第31話

 そういうと詩折は姿勢を正して、


「うち、卒業したらここを出ます」


「……何か不満でもあったか?」


 そう聞いた光秀に彼女は首を振って、


「そんな、ちょー楽しかったっす」


 そして、


「内定貰った会社が関西なんすよ。近場は全滅しちゃったんでもう選択肢ないんす」


「あー、おめでとう」


 寂しさが胸中にあるが、それを隠して光秀は微笑んだ。

 ふと、由希恵の方を見ると、その様子に変化は見られない。事前に話があったことは明白で、当たり前だよな、とも思う。

 しかし、


「来年から、寂しくなるなぁ」


 聡と詩折。特に盛り上げ役だった二人だけにその影響は大きい。

 仕方ないこととは分かっていても、慣れきってしまった生活の変化に不安を感じざるを得なかった。




 後日、光秀は信一の部屋を訪ねていた。

 部屋には彼一人。机に向かってただ壁を見ている。

 光秀は床に座ると、


「で、話ってなんの事?」


 単刀直入に聞いていた。

 信一は振り向くこともせず、ただ小さな声で、


「僕も、引っ越そうかなぁ」


「本気か?」


「……冗談」


 少しの間を置いて信一が答える。

 か細い蝋燭の火のように気持ちが揺れ動いているのが見て取れる。

 そのやけっぱちにも見える言動に不安を覚えながら光秀はゆっくりと口を開いた。


「いいんじゃないか、全部投げ出しても」


「……」


 返事はない。

 表情が見えないため、その背中を見つめて、


「嫌なのか?」


「……わかんない」


 その声はとても小さく、そして微かに震えていた。

 それが答えみたいなもんだろ、と静かにほくそ笑む光秀は、


「二つに一つだと思うぜ。全部投げ出すか、全部抱え込むか。どっちも怖いけど案外どうにかなるもんだろ」


 投げやりにも見える言い方をする。

 それはまるでもう一人の親友のような口調で、信一はそれを聞いて振り向いていた。

 顔には弱々しい笑みを浮かべ、


「みっちゃんには似合わないよ」


「分かってる。言って後悔してるとこ」


 光秀はいたずらっぽく笑うと、信一は軽くため息をついて、


「ごめんね」


「いいよ、別に」


「それと、もう一つ言っていい?」


 どうぞ、という返答を受けると、信一は片頬を膨らませて、


「誘った聡が一番最初に抜けるってありなの?」


「いや、そりゃ仕方ないだろ」


 ひと月ふた月で言われたなら同じように思っただろう。もう三年も経つというのにそんなことを言われたら聡も驚くはずだ。

 それでも不満が収まらない信一はぐちぐちと小声で文句を呟いている。

 調子が戻ってきたみたいで光秀は少し安心して、声を掛ける。


「なんにせよ、なるべく先手を打って話はしておいた方がいいよ。変に時間が空くと絶対拗れるから」


「それって経験則?」


 まぁな、と光秀が返事をする。

 それを見てわかったと小さく頷く信一は、


「ねぇ」


 そう言って、返答も待たずに言葉を続ける。


「これで終わりだと思う?」


「何が?」


「問題というか変化、かな」


 その問いに光秀は直ぐに言葉が浮かばない。

 どうだろうな……

 少なくとも光秀は変化は望んでいない。が、向こうから来てしまうものに対して願望など無意味に等しい。

 それに恵美の子供が産まれたら否応なしに影響が出るだろう。

 ……ん?

 そこで一つ気が付く。

 言おうか言うまいか視線を泳がせてから、光秀は眉間に皺を寄せ、


「恵美ってここで育てるつもりなのかな?」


「そりゃあ……どうなんだろう?」


 信一も首を傾げている。

 今まで大人だけが集まって生活していたところに、乳児が入ってくる。それは大きな事で、同時に、


「……なんか、楽しそう」


「えっ!?」


 ぽつりと呟いた台詞に信一は過剰に反応する。

 それがあまりに大きな声だったため、光秀は耳を抑える振りをしながら、


「急になんだよ」


 抗議の声を上げるが、彼はただ目を丸くしているばかりだ。

 短い時間待ってみても動きがないため、


「だってさ、同じ家に子供がいたら面倒見ない訳には行かないだろ? 楽しくないか、そういうの?」


「……いやぁ、子供好きじゃないし」


 渋い顔をする信一は、


「それに、そうなったら父親がどうとか別にどうでも良くなっちゃうじゃん」


 そうか? と疑問を持ちつつ、心のどこかでそうかもと納得する。

 書類上恵美は結婚するとしても、子育てを二人、または三人でしなければいけない理由は無い。少なくとも恵美の子供を自分の子供のように可愛がることに抵抗がなかった。

 子供からしたら父親みたいな人が二人だろうと三人だろうと対して変わらないだろう。呼び方はおじさんになるだろうけれど。

 そんな展望を思うとどこか燻っていた鬱屈した気持ちが晴れていくような感覚になる。

 特別子供が好きと思ったことはないけど、悪くないな。

 もちろん自分の子供ならなおさらだろう。ただその子に身近なお兄ちゃんがいるというのも楽しそうだ。

 そんなことを考えているとドアの外から何かが走り抜ける音が響いていた。

 ひどく焦燥を感じさせる音は遠ざかって、そして、コンコンというノックの音が部屋の中に木霊する。


「どうぞー」


 気の抜けた声を信一が投げかけると、ドアが開きその先には顕志朗がいた。

 思わぬ来訪に二人は顔を見合わせる。

 なに用か、と思ってそろって視線を向けると、顕志朗も首を若干傾けて、


「今、由希恵が走って出ていったが、何かあったのか?」


「いや、そもそも入ってきていないからわかんない」


 その問いに信一が応対する。

 訳が分からない、と光秀は思う。そして、かすかな不安を同時に感じていた。

 それは信一も同じようで、目が合うと彼は軽く頷いて、


「様子、見にいったら?」


「そうだな」


 座り込んだ腰を上げて、光秀は立ち上がる。

 部屋を出るとき、後ろから応援の声が聞こえ、それに片手をあげて足早に家を出た。

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