第25話 夜会話

 深夜。

 日付を跨いだ辺りで光秀は布団から体を起こす。

 不思議と眠れない日だった。体がむず痒いということも無く、適度に疲労感もあるのに頭の中が冴えている。昼間に寝すぎたせいかもしれないと思いつくが、それがわかったところで眠れるわけでもなく、光秀は立ち上がる。

 民宿の一室、男性四人が眠れるように布団が並べられている。

 昼間から夜まで遊び通しだったせいか光秀が動いても誰も起きる気配がない。

 ちょっと散歩でもするか……

 静かに寝間着から着替えて部屋を出る。

 廊下は薄暗く、差し込む月明かりが照らしている。

 この時間、外を出ることを想定していないのか、電灯は小さな物が点々と続くのみ。それでも見えない訳では無いのでフロントへと向かう。


「どうかなさいましたか?」


 フロントは無人だった。が、物音に気がついたのか、奥の控え室から男性が一人出てくる。


「ちょっと散歩したくて」


 その言葉に男性は少し顔を顰めていた。

 門限があったのか、と思ったが、


「分かりました。正面は閉まっていますから裏口から出られますのでそちらをご利用ください」


 と、元来た道を指さす。

 光秀は会釈をしてそちらに向かうと、


「あれ?」


 正面から歩いてくる女性の姿を見つける。

 恵美だ。

 館内着でもない、私服姿を見て、


「……散歩?」


「うん、ちょっと眠れなくてね……光秀も?」


 問われ、あぁと光秀は頷く。

 たまたまだけれど目的が同じこと少し可笑しくなって口角が上がる。

 つられるように恵美も笑うのを見て、


「こっち。着いてきて」


 付かず離れずの距離を保って彼女を案内する。




 潮の引く音の大きさに驚きつつ、光秀は砂浜に腰を下ろす。

 昼間とは打って変わってしっとりと冷たい砂に、手が沈むような感覚を覚える。

 水面には欠けた月。不安定に揺れてその形を正しく伝えようとしない。


「……」


 そこに会話は無い。

 同じように座る恵美は海から光秀へ視線を流す。

 それに気づいて、光秀も、


「……なんかいいよな。こういうのも」


 満ち引きの音に合わせて、自然と口調もゆったりとなる。

 目を合わせて、見つめあう。

 十秒、二十秒と経ってもともに動かない。

 どれほど時間が経っただろうか、二人の間をひと際強い潮風が通りすぎる。

 なびく髪を押さえながら、


「ありがとう」


 恵美が首を傾ける。


「なにが?」


「ルームシェア。光秀のおかげで楽しくできてるから」


 それは言い過ぎだろう、と思い、


「いいの、私がそう思ってるだけでも」


「……こちらこそ、楽しくやらせてもらってるよ」


 そう言われたらなぁ……

 謙遜でもなく、普段の生活において盛り上げる役ではないことは自覚していた。

 いてもいなくても、そう大して変わらない。なるべく皆のために何かできる存在であろうとは思うが、どうしても景子や聡など、自分よりふさわしい人がいると思ってしまう。

 それでも、仮に冗談であったとしても、この場で褒められて否定するほど空気が読めないわけではなかった。

 恵美が視線を海へと向ける。

 それにつられて、光秀も顔を正面へと移す。


「ねぇ」


 短い言葉を光秀が聞いたとき、地面についていた手を覆うように温かい重さが触れる。


「一つ、話してないことがあったね」


 重なった手に体重がかかる。体一つ分空いていた二人の間隔がゆっくりと詰められていく。

 特別いやな感じはしていない。光秀はゆっくりと力を抜いていた。


「私がポリアモリーって思ったときの話」


「そうだな」


 肩同士が触れ、そこに恵美の頭が乗る。


「私ね、好きな人がいたの。同じルームシェアの先輩。思い切って告白してオーケーもらえたときは嬉しかったなぁ」


 懐かしむような遠い声で話を続ける。


「当時のルームシェアの皆も祝ってくれて、幸せな日々だったわ」


 だった、という言葉を光秀は好きになれないでいた。

 それに構わず、恵美はぐっと体重を預けて、


「でもね、他に好きな人が出来ちゃったの」


「誰を?」


「同い年の女の子。勘違いさせるように言ったけど、浮気をしたのは私じゃなくて付き合ってた先輩のほうなの」


「なんだそりゃ」


 話の流れが想定とは違う方向に進んだことに、光秀は困惑していた。

 その様子に笑う声が聞こえて、


「誰かと付き合っていて、例えば芸能人をみて可愛いなって思ったらポリアモリーですってことにはならないでしょ? だからそれで自覚することなんて滅多にないんじゃないかな」


 言われてみれば、と納得する。

 だから、


「それで?」


「うん。最初に気づいたのは同じルームシェアしていた先輩の女の子だったの。ちょうど由希恵みたいなちっちゃくて可愛らしい人。私のこともよく気にしてくれてね、ただ皆の前で彼氏を問い詰めちゃったから結構な口論になっちゃったんだ」


 そこで恵美は一度言葉を切る。

 深く息を吸い、長く吐く。握られた手にも力が入っていた。

 そして、また話し始める。


「その時私は嫌だなぁって思ってた。彼氏に浮気されたことじゃなくて、皆が喧嘩をしていることに。でもどんどん言い争いが激しくなって、で、私聞かれたの」


「なんて?」


「どう思ってるの? って。だから何も考えずに別にいいよって言っちゃった。そこからは今度は私の方が変だっていう話になってね。どう言い繕っても益々悪化するだけ。そしたらみんないなくなっちゃった」


「それはおかしいだろ」


 ただの話のすり替えだ。光秀はそう思って口にする。

 少なくとも責められる理由がない。例え恵美が浮気を許容できる人であっても、同意なく勝手なことをしたのはその時の彼氏である事実は変わりない。

 自分でも驚くほど苛立ちがふつふつと湧いてくるのを感じる。

 皆勝手すぎるのだ。見当違いな攻撃を加え、あまつさえそれを聡に流布までする。悪意ある行動としか思えない。

 光秀は掌を返して、恵美手を強く握る。


「酷い奴らだよ」


「そうね。今思えばそうだったかも。当時はそんなことを言ってくれる人はいなかったわ。顕志朗さんもどうにかしようとは思っていたみたいだけど、あの人恋愛感情が分からないから右往左往しててね」


「あー……」


 何となくだがその光景が思い浮かぶ。ともすればぶっきらぼうと捉えられるだろう無口な先輩も、ただ口下手なだけでどうにかしたかったはずだ。結果はどうであれ、今も恵美に寄り添っているのはその時に上手く出来なかったからなのかもしれない。

 勝手な想像だが、彼ならそうするだろうと光秀には確信があった。

 そんな事を思っていると、恵美が、


「ということがありましたって話。ちゃんと愛してくれるなら何人女がいても気にならないし、私も皆と仲良くしたいし。そうやって輪っかが大きくなっていけば、それってすごく素敵だと思うんだ」


「……大変だったな」


 話を聞いて受け入れ難いことも確かにある。が、光秀は苦なくその言葉が言えた。

 その時の経験で歪んでしまった、というのは簡単だ。だが一人の男性よりも集団を大事に思うことがそれほど悪いことのようには思えなくて。

 恵美は薄暗がりのなか、小さく笑みを浮かべる。

 そして小さく、ありがとう、と言って、


「好きよ」


 それから、


「でもこれでいい。これがいい。光秀が悩んで怒ってくれるこの距離感が好き。多分エッチしたらお互い不幸になるだけだから」


「そうだな」


 お互い顔を見合わせて指を絡ませ合う。

 ここまで、という理由が光秀にはわかる。惜しいと思わなくもないが、関係が深くなった時、どうしても信一や顕志朗が脳裏に浮かんでしまうだろう。そしてそれを顔に出さないほど器用でないことも。

 あの二人なら気にしないこともわかっている。気にするのは自分と、そしてそれを背負わせることになった恵美だ。

 だから、ここまで。

 それでいい。それがいい。

 波は一段と高く打ち寄せ、そして引いてゆく。それを見て二人は手を離した。

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