NOと言える日本人

          ☆    †    ♪    ∞


             [二〇××年 某月某日]

 [午後一三時二三分]

              [公立春日峰かすがみね高校 一年一組教室]


『一組のお母さん』こと、間宮まみやヨリは困惑していた。


 ヨリの目の前――正確には眼下にて、マユナとジュリが土下座しているのである。


 まごうことなくヨリに向けての土下座。


 いくら二人が基本的にバカとはいえ、ヨリに土下座しなければならないほどの悪事を働くとは思えないと考えたランセは、ヨリに声をかけた。


「……どうした間宮。こいつらがなにかしたか」

「あ、あの、えっと……」


 ヨリが言いよどんだその時、


「――説明しよう!」


 しゅたっ、とマユナが素早く土下座から立ち上がった。


「ランセちゃんもごぞんじの通り! マミーはとってもやさしい! しかしその一方でなにか頼まれ事をされたら断れない性格なのだ!」

「そうなのか?」

「そう……かも……」


 拳を握りながら力説するマユナをいぶかしみながらも、ヨリにたずねるランセ。ヨリの返答は歯切れが悪かった。


 ――が、マユナの指摘は事実であった。


 ヨリは優しすぎるがゆえに断る勇気を持たない。


 クラス委員になったのも自ら希望したわけではなく、担任の教師から勝手に指名されたのを断れなかっただけ。

 放課後に行う教室の掃除など手伝いを請われれば手伝ってしまうし、路上でビラ配りやティッシュ配りに遭遇すればついそれらを受け取ってしまう。


 押されれば簡単に崩れる――それがヨリだった。


「お姉ちゃんは考えた! マミーにも断る勇気を持ってほしいと! いずれマミーのやさしさにつけ込んでくるような悪いヒトから自分を守れるように!」

「そーだそーだ! 己を知り、世界を知り、強くなれヨリリ!」

「何様だお前ら」


 がっし、とヨリの両腕をそれぞれ抱きしめるマユナとジュリ。すでにランセは冷めきっていた。


 その一方で、ヨリは本気かどうかはさておきマユナが「断る勇気を持ってほしい」と言ってくれたことを嬉しく思っていた。


 すこしだけ胸の奥が温かくなったような、あるいはつかえが下りたかのような――安堵。


 ヨリは頼まれごとに弱い。

 中学生だった頃はその性分をいいように利用されて、窮屈きゅうくつな思いや悩みを抱えることもあった。

 当時の学友や教師はヨリの優しさをほめることはすれど、マユナのように心配してくれた人間は家族以外誰もいなかった。


「断る勇気」――ランセからすれば余計な世話にしか見えなかったが、ヨリにとっては誰かに言ってほしかった言葉。


 それが嬉しかった。


「……で、結局お前らは間宮にどうしてほしいんだ?」

「ならばお見せしよう! 行くぞミギー!」

「おう!」


 ランセに言われ、バッと飛び退いてヨリから離れるマユナとジュリ。


 そして、


「ぱんつ見せてください」

「おっぱい揉ませてください」

「なにとぞー」


 ほぼ、というかもはやど真ん中ストレートのセクハラ嘆願たんがん土下座を炸裂させた。

 なぜかジュンも土下座していたが、単にジュリの真似をしているだけでマユナの意図は把握はあくしていない。


「……そういうことか。まぁ……確かにこれなら断るぐらいどうってことは――」

「………………………………」

「待て待て待て」


 顔を赤くしながら返答に躊躇ちゅうちょしていたヨリに、そこで初めてランセは危機感を覚えた。


「いや間宮……こいつらの言ってることは冗談だし、冗談でもいいから断れっていう流れじゃないのか……!?」

「そ、それはわかってる、つもりなんだけど……で、でも……それくらいなら……乙海さんと、右輪さんだったら……」

「思った以上に重症だった……!」


 この局面でも煮えきらないヨリに頭を抱えるランセ。

 マユナの指摘は余計な世話などではなく、ヨリにとって本当に必要なことなのだと思い知った。


「ランセちゃん。これは別にジョーダンじゃなくてぱんつ見てもいいならお姉ちゃんは見るよ?」

「揉んでもいいなら揉むぞ」


 土下座したままヨリを追い詰めるマユナとジュリ。

 ヨリに断る勇気を持ってほしいというのはウソではないが、それとは別にセクハラしてもいいならするつもりだった。


「最低かお前ら……! 間宮、その、なんだ……頑張れ! すくなくともこれは断っても誰も傷つかないから……!」

「ランセちゃんが珍しく焦ってる」

「ランランはなんかヨリリにやさしいよなー」


 普段、どころか実戦においても常に冷静なランセがやや取り乱すほどの事態に、他人事ひとごとのようにのんきなマユナとジュリ。


 そんな中、がらりと一年一組の教室の戸を開ける一人の女子生徒。


 高級な反物を思わせる一糸乱れぬ長い黒髪。

 清楚でありながらどこか神秘性も感じさせる、実年齢以上の色香を帯びた端正な美貌。


 大和撫子という形容がよく似合う三年生――汐月しおつきコチョウ。


 そのコチョウが、たおやかな足取りでなんのためらいもなく教室に入りマユナ達に近付く。


 そしてスカートを正しながら丁寧ていねいに腰を下ろして正座、静かに三つ指をついて――ヨリに土下座した。


 あまりにも美しく、流麗な土下座だった。


「ぱんつ見せてください」

「おっぱい揉ませてください」

「とぞとぞー」

ののしってください……♡」


 ヨリの眼下に並ぶ四人の土下座。


「…………………………………………………………………………………………………………イ…………イヤ、です」


 ヨリは勇気を持ってそれを断った。


 さすがにコチョウが気色悪かったので、なんとか勇気を振り絞った。


 ランセはヨリがなんとか断る勇気を見せたことに安心しつつ、それはそれとしていきなり出てきていきなり土下座を炸裂させたコチョウが本当に心底天敵とも呼べるくらい苦手なのですぐさま教室から出ていった。

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