嵐の夜
当人に自覚はないが、乙海ユアナはかなりの怖いもの知らずである。
ホラー映画を見せればデスゲームを仕掛ける連続殺人鬼の方に「かわいそう」と同情の涙を流し、家にゴキブリが出れば顔面蒼白で逃げ惑うマユナとサリナを尻目にゴキブリを殺すことなく家の外まで誘導したり、ヤクザにしか見えない中年男性がコンビニで忘れ物をしたら直接本人に届けたりと、無自覚な怖いもの知らずエピソードは枚挙にいとまがない。
しかし、そんなユアナでも完全に恐怖という感情のネジが外れているわけではない。
――わずかではあるが、ユアナにもどうしようもないほど恐れているものがある。
☆ † ♪ ∞
[二〇××年 某月某日][五年前]
[午後一一時七分]
[
日本列島に台風が接近していた。
上陸はしなかったものの、その台風は東海地方から関東地方へと太平洋沿岸部をなぞるように移動し、結果として当該地域は二日間ほど強風と大雨に見舞われた。
――その夜、ユアナはベッドの中で小さな体を震わせていた。
容赦なく降りそそぐ
唸りを上げる
実際、関東地方ではそれほどの被害はなかったが――ユアナの感性は、それほどのものとして雨と風を捉えていた。
人間の力ではどうにもできない。人間の尺度でも計り知れない強大なるもの――自然。
それが引き起こす
眠るどころか、全身の血が温度を失っていくような錯覚がさらにユアナの体を丸める。
部屋には雨戸もあるので当然それも閉めていたが、雨戸を加減なく叩く雨と風はまるで悪魔が誘うかのよう。
ただひたすらに――怖かった。
その夜の雨と風はおよそ一時間足らずで勢いを失うのだが、ユアナにそれが解るわけもなくむしろ永遠に続くとさえ思えた。
「――ユアナ」
それは絶望と恐怖の中に差す一筋の光か。
ささやくような優しい声に、ユアナは目を開けた。
部屋の照明は点けていなかったが、夜目で充分に捉えられるその姿。
マユナが、そこにいた。
「…………~~~~~~~~っ!」
それが解るや否や、跳ね起きてマユナにしがみつくユアナ。
冷たくなった小さな体が、マユナの体で体温を取り戻していく。
「あー……やっぱり。眠れなかったんでしょ」
微笑みながら、マユナはユアナの髪をなでる。
マユナはちゃんと知っていた。
ほとんど怖いもの知らずのユアナにおいて数少ない例外、台風や雷などの自然災害に恐怖することを。
それが心配で、マユナはユアナの様子を見に来たのだった。
「だいじょぶだいじょぶ……お姉ちゃんがいるよ」
「……おねぇちゃんは……こわくないの?」
ふと、マユナに尋ねるユアナ。
「んー? あー……ゴキブリよりは怖くないね。こんなのたいしたことないっすよ」
マユナの中ではゴキブリ>>>自然災害だった。
それはそれで価値観がおかしいのだが、ケラケラと笑いながら平然と言い切ってしまうマユナにユアナの恐怖心が薄れる。
「……見ててユアナ。ユアナを怖がらせる悪いやつなんて、お姉ちゃんがぶっとばしちゃるけんね」
ユアナから身を離し、雨戸が閉じた窓に向き直るマユナ。
ひゅうぅううぅぅうぅ……と静かに息を吐きながら、構える。
「破ーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっ!!」
ぼっっっ、と右の正拳突きを虚空に放つマユナ。
それを受けたかのように――雨と風が途端に弱まった。
仮に、この世に神がいるとするなら。
「いい加減にせんかい! ユアナが怖がってるでしょ!」といった一喝と一撃を神に加えるかのような――マユナはそんなイメージをもって本気で拳を放った。
「……ほらね」
にぱ、とユアナに笑顔を向けるマユナ。
ユアナの目に、光が戻る。
結論から言えば、それは完全に偶然であった。単にタイミングが合っただけでマユナにそんな超常たる力はない。
後年になってユアナもそこは理解するが――それよりも大事なことがひとつ解った。
マユナは、ユアナのためなら強大な自然が相手でも立ち向かい、そして守ってくれる。
ユアナにとってその事実はとても頼もしくて――嬉しかった。
「……雨弱くなったけど、お姉ちゃんといっしょに寝る?」
マユナの問いに、小さくうなずくユアナ。
もう怖いものは過ぎ去ったが、今はマユナと一緒に居たかった。
どこまでも優しい姉と、離れたくなかった。
「ねぇユアナ……今度ゴキブリが出たら、お姉ちゃんとママを助けてくれるかな?」
「……うん」
ベッドの中でユアナはマユナに誓った。
家族を脅かすものがあるなら今度は自分が守ると。
大切なものを
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