第9話 決意不退

 光秀は大きくため息をついていた。

 二人について行ってから二日が経ち、未だ信一への返答を保留していた。机の上には更新料の支払いの紙が一枚。期限は五日後に迫っていた。

 二年間で慣れ親しんだ我が家は、不便ではないが特別居心地が良い訳では無い。周辺の施設も充実しているとは言い難いし、毎朝短くない時間、満員電車に揺られることになる。家賃は相場通りだし、部屋も広くはない。

 それでも引っ越しするとなると手間もお金もかかる。そして何より、今より自由では居られなくなるだろう。

 たまに終電すぎまで飲んで聡の家に泊まった事はあるが、友達と言えどそれなりに気を使うし、気を使われていたように思える。それが今後しばらくとなった時耐えられるかどうか分からない。


「はぁ……」


 何度目かも分からないため息。メリットとデメリットの方向性が違いすぎて簡単に比べようがない。

 それに、あの二人は一緒にいるというのに自分だけ一人になる事がさみしいと思う気持ちが徐々に膨れ上がってきているのを感じていた。今まではたいがい三人一緒だったが今後は二人でいる時間が増えていくだろ。そうすると徐々に話が合わず、ゆくゆくは疎外されるなんてこともあるかもしれない。他に大学に近しい友達はいないため、数少ない友達を失うようなことはしたくない。

 そこまで考えて、必要なことが分かった。我慢だ。独りへの我慢か、不自由への我慢か。どちらもできればしたくはないが選ばざるを得ない。


「んん……」


 悩んでみても、答えは出ない。

 と、その時、床の上に投げ出されていたスマホが鳴動しているのに気が付いた。通知かと思い手に取って起動すると、そこには今の悩みの元凶ともいえる人物からメッセージが来ていた。


『引っ越し作業手伝って 出→昼飯』


 聡からだった。昼飯を奢る代わりに労働要員が欲しいらしい。どう返信を打つか悩んでいると、


『明日は僕のほうも 出→スマイル』


 グループチャットのため、先に信一から返信が来ていた。

 だいぶ人を舐めた文章に思わず笑いがこみあげてくる。それと同時に頭の中の天秤が傾くのを感じていた。

 あぁ、やっぱりこの関係は続けていきたいな。

 結論は早いほうがいい。光秀は手早く文章を打ち込んで外出の支度を始めた。


『明後日、手伝って 出→新居での発言力』



 不動産会社に一報入れるとすぐに受理された。期限まで近かったので何かごねられるかと思ったがすんなりと事が進み拍子抜けしてしまう。

 もう後には引けないな、と思う。しかしその選択をしてしまったのは自分自身だからしょうがない。

 不安はあるが後悔するにはまだ早すぎる。ただ、選択肢が無くなると道筋も見えて何となく気持ちが楽ではあった。

 三人の引っ越し作業は滞りなく行われていた。家具のほとんどを持っていく必要がなかったため、いくつかの私物をまとめて手で持っていくだけでよかった。それよりも二年間で溜まった部屋の汚れを掃除する方が大変なほどだ。粗大ゴミはすぐには捨てられないため申請をする必要があるし、別途お金もかかる。それが一番の手間だった。

 遠方に住む信一は親が車を出してくれたため、片付けもなく手伝いという程のことをしていない。ただ、荷物の中の一つに大量のぬいぐるみがあり、その封を開けた時、聡と二人して顔を見合わせることとなった。本人は気恥しそうにその箱を奪い取ると、


「……高いんだから、丁寧に扱ってよね!」


 そう言って自分のベッドに丁寧に並べていた。

 ほとんど自分が眠る場所が無くなる程、ぬいぐるみだらけになっていたが、本人は満足気にしていたためそれ以上何か言う気にはなれなかった。

 そこそこの付き合いでも知らないことはあるんだな、と光秀はここ数日の事を思い出していた。現在はリビングで特にやることも無く、テーブルでスマホで芸能ニュースを流し見しながらだらけていた。

 他の住人のうち、信一と恵美は食材の買い出しに、顕志朗は自室にこもっていた。一番気がかりだった信一は何故か初日から恵美と仲良くしていて、あの時の態度はなんだったのかとこちらが思うほどだった。家事のうち料理を担当する二人なので仲が良い事は助かるのだが、肩透かしのような感じがして納得いっていない。

 逆に聡のほうは思っていたより積極に交流を持とうとしていなかった。不満があるという訳ではなさそうなのであまり気にしていないが、ちぐはぐさにどうも調子が狂う。

 その原因と言っていいのだろうか、心当たりがあるとするならば、


「ひまだねぇ」


 光秀の向かい、テーブルには聡とその彼女、佐久間サクマ 景子ケイコが文庫本を片手にそう呟いていた。聡はそれに返事をせず、ただスマホの操作に集中しているようだ。

 景子は本を読まずにただ視線を真っ直ぐに向けていた。光秀を通り越してその先、カーテンの開いた窓からは電車の高架が見えていた。

 三月に入り寒さも徐々に落ち着いてきて、残雪もほとんど溶けきっていた。春の訪れを肌で感じるにはもう少しかかりそうだが、照りつける陽の光は柔らかく窓から差し込んでいた。




 

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