第13話「ラムネの味」
「ちょっと寄り道していかない?」
唐突に香純が提案する。これは、恋仲になって初めてのデートというものではないだろうか。
「荷造りはいいのか?」
「まあ、夜に頑張ります」
少しばつの悪そうな顔を香純は見せた。けれどこれが香純にとって最後の故郷になるかもしれない。今のうちに思い出を噛みしめておきたい気持ちもわかる。
「いいよ、とことん付き合ってやる」
家と反対方向に俺達は歩いた。相変わらず日差しが強い。それさえなければ完璧に楽しいデートだったのに。
「暑いね」
「東京なんてもっと暑いよ。私北海道行きたい」
「それは自分でどうにかしろ」
なんて他愛のないくだらない会話が続く。
やってきたのは小さな駄菓子屋だ。この周辺の小学生御用達の店で、俺達も小学校時代によくお世話になった。ここに来るのは本当に何年ぶりだろう。
「いらっしゃい」
駄菓子屋の婆さんが奥からニコニコと笑顔を向ける。もう80歳になろうとする婆さんだが、相変わらず背筋がピンと伸びていて、衰える様子を知らない。きっと100歳過ぎても元気なんじゃないか。
「久しぶりねえ。ほら、好きなもの持ってって」
数年ぶりに入る店の中は狭かった。昔はあんなに広く感じていたのに。俺も成長したということだろうか。
香純は小学生のように目を輝かせる。そういえば帰り道によく一緒にここで道草食ってたっけ。
「ほら、これまだあるよ。うわー、懐かしい」
陳列されている商品のほとんどは、どこから仕入れたかもわからない、スーパーやコンビニでは売られていない駄菓子ばかりだ。そのレア度に俺も香純も小学生ながらワクワクした記憶がある。
おまけに駄菓子屋の商品はどれも安い。10円玉数枚で買えてしまうものばかりだ。そのため小学生からの人気も高い。
「覚えてるか? 10円足りないのにお前が『これ買いたい』ってぐずって聞かなかったやつ」
俺はグミの箱をカラカラと振って香純に見せびらかした。香純も覚えていたのか途端に恥ずかしそうな顔をする。
「もう10年も前の話でしょ?」
「でも、ずっと覚えてる」
「今すぐ忘れて」
「やだ」
すぐさまレジに向かい、俺は件のグミとバニラのアイスと、あと飲み損ねたラムネを購入した。
もう、と不服そうな顔をした香純だったが、チョコ菓子とストロベリーのアイス、そして俺と同じアイスを買って店を出た。
店を出ると香純はすぐにチョコ菓子の袋を開け、1つ2つと頬張っていく。まだ昼間だというのに。
「こんな時間に買い食いかよ。仮にも芸能人になろうという奴が」
「いいじゃん。こんなことできるの最後かもしれないし。それより早くアイス食べちゃおうよ。溶けるよ?」
まあ、それもそうだ。フラフラと歩いていると、小さな公園を見つけた。懐かしい。ここも昔俺と香純でよく遊んだ思い出の場所だ。
俺達はそこに立ち寄り、ベンチに腰掛ける。火照った体へのアイスクリームは本当に効く。冷たさが染み渡る。
「私たち、どんな大人になっているんだろうね」
隣でラムネを飲みながら、香純は呟いた。
「10年後も、20年後も、もっとその先も、私は直樹の隣にいたいな」
「それは、俺だってそう思う」
けど今はそれが叶わない。香純は遠いところへ行ってしまう。こんな田舎じゃないもっと遠く輝いた場所。
だけど…………。
「俺さ、東京の大学に行こうと思ってる」
別に特に意味はない。まだどの大学にするか決めてもいない。けれど少し前から漠然と東京の大学に行きたいというイメージを抱いていた……いや、こんなのただの方便だ。実際は香純の東京進出が決定して、それで意志が固まった感じだ。
「向こうで何かがしたいってわけじゃないけれど、香純と少しでも一緒にいたいから。だからその時まで待ってろ」
恥ずかしさを隠すように、俺はアイスを頬張る。一気に喉奥に流し込んだせいか、キーンと頭が痛くなった。慌てて俺はラムネを飲む。まだ冷たくて、シュワシュワと炭酸が口の中で弾ける。
そうなんだ、と香純は笑った。その横顔はとても穏やかで、すごく嬉しそうに微笑んでいた。
「じゃあ、待ってる。私直樹が来るまで頑張るから」
香純はクイッとラムネを喉奥に流し込んだ。美味しいね、と微笑む彼女が本当に愛おしい。
「さ、いろいろ見て回ろっか」
香純は立ち上がり、アイスの容器をゴミ箱に捨てた。俺もそれに続き、香純の隣を歩く。
小学校、中学校と、俺達の想いでの跡地を見て回った。外観は何も変わっていないはずなのに、何かが変化している。久しぶりに見る過去の学び舎は、なんだか物悲しい雰囲気を漂わせていた。
「私たちもこうやって変わっちゃうのかな」
どうやら香純も同じことを考えていたみたいだ。すこしだけノスタルジックな感情になる。
「でも変わらないものだってある。俺が、ずっと香純のことを好きだったように。その気持ちはこれからも変わらない」
「…………うん。そうだね」
思い出巡りも終わり、帰路につく。会話は最初より少なくなっていた。黙っていた時間の方が長かった気がする。
何か話さなきゃな。そう思っては言葉を喉の奥にしまい込む。それを繰り返しているうちに、もう香純の家までやってきてしまった。
「じゃあ、これでお別れだね」
「見送りには行くから」
「それもそうか」
もう終わりはすぐ目の前に迫っている。きゅーっと、胸の奥が締め付けられる。こんなこと最初からわかっていたのに。
「ねえ、目、瞑って?」
自信なさげな声で香純は尋ねてきた。俺はよくわからないまま香純の指示に従う。
…………柔らかい感触が、唇に広がった。
何が起きたのかわからなくて、俺は目を開けた。目の前には舌を向いて耳まで真っ赤にしている香純がいる。
「ちょ、香純? お前今何…………」
そう言いかけたけど、香純は逃げるように家の中に入ってしまった。そして扉を開けてまた出てきたと思ったら。
「バーカ!」
捨て台詞のようなことを言って、それ以降彼女が出てくることはなかった。何がしたかったんだ、あいつ……。
唇にはまださっきの感触が残っている。少しだけほんのりと甘い。一瞬の出来事だったけれど、スローモーションのように感じた。
このラムネの味を、俺は一生忘れない。
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