豚は豚らしく鳴け
☆ † ♪ ∞
[二〇××年 某月某日]
[午後四時三五分]
[公立
一日の授業が終わり、クラスの生徒達も帰り支度をしたり部活の準備をし始めたあたり。
ランセも帰ろうとしたが、そこでなぜか両手に軍手をはめていたマユナが目についた。
「……どうしたゴリラ」
それが気になって、ふとマユナに声をかけるランセ。
「んー? あー、えっとね、お姉ちゃんこれからコチョパイのお手伝いに行くから」
「……コチョパイ?」
いきなり聞き慣れない上に奇妙な名称が出てきて、思わずオウム返しするランセ。
「コチョパイは三年の先輩でね、お姉ちゃんちょこちょこ宿題見てもらってるのさ。コチョパイやさしいし」
「……お前部活もやってないクセによく上級生と仲良くなれるよな。その上宿題見てもらってるって図々しくないか」
上級生に宿題を見てもらうという図々しさより、どうやって普段関わりのない上級生と仲良くなったのか、マユナの謎のコミュ力にランセはため息をついた。
ランセが知る限り、中学生の時からマユナは同級生のみならず下級生や上級生にもやたら知り合いが多かった。
「まーまー……そこでさ、宿題見てもらってるお礼に今度はお姉ちゃんがコチョパイのお手伝いをしてあげようってね」
「なんの手伝いだよ」
「職員室に置いてあるドラセナの植え替え。ほら、結構大きい観葉植物あるでしょ。コチョパイが言うにはそこそこ力仕事になるんだって」
マユナに言われて職員室の風景を思い出すランセ。
確かに、一メートル超の大きい観葉植物がある。植え替えとなればその鉢を運ぶだけでも普通の女子生徒には力仕事になるだろう……と容易に想像できた。
「……オレもなにか手伝うことはあるか?」
「えっ、お姉ちゃん一人でも大丈夫だと思うけど……ランセちゃんも来てくれるの?」
ランセの申し出が意外だったのか、ぱぁっと表情を明るくするマユナ。
「お前が世話になってるなら、その先輩に一言礼を言っておかないと」
「……保護者かな?」
素で保護者感を出すランセに、恥ずかしさと情けなさで微妙な面持ちになるマユナだった。
☆ † ♪ ∞
[同日]
[午後四時五七分]
[公立春日峰高校 校舎裏]
「――ありがとうございます。マユナちゃんと
植え替えを終え、女子生徒がマユナとランセにしず、と頭を下げる。
――
絹の反物を思わせる、一切の乱れがないストレートロングの黒髪。
両目はやや細いがまつ毛が長く、黒目がちな瞳は見る人を引き込みそうな
端麗にして清楚。それこそ大和撫子と呼ぶにふさわしい美形。
職員室からドラセナの鉢を運んだり、新しい土や肥料を運んだりと確かに力仕事もあったが、植え替え自体はコチョウの指示が正確だったこととマユナの謎の器用さによって滞りなく終わっていた。
「うむ。大義であった」
「……お前なにもしてないだろ。なにしに来たんだ」
ふんす、と小さな胸を反らしてドヤ顔を決めるアマネに
完全に暇つぶしの冷やかし。
植え替えの際に多少散らばった土をホウキとチリトリで掃き掃除しているコマリの方がまだ有意義だった。
「それにしてもコチョパイ、用務員さんの代わりに植え替えをやるなんてえらいよね」
「いえ……たまたま植え替えの時期が来ていたのと、あとはほとんど私の趣味みたいなもので……それが偉いなら、手伝ってくれたマユナちゃん達も充分に立派ですよ」
青々としたドラセナジェレの葉を指先でなでながら、マユナに柔らかく笑いかけるコチョウ。
事実、春日峰におけるコチョウの善性は教師生徒問わず評価が高い。
令嬢のごとき品の良さを持ちながらも、同級生だけでなく下級生にも対等に接することができる器量。
地味だろうが、誰もが嫌がる仕事だろうが率先してこなせる度量。
無欠の聖人――コチョウを見知った者は大抵がそんな印象を抱く。
――が、それはしょせん第一印象に過ぎない。
「――ところで、刻さん」
静かに、しかし吐息がかかるほど近くまでランセに歩み寄るコチョウ。
ランセでもドキリとするほどの美貌に、思わず半歩だけ後ずさる。
「な……なんですか?」
「突然で申し訳ないのですが――」
黒水晶のような瞳が遠慮がちに伏せられるも――次の瞬間、その瞳は別の輝きを放ち始めた。
「――私を
「…………………………………………………………………………は?」
清廉清楚とは程遠いどころか対極の、
一瞬で、ランセの中にある「良い人」というコチョウ像に致命的な亀裂が入る。
――汐月コチョウは確かに聖人である。
しかし無欠ではない。
真性かつ頭に“ド”が付くマゾだという歪んだ本性を、隠しきれずに割とあっさりバラしてしまうことさえなければ――無欠たりえた。
「お願いします……! 刻さんのような冷たい美形の方からそれこそ冷酷無情に罵られたいんです……! あわよくば人としての尊厳を踏みにじってほしいんです……!」
「はいはいはいどうどうどう。確かにランセちゃんはS寄りだけどコチョパイのように本物じゃないから!」
ランセにとっていつものマユナ以上に訳の解らないことを口走るコチョウを冷静に引き剥がすマユナ。
「ああっ……! お願いマユナちゃん……! この場は黙って私が虐げられる様を見届けてほしいの……!」
「……いい加減にせんかいこのメスブタがー!」
ばちーん! と盛大にコチョウの頬を引っぱたいた……ように見せかけて自分の手を叩いただけのマユナに、コチョウはすこしだけ冷静になって――残念そうに、嘆息した。
「……ごめんなさいね、マユナちゃん。やっぱりあなたの罵倒は優しさがにじみ出てて……」
「あー……やっぱダメっすか」
満足できない――と言いたげなコチョウに、肩を落とすマユナ。
元より、マユナは他人への悪口などまず口に出さない
ランセはマユナをゴリラなどと罵倒したりするが、それはマユナに対してのみである上に、そもそもマユナを心底憎悪しての罵倒ではない。
今日初めて知り合った、しかも年上の人間をいきなり罵倒できるほどランセは礼の道を踏み外してはいない。
コマリは相変わらず掃き掃除をしており、最初からこの状況にまったく関心がない。
残ったのは――たった一人。
「ふむ……先ほどから気にはなっていたが」
すたすたとコチョウに近寄るアマネ。
「――豚風情が、なぜ私より
その場を氷結させる一言。
普段は炎のような
人ではなく――それこそ養豚場の豚に向けるような視線。
「――――~~~~~~~~~~~~~~~っっっ!!」
声なき絶叫と共に、見えない鉄槌に押し潰されたかのごとく即座にその場で土下座するコチョウ。
ちょくちょく土下座を使うマユナも感嘆の息をもらすほどの見事な土下座だった。
「おっ、お見苦しいところをお見せしてっ……大変申し訳ございませんっっっ……♡」
「……貴様は豚なのだな?」
「いい、卑しい雌豚でございますっ……♡」
「ならば解せんな。なぜ豚が人語を解している? 豚は豚らしく鳴くものではないのか?」
「ぶ、ぶひっ♡ ぶひひっ、ぶひぃいぃいぃぃぃ~~~~~~っ♡♡♡」
土下座したコチョウの頭をぐしぐしと踏みにじるアマネに、滝のような鼻血を流しながら歓喜の鳴き声を上げるコチョウ。
「よかったねコチョパイ……! 思いきりいじめてくれるご主人様が見つかって……!」
皮肉ではない賛辞を贈るマユナ。
その一方で、ランセは顔を青くしながら一歩二歩と後ずさっていた。
「……ランセちゃん?」
「………………………………このひとこわい」
「ランセちゃんが珍しくドン引きしてる!」
――人にとって、人以上に恐怖となる獣は世界に存在しない。
(ミシェル・ド・モンテーニュ)
それまで剣の道以外で他人に対して恐怖で背筋が凍りつくなど微塵も思っていなかったランセにとって、コチョウの存在は未知の脅威だった。
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