第10話 強強弱弱
景子の顔を視界に収めながら、光秀はぼんやりと彼女のことを考えていた。
一年の夏頃、一つ上の景子と学部内交流で出会ったのが最初。その後聡だけが彼女と連絡や交流を重ね、そしてその年の冬休み、交際をすることになっていた。学内外含め、たびたび顔を合わせることもあったが、
……なんか、苦手なんだよなぁ。
光秀は依然としてどこか心あらずといった表情の景子を見て、そう思う。一年先輩ということもあるが何より、
……今日はやけにおとなしいな。
普段の彼女を一言で表すならば、豪快に尽きる。姉御肌と言い換えてもいいかもしれないが、人との距離感がおかしい人だった。聡もそういうところはあるがそれをさらに、相手の意思を無視して暴走したといったら正しいかもしれない。
読んでもいないページをペラペラとめくる景子に、嵐の前の、という言葉が思い浮かぶ。それに対して監視者である聡は一人の世界にこもりっぱなしである。
当てになんねぇな。
光秀が心の中で毒づいてみても、気持ちは彼には届かない。わざとらしくため息をついてみてもピクリとも動かなかった。
聡が用意していた同居人のあてというのが景子だった。顔合わせの時考えてみれば当たり前かとも思ったが、それより過剰に反応したのが信一だった。
「あ、無理」
顔を合わせるなりそう言って手荷物をもって退出しようとした信一だったが、出口をふさぐ形で立っていた景子が、その頭をむずっとつかんでいた。成人男性の平均身長程度の聡と光秀よりも背の高い景子と小柄な信一では、勝ち目がないのは一目瞭然だった。まるで反抗期の弟とじゃれあうように、最後には小脇に抱えてリビングへと連れ戻す様は本当の姉弟のようだった。
一瞬危ぶまれた共同生活も、お互い大人な一面を見せ、それ以降目立って衝突することはなかった。といっても信一が一方的に拒絶していて、景子がそれをかまうのを控えているだけなのだけれど。
……
光秀は、コップに入ったお茶に口をつけながら、平和だな、と思った。陽気はいいし目立った不和もない。家事もお互い納得の上で各々のペースでこなしている。一番神経質になる金銭面も余裕をもって支払えている。入居前にびくびくとおびえてみたのは何だったのだろうか、と苦笑してしまう。
幸運だ、と光秀は思う。住人のモラルや常識が想定より良かった。それだけで快適な住環境を得ることができたのだから。それが薄氷の上でのことでないことを願いばかりだ。
だから、光秀は油断していたところに言われた言葉にすぐに反応できずにいた。
「……よし、外出るか」
「んー」
景子が急に立ち上がり言う。そして、荒々しく手にしていた文庫本を机の上に叩きつけると、
……
「えっ!?」
景子が掴んでいたのは聡、ではなく光秀の腕だった。存外強い力で根の強い雑草を引っこ抜くように持ち上げられる。
なぜ、と光秀は思う。同時に助けを求め視線をめぐらすが、一番頼りになるはずの人物の興味は電波の先に向けられていた。
「聡っ!」
「いってら」
声は聞こえてるのかよっ、と文句が浮かぶが声に出す前に光秀は散歩を拒否する犬のように引きずられていた。
「で、どこに行くんですか?」
マンションを出てすぐ、光秀は景子に声をかけていた。
冬の終わり、陽気が良くてもまだ気温は低い。時折強く吹く風に、身を切るような寒さを感じるほどだ。
大学以外には名所が殆どない駅には、人の姿はまばらだった。
「んー、特には」
そう言う景子は準備体操としてか足を伸ばすような仕草をしていた。どこまで行くつもりだ、と光秀は冷や汗が額に浮かぶのを感じていた。
薄手のコートにスキニーのジーンズ、トレードマークのハットを含め、全身黒でまとめているその姿は、その身長もあってかモデルのようなたたずまいだ。中性的な体つきのせいで男女ともに振り返る人がいるほどに。
しばらく悩むような仕草をしていた彼女は、いきなり歩き出していた。何か見つけたのだろうか、と同じように視界の先をたどるとすぐにあらぬ方向へと進行方向を変えていた。
なんとか目的を理解しようと同じような仕草を繰り返していた光秀は、五分ほどであきらめていた。仕方なく我が道を行く景子の後ろをついていく。
こんな時、聡だったらどうするんだろうな。
景子のことを一番詳しいのは彼なのは間違いない。だから最適解を知っているかもしれないし、同じようにただ子鴨のようについて回るしかないのかもしれない。
どちらにせよ、今できることは彼女が飽きるまで付き合って満足して帰るというまで耐えるしかないらしい。
「……ん、こっちかな?」
景子が急に方向を変え細い道に入っていく。
周囲の雰囲気ががらりと変わる。先ほどまでは少ないながらも商店やビルが並び、車通りもあったが、小道を抜けた先は一軒家が立ち並ぶ住宅街だった。
……へぇ。
こっちはこうなってるんだ、と光秀は思う。大学と駅の往復くらいしかしてこなかったから他の場所に何があるかは疎かった。
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