ワン・オン・ワン

          ☆    †    ♪    ∞


[二〇××年 某月某日]

   [午後一時二一分]

                [公立春日峰かすがみね高校 体育館]


 昼休み中の体育館の一角、バスケットゴールの前で二人の女子が対峙していた。


 一方はバスケットボールをゆったりとついているマユナ。上はスクールシャツのままだったが、下は体操着のハーフパンツを履いており普段下ろしている長い黒髪はひとつに束ねている。


 もう一方はマユナと同じく一年一組の女子・猿飛さるとびアサヒ。

 身長は一五〇センチ未満。線はやや細いが引き締まっており、相応の鍛錬を積んでいることをうかがわせた。

 短めの黒髪にらんとした無邪気な光をたたえた大きめの瞳は、少女というより活発な少年のような印象を与える。

 今は体操着とスパッツを着ており、動きやすい服装をしていた。


 一人がボールを持ち、もう一人と向かい合う。奥にはゴール。


 ――バスケットにおける一対一ワンオンワン。マユナとアサヒの勝負である。


 互いの間合いがおよそ一メートル弱まで近付いたあたりで、マユナのドリブルが変化し始めた。


 ドリブルする手を左右で切り替えるフロントチェンジ、ボールを足の間に通すレッグスルーと、ドリブルにおける初歩のテクニックを見せ始めるマユナ。

 初歩ではあるがマユナの姿勢もボールの位置も低めで、アサヒからすればやや奪いづらい。


 奪いづらい――というだけで、絶対に奪えないわけではない。


 片腕一本分の至近距離まで詰めて、果敢にスティールを狙いに行くアサヒ。

 それをアサヒに対してやや半身になりながら、ドリブルしていない方の腕オフハンドで防ぐマユナ。


 ボディコンタクトも辞さないアサヒの激しいチェックの中――ついにマユナが仕掛ける。


 アサヒの手がマユナに触れた瞬間、マユナはキレのあるスピンムーブで左方向にアサヒをかわした。

 しかしアサヒもそれに反応して、クロスステップを織り交ぜてマユナに付いて行く。


 素人相手なら完全に置き去りにするスピンであったが、マユナの手の内をある程度知っていることを加味してもアサヒの反応は見事だった。


 が、マユナはそれも織り込んでいた。


 瞬発力のあるドライブで一メートル強ほど進んだところでアサヒが追いつきそうになった瞬間即座に急停止、同時にバックチェンジで左手から右手にボールを持ち替えて一気にゴールへと切り込むマユナ。


 長い黒髪が、箒星ほうきぼしとなってコートを翔ける。


「っ……!?」


 マユナの急停止に反応しきれず、完全に振り切られたアサヒの顔が驚愕に染まる。


 その理由のひとつに、マユナが今履いているのがバスケット用のシューズなどではなくであるということ。

 グリップ力においては専用のシューズと比べれば数段落ちる上履きを履きながら、マユナは急停止の瞬間に体を半身にして上体を沈ませ、サイドステップ気味に強引なブレーキをかけたのだった。

 体勢的に膝への負荷を分散させてはいるものの、上履きでアサヒを振り切るほどの急制動を実現するなど並の足腰ではなし得ない。


 一説によればドリブルの真髄は緩急であると言われている。

 マユナの一連の動きは、まさにその説を裏付けるかのようだった。


 次の瞬間には、マユナは危なげのないレイアップシュートで丁寧にボールをゴールに沈めていた。なぜかゴリラ顔で。


「……乙海いつみさー、これ何度も聞いてる気がするけどさー……」


 息を整えながら、どこかげんなりとした風に口を開くアサヒ。


「オマエ、ホントにバスケは学校の授業でしかやったことないの?」

「うん」

「……で、スピンムーブとか動画見て覚えたんだっけ? 今のバックドラッグなんて初めて見たけど」

「それなりに勉強しました」

「はーーー……勉強ねー……」


 ふんす、と得意げに胸を張るマユナに、アサヒは深い溜息をついた。


 マユナは「勉強した」と言ったが、それは『動画を見ただけ』ということであり『練習した』わけではない。


 デタラメな身体能力と運動神経。

 マユナとの一対一ワンオンワンはこれが初めてではないが、毎回アサヒは驚愕と辟易へきえきを繰り返していた。


 ――最初は、アサヒがマユナに声をかけたのがきっかけだった。


 体育の授業でバスケットを行った際、プロかと錯覚するほどの凄まじい動きを見せていたマユナをまずはバスケット部に勧誘したアサヒ。

「部活動はちょっと」とそれをやんわりと断ったマユナだが、そのスキルを放っておけなかったアサヒは、せめて昼休みの個人練習に付き合ってほしいと頼み込んだ。

 アサヒの向上心と熱意が本物であると理解したマユナは、「昼休みくらいなら」ということで時々アサヒの個人練習に付き合うようにしたのだった。


 マユナ自身体を動かすのは大好きで、他人からその能力を見込まれて頼み事をされるというのは悪い気分ではない。

 アサヒはマユナというチートじみた練習相手を得たことで、その能力差に軽く絶望しつつも着実にスキルアップしていた。


「……まー、乙海のおかげでディフェンスはずいぶん上手くなれたよ。バスケ部のメンバーもだいたい止められるようになったし」

「おー! やったねトビー!」

「ホントに止めたいのはオマエだけどな。まだ勝ったことないし」


 皮肉交じりではあったが、アサヒの目に卑屈の色はない。


 少年のような瞳に、情熱の火が揺れていた。


「――よっし! 今度は私がオフェンスだからな!」


 ぱんっ、と勢いよく両手で自分の頬を叩いて気合を入れ直すアサヒ。

 バスケットに対してひたむきなアサヒの姿に、マユナの胸の内にじわりと温かいものが湧きにじむ。


 かわいいものを目にした時の感情である。


「それじゃー行くぞ………………っ!?」


 ゆっくりとボールをつき始めたアサヒが目にしたのは、


「――あーなーただーけ見つーめーてるー!! 出会ったー日かーら! いーまでーもずっと!!」


 なにやら歌いながら、しゃかしゃかかさかさとどこかゴキブリを連想させる無闇に高速なハーキーステップでアサヒに接近するマユナだった。


 ハーキーステップとは、両足を肩幅程度まで開いて小さく細かく足踏みするディフェンスフットワークのひとつ。

 ディフェンスの基本であるが、現代バスケットにおいては膝に余計な負担をかけることから本当に必要なのかと疑問視もされている。


 言ってしまえば、マユナのそれは無駄に洗練された無駄な動きだった。


「うわァ!? キモっ……!?」

「はいつかまえたー! トビーはがんばり屋さんでかわいいなー!」

「だーーー!? もー! やーめーろーよー!」


 もはやルールガン無視でぎゅむーとアサヒを抱きしめるマユナ。

 絵面的にはゴリラに抱きしめられた子犬といった風情。アサヒの膂力ではマユナの拘束を解くことは叶わないが、アサヒは笑っていた。


 昼休みの間だけと時間は短く、マユナは時たまふざけたマネをするものの――この一対一ワンオンワンは、誰も傷つくことはなかった。

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