第24話 旅行
七月末の空はどこまでも突き抜けていくような青空だった。
かねてから予定されていた旅行当日、無事欠員もなく迎えられ、一行は神奈川県の海水浴場へと向かう。
下道をメインにしても三時間程度。ちょっとしたドライブを経て目的地に着く。
「おー、海見えたぞ!」
車内で聡が言う。それに便乗するのは詩折だ。
「わぁ、青いっす」
「海だもん、当然でしょ……」
窓を開けようとする詩折の手を抑えながら由希恵がいう。が、その頬はゆるみを見せていた。
運転は都内を抜けて一時間は景子がしていたが、その後交通量が少なくなった辺りで光秀に変わっていた。助手席には顕志朗が座りナビの代わりをしている。
「……大丈夫か?」
顕志朗がスマホの地図アプリを見ながら問う。それに光秀は小さく、そして細かく首を振ることしかできない。
交通量の減った道は、それに合わせて車線と道幅も減っている。そして、八人が乗るための三ナンバーのワゴン車を光秀は運転したことがない。
緊張で呼吸が止まる。肩に力が入り、瞬きの回数も少ない。
「あと少しで着くからな」
顕志朗の声がどこか遠くに感じながら光秀はゆっくりと、法定速度よりも十キロほど遅く車を走らせていた。
「俺、遠泳してくるわ」
聡はそう言うと焼けた砂浜を躊躇せずに駆けていく。
私も、と詩折がそれに続く。その後ろ姿に由希恵が気をつけてねと声をかけていた。
その彼女はテーブルに皿を並べている。彼女らしい白の水着に同じく白いラッシュガードを羽織って、その隣では顕志朗も手伝っていた。
料理担当の信一と恵美がBBQの準備だ。すでに炭から火が高く立ち上り、その上にはまだ何も置かれていない。火勢が落ち着くのを待っている状態だ。
そしてそこから少し離れたところで、並べられたパラソルとサマーベッドに光秀はいた。
タオルで顔を覆い、腹の上で手を組んでいる。
……疲れたぁ。
無事現地にたどり着くことは出来たがもう何もする気力がない。
そして、その隣には同じく同じ姿勢で横たわる景子がいる。
ビーチパラソルの根元にあるテーブルにはビールの空き缶が並んでいる。車はすでに近くの民宿の駐車場に鎮座しているため、今日はこれ以上活躍することは無い。
酔いと暑さに項垂れながら光秀は大きく息を吐く。ついでとばかりに胃に溜まった炭酸も、喉を鳴らして吐き出される。
「品がないわねぇ」
景子が顔も向けずに言葉を発する。
「すみませんねぇ」
我ながらやる気のない返事だ、と思いながら光秀は顔にかけていたタオルを取る。
体に疲労は大してなかった。あるのは精神的なものだけだ。
走行中はそれほど感じなかったそれも駐車の時が一番神経を使っていた。何度切り返しをしたかも覚えておらず、結局皆が外に出て細かく指示してくれるのに従うほかない。
ただ、番頭多くして、という言葉もある通り、複数の指示に脳みそがパンクしそうになったため、結局は景子の指示を待つということになったのだけれど。
そんなこともあって、景子とともに運転組は遊びに行く元気もなく休ませてもらっている。
「……暑いですね」
「そうねぇ」
太陽の光がパラソルを透過して目に当たる。
恵まれた天気も、程度が過ぎれば不快感を強く感じる。
「……楽しい?」
そろそろ起きるか、と光秀が体に力を入れたとき、横から声が飛んでくる。
見れば、景子と目が合う。
「これからでしょ」
まだ運転だけで何もしていない。そう伝えたかった。
景子はそのまま視線を外して周囲を一周見る。
BBQの準備をしている人、カトラリーをそろえる人、遠くで海に入っている人。
それらすべてに目を通して、そして、
「皆、こうやって遊んでいるときは何か悩みがあるようには見えないのにね」
小さくぽつりとつぶやく。
光秀はそれに笑いながら頷く。
視界に入るものの大半は大海原。水平線までしっかり見えている。
……小さいな。
空も海も、この大地も。えげつないほど大きいのに、心というちっぽけな戦場で戦っている人間がとても馬鹿らしく、そして、
……それもまた、良し。
そう思えることが嬉しく感じる。
いつか、どうしようもなく迷いこじれたときでも、ここに来れば変わらない景色が見られるのだから。
疲れて酔っているからだろう。自分でもずいぶん臭いことを考えていると光秀には自覚があった。
が、それほどまでに、皆の表情が明るいのだからしょうがない。
「そうですね」
感じたまま、光秀はぼんやりとそう話す。
「……このまま時間が止まればいいのに」
「聡と詩折が溺れ死にますね」
光秀の軽口に、景子は笑っていた。
その時、
「おーい、そろそろ起きない?」
信一の声があたりに響く。
向けられているのは自分たちか、と光秀は思い、体を起こす。
「立てますか?」
本来ならば聡の役目か、とも思いながら、景子に手を伸ばす。
それをぐっとつかまれ、
「ありがと」
景子は体重を預けてくる。
おっと……
予想以上の重さに体がもっていかれそうになるのをこらえて、光秀は腕を引く。
立ち上がった景子とはこぶし一つ分も離れていない。
近い、そんな当たり前なことが光秀の脳裏に浮かぶ。それよりも、自分より身長が高い人が目の前にいることによる圧力を感じて、一歩引いていた。
うなじにきらめく汗をにじませた彼女はそのまま手を離すことなく、
「よっし、ご飯の時間ね!」
そう言って、光秀を連れていく。
準備の済んだ調理場では大きな円形の鉄板を囲むように人がそろっていて、
「バーベキューと言えばやっぱりパエリアからだよね」
光秀の顔を見た信一が親指を立てつつ、そう話す。
それに、テンションが高いな、と感じつつも、
「……そうだっけ?」
「いや、私も知らないわよ。本場はそうなんじゃないの?」
光秀が景子に意見を求めると、彼女は首を振りつつそう答える。
そもそもパエリアってスペイン料理なはずでは?
そんな疑問も魚介の濃厚な香りの前ではすぐに霧散してしまう。
「お、いい感じじゃん」
後ろから声がするのに気が付いて、見ればびっしょりとした男女二人が海から戻っていた。
「早かったね」
タオルをもって、由希恵がそういうと、
「サンキュ。いやー足つってそれどころじゃなかったわ」
「相原さん死にかけるんすよ。びっくりしたっす」
はははと笑い合う二人に他六名は明らかに引いていた。
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