最終話「あれから」

 あれからの話だ。


 香純は東京で正式にモデルデビューを果たし、今では女子中高生から高い人気を得ている。やはりあの時のスカウトマンの目に狂いはなかったのだろう。悲惨な目に遭わなくてよかった。


 今はモデルだけではなく、タレント業にも力を入れ始めている。まだ深夜バラエティのゲスト程度らしいが、そのうちレギュラー番組やりたい、と電話越しに豪語していた。


 俺はというと東京の大学に進学するために勉強する日々を送っていた。といってもまずは東京のどの大学にするかを決めるところからだったけれど、まあ無事に見つかってよかった。


 香純の活躍のニュースを見る度に、「俺は本当にあいつと釣り合えているんだろうか」と不安になる。


 一度過去に訊いたことがあった。


「俺さ、お前と釣り合えてるかな」


 そうしたら香純はやれやれと言わんばかりの溜息を吐いてきた。まるで俺の心を見透かしていたかのようだった。


『前にも言ったと思うけど、私、直樹だから好きになったんだよ?』

「そんなこと言ったっけ?」

『あれ、言ってなかったっけ?』


 ともかく、俺は香純の支えになっているらしい。モデルをやっているとどうしても「自分」を殺し、何かの「役」を演じなければならない時があるそうだ。だけど俺の前では包み隠さずにできる。俺が心の依り代になれているのならそれでいい。


『で、勉強はどうですか?』

「安心しろ。大学生にはなれる」

『じゃあ、今よりもっと会えるね』

「かもな」


 香純が東京に行ってから、なかなか会えない日々が続いた。物理的な距離の問題はもちろん、俺が会いに行ったところで相手は芸能人。事務所的にもこういうスキャンダルは避けておきたいらしい。香純自身「普通に恋愛して何が悪い!」と事務所には不平を漏らしていたが。


 まあつまり、俺達は円満、というわけだ。


 年が明けてすぐに入試があって、なんとか合格を果たした。これで不合格だったらかなりショックしていたと思う。実際合格の知らせを見てしばらく足に力が入らなかった。


「やったよ。俺、合格した」


 真っ先に連絡したのは両親でも教師でもなく、香純だった。仕事中か、と心配だったが、出てくれてよかった。


『やったじゃん! おめでとう!』


 電話越しに聞こえる香純の声はかなりはしゃいでいた。多分俺よりも喜んでいる。


『じゃあ、いつでも待ってるからね』

「……おう」


 実際にそう言われると照れくさい。俺は電話を終えると、人目も気にせず右腕を天に突き上げた。周りの目など知ったことではない。


 そして俺は高校を卒業した。高校時代の思い出は特に覚えていない。嫌な記憶はほとんどないけれど、よかったこともそこまで多くない。楽しかったが、物足りなかった。


「お前、ホント嫁のこと好きだよな」

「嫁っていうな」


 3年間ずっと同じクラスメイトだった戸田は、これもずっと香純のことをネタにしてきた。最初は鬱陶しかったが、もう今となっては慣れたものだ。


「で、東京に行くんだろ?」

「まあな。できるだけ傍にいたいから」

「ホント、恋愛なんて無縁だと思ってたのによ」


 それは誤解だ。俺はずっと一途だったのだ。ただそのことに気づいていなかっただけで。


「今度芸能人紹介してもらった俺にも知らせてくれよ」

「誰がするかバーカ」


 そうやって俺達は笑い合った。なんだかんだ、こいつもいい友達だ。




 そして、現在。


 俺は大学生になり、一人暮らしを始めた。安いアパートだけれど、住むには丁度いいくらいの広さがあるのでそれほど不便はしていない。むしろ好物件だと言える。


 新歓やら授業やらで最初は慌ただしい日々を送っていたが、5月の頃になるともうすっかり新しい環境にも慣れてしまった。


 ゴールデンウィークが過ぎるとすぐに夏が来たのかと錯覚するくらい暑くなった。まるで、あの時の砂浜みたいな暑さだ。


「あっつ」


 俺は汗を拭いながら地図アプリを片手に東京の街を歩く。似たような建物が多く、迷子になりそうだ。


 電話が鳴った。相手は香純からだった。


『ねえ、ちょっと遅くない? 私ずーっと料理作って待ってるんだけど』

「悪いな。ちょっと道に迷ってて。もう少しでつくと思うから」

『むう。じゃあ道案内したげるから、今どのあたりか教えて』


 今日は初めて香純の家に呼ばれた。正直少し緊張している。それもあって電車を乗り間違えたり、道に迷ったり、かなり散々な目に遭っている。


 最後に香純にあったのはきっと今年の正月休み以来だ。盆と正月には帰ってくるのでその時には会えるのだが、それ以外は会えず、電話だけの日々が続いていた。


 けど、今日でそんな日々とも終わりだ。


 なんと事務所の人にも許可を取ったらしい。「あまりハメを外し過ぎないように」とのことだが、俺のことが向こうにも認知されているのは恥ずかしい。というかそこまでアクティブにならなくてもいいだろ、香純。


 香純に案内されると、あれほど迷っていた東京の迷路が単純な一本道のように思えた。意外と駅からそこまで遠くなかった。俺が必死で歩いた1時間は一体何だったのだろう。


 香純の住むマンションは俺が暮らしているアパートよりも警備が強化で、部屋も広く、一目見て金持ちの住む家ということがわかる。上京して数ヶ月の俺にしてみれば、未だこんな建物は目眩がしてしまう。


 正直、会うことに少し抵抗があった。もう香純は自分の知らない香純になってしまっているかもしれない。そうなってしまうのが怖かった。いつも電話で話していたのは演技の香純なのではないか。相手は芸能人。俺なんかそこら辺にいる冴えない大学生だ。そんな奴と香純が付き合ってる、世間になんて知られたら……。




 でも、あの時約束した。必ず会いに行く、と。




 通話ボタンを切り、俺はインターホンを押した。心臓の鼓動が痛いくらい伝わってくる。こんな緊張いつ以来だろうな。


 変な気を巡らせていると、ドアノブが開いた。


「久しぶり」


 高校の頃と比べて随分と大人びていた。髪も背も伸びて、スタイルだって高校生のような幼さはどこにもない。


 でも、一目見てわかる。こいつは中身は何にも変わっていない、ちんちくりんのままなのだと。


「ずっと待ってたんだから」

「悪いな」


 やっと、やっと約束を果たせる。この日をどれだけ待ちわびていたことか。




「約束通り、会いに来たよ」




 目の前に映る彼女は、今までで一番の笑顔を見せてくれた。

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ラムネ 結城柚月 @YuishiroYuzuki

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