きじゃないなあ」と握手会のたびに彼氏面で言ってくる人はいた。でも、そういう人も大体、自分以外に見せるのが嫌なだけで、こういう衣装自体を嫌悪しているわけではないのだ。


「生涯を共にする相手のみ……」


わざと、エストの言葉を反芻する。それから恥じらうように口元に手を当てた。


「それって、それじゃあ、エストと生涯を共にしたほうがいいですか? ……こんなに、体を見せちゃったから……」

「……っ」


エストが息をのむ。わかりやすく困った様子で、口を開けては閉じてを繰り返している。さすがに耐えきれなくなって、思わず吹き出してしまった。


「あははっ、ねえ、そんなに困らないで」

「は……、え?」

「ごめんなさい。エスト、こういうのに弱いのかなと思ってからかっちゃった」

「からかった……?」


わずかに朱がさしていた表情が一気に引き締まっていく。その切り替えの早さに、彼の真面目さと堅物さが見て取れて、好感さえ持てた。


「エストと仲良くなりたくて。難しい話ばかりだと堅苦しいでしょ? これから一緒に過ごす時間も長くなるみたいだし、貴方の色んな顔が見てみたかったの」

「……変わった人だな」


私に合わせて、彼の敬語も取れる。少しは距離が縮まったらしい。


「今まで召喚された人のなかに、私みたいな人はいなかった?」

「……みな、泣いて元の世界に帰りたいと縋ったと記録にある。気を失ってしばらく起きなかった者や、自死を図ったものもいた」

「だから、私もそうならないか心配してくれたの?」

「ああ。……でも、その心配は杞憂だったみたいだな」

「ええ? せっかくだから気遣ってほしいな。よかったら今から泣いて縋ろうか?」

「…………本当に変わっているな」


呆れたように言って、エストはわずかに微笑んだ。


「君が過去の召喚者より図太かったとしても、私たちの対応は変わらないから安心するといい。聖女として王宮で過ごす間は、最大限の配慮を約束する」

「ありがとう」

「……罵倒されることはあっても、お礼を言われることはしていない」


目を細め、エストが苦笑を落とす。声をかけようとしたところで、さっきから彼が通信していた懐中時計っぽいものが点滅した。


「すまないが、私はもう行かなければ。侍女を呼ぶから着替えを済ませておいてくれ。後ほど戻ってくるから、それまでゆっくりしているといい」

「わかった。いってらっしゃい」

「……ああ」


いってらっしゃい、に戸惑うような表情を見せた後、エストは通信機の対応をしながら颯爽と部屋を出ていく。入れ替わるようにして侍女たちが一斉に入って来て、私はあれよあれよという間に身を清められ、神聖そうな白く簡素なドレスへと着替えさせられた。


(……まあ、似合ってるかな)


グループでセンターを張っていた私は一応、ビジュ担と呼ばれていて、顔はいいほうだと自負している。色が白いおかげで純白も似合うし、イエベスプリングにぴったりの幸せオーラ全開化粧をしてもらったおかげで、愛され感満載の出来だ。


鏡の前で思わずポーズを決める。さっきまではきゃぴきゃぴアイドルだったけど、いい感じに上品でかわいらしい聖女っぽく見える気がする。


もしスマホがあれば写真を撮ってSNSにアップするのに。残念ながら本番前だったこともあって、手荷物はなにもない。あの衣装だけが、私の持参物だ。侍女たちが丁寧にトルソーにディスプレイしてくれたそれを見つめて、小さく息を吐いた。


(私がいなくなったあの世界は、どうなってるんだろ……)


ソファに沈んで目を閉じると、一気に疲労感が押し寄せてきて、暗い微睡みのなかに落ちていく。そういえば、最近新曲のレッスンがあってまともに眠れていなかった。思い残すことがあるとすれば、あんなに練習した新曲のダンスを一度も披露することが出来なかったことだろうか。


(いつか、エストに見てもらおうかな……)


ドン引かれそうだと想像して、ふっと心が軽くなった。

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