グッバイマイサン、ハローニューワールド

尾八原ジュージ

アキチンとコージさん

「おああ」という悲鳴だか感嘆だかわからない声が出た。なかった。本当にそこにあるべきものがないというのは、こんなに強い違和感を覚えるものなんだなと思った。

「な?」

 コージさん――今おれの目の前に立っている下半身裸の男がそれだ――が、ものすごいドヤ顔で言った。

「ないだろ」

「ない。心霊手術やばい」

「な、心霊手術やべーだろ」

「やばい」

 おれたちは顔を見合わせて「やばい」と言い合った。

 真昼間から男同士でラブホテルの一室に転がり込み、モロ出しの股間を見て「やばい」と言っているのにはわけがある。ないのだ。コージさんのムスコがない。あるべき場所は空っぽだ。元から何の器官も生えてなかったみたいに、マネキンの股間さながらにつるっとしている。

「うわ……やばい」

 おれはぶつぶつ言いつつ、バックパックの中から缶チューハイを取り出してプルトップを開けた。

「お前まだ飲んでんの?」

 コージさんが呆れたように呟く。そういうあんたは下半身まっぱでジュニアがどっか行ってしまってるわけだが……まぁ呆れられるのも仕方がない。留年が決まってからこの方、おれは血中にいくらかアルコールが入っていないと悲しくて不安で泣きそうになっちゃうのだ。というか、その、

「元はあったよね? その、コージさんの、あれが」

「あったあった。我ながらよく働いてもらった」

 コージさんは懐かし気にうなずく。

 コージさんはおれの年上のはとこだが、ほんとにおれと血がつながってる? と疑いたくなるくらいモテる男だ。何しろ見てくれがいい。つやつやさらさらの黒髪を肩甲骨の辺りまで伸ばしてピアスと指輪をじゃらじゃらつけ、その胡散臭そうな格好がしかし彼にはよく似合う。

 くそモテオーラを振り回して男女問わず好き勝手食い散らかしていたコージさんだが、どういうわけか一念発起、なんかよくわからん術を使う人に頼んで、男の象徴たるそいつをとってしまったらしい。占い師をやってるコージさんにはいろんな知人がいるのだが、妙な人脈もあったものだ。

「いやアリかよそんなん!」

「オレだってこんなキレイにとれると思ってなかったよ! でもさぁ、意志の力だよね。やっぱり」

「あ? 意志?」

「オレのジュニアの意志がさ……実はオレ、占いの修行をする上で読心術を極めた結果、自分のちんこの声が聞こえるようになったんだけど」

「あんた自分が何言ってんのかわかってる?」

「なったんだよね……」

「もうだめだこの人」

 おれは缶チューハイを煽った。空になった缶をラブホのゴミ箱に放り、新しい缶を取り出してまた開ける。

「アキチンまた飲んでるよ〜大概にしろよ酒をさ~」

「ちんこの声が聞こえる狂人に何言われても響かないんだよっていうか、コージさんこそなんかクスリやってない?」

「やってねぇよ! 信じてないなお前、ジュニアがどんなに出家したがっていたか……」

「お宅のジュニア出家したの!?」

「知り合いの住職に預けてきた」

 つまりコージさんのジュニアが出家を志し、宿主(宿主なの?)たるコージさんもそれを認め、そしてナントカ術師を頼ってジュニアを切り離し、晴れてジュニアは僧侶になったのだという……

「ちょっと待って全然わかんない。おれの知らないことが起き過ぎてる」

「まー論より証拠よ、ほれ」

「だからパンツを履けよ!」

「いいじゃん別に。ここにはオレとお前しかいないんだし」

 とかなんとか言って、結局コージさんはパンツを履かなかった。まぁラブホテルなのでパンツ脱いでる方が標準仕様なのかもしれない。しれないがしかし。

 おれにどうしろというのだ。

「もう帰っていいですか……」

「えー、まだチェックインしたばっかじゃん」

 と言いながら、コージさんは徐ろにテレビのスイッチを入れる。ラブホなので当たり前のようにアダルトなやつが流れ始め、こんな時どんな顔をすればいいのかおれは知らない。一体前世で何をすれば、「ちんちんの声が聞こえる」などという理由で自らの性器をとってしまった男と、ラブホテルのベッドに並んで腰かけてAVを見るなんてシチュエーションに身を投じる羽目になるのだろう。一体どんな罪を犯したのだろうなどと考えながら、オレは缶チューハイを飲み干した。

「えっこれすごい好きな感じのやつ。何てタイトル?」

「コージさん、ジュニアいないのにAVに用事あんの?」

 新しい缶を開けながら尋ねると、コージさんは「あるに決まってるだろ!」とアツく返事をした。

「むしろ高まってるよ。オレ今フリーなんだよ。付き合ってた子全員に振られちゃってさ」

「ちんこ取るからだよ」

「それな」

「ていうか、ちんこなくても性欲はあるんだ」

「そりゃあるよ〜」

 たぶん、ジュニアの方が本体よりも煩悩に溺れていなかったんじゃないかな……そんなことを考えるおれをよそに、コージさんは番組表を見ながらスマホでタイトルをググっていたが、はぁーとため息をついていきなりこっちを向き、

「アキチン、オレと付き合っちゃう?」

 と言った。

「おん!!?」

 また変な声が出た。おれはまだ半分ほど中身が入った缶チューハイを落としそうになって、慌てて手元を見る。それから一口飲んだ。全然足りない。

「また飲んでる~」

「コージさん、今さっき何っつった?」

「アキチン、オレと付き合っちゃう?」

「おん!!? なんで!?」

「なんでって、アキチン彼女とかどうせいないでしょ。てか童貞でしょ」

「どうせは余計だよ! いないけど! そして童貞だけど!」

「オレ人肌が恋しくてさ~。どうにかなっちゃいそうなんだよ~」

「すでにどうにかなってるよ! もうやだ!」

 おれは手元の缶チューハイを飲み干すと、「帰る!」と叫んで立ち上がった。ところが酒のせいで足元がふらつき、またコージさんが「だいじょぶかよ~」とか言うのに気をとられてそちらを向いたものだから、うっかりそっち方向に転んでしまった。

 結果、オレはベッドの上でコージさんにのしかかるような形になってしまい、つい慌ててしまうオレの真下でコージさんは相変わらずめちゃくちゃ美形で、おまけになんかいい匂いがして、またぞろ変な声が出そうになったところに「チューする?」と言われてなんていうか、おれの中で何かが死んだ。

 おれはコージさんの顔を一発ぶん殴ると自らベッドから転げ落ち、バックパックを抱えて振り返りもせずに部屋を出た。今日のことはすべておかしな夢だったのだと頭の中で唱えながら新しい缶チューハイを開け、でたらめな方角にどんどん歩いた。

 ちなみに何だかんだで結局おれはコージさんと付き合うことになり、親にばれたら何て言えばいいんだなんて悩みながらやることだけはちゃんとやって、ついでに例の寺に行って修行中だというジュニアの御尊顔も拝ませてもらったりするのだが、それはまた別のお話。このときはただただ、遠くへ行きたかったのだった。

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