第4話 更新会議

 近所のファストフード店で安い食事を楽しんだ後、光秀は自宅は戻っていた。

 朝とは違い、その心中は幾らか晴れていた。体を動かすとやる気が出てくるというのはデマではなかったらしい。

 一時は本能の赴くままに出掛けることも考えたが、当初の目的であった掃除とゴミ出しが終わっていないことに気がついてそちらを片付ける事を決めていた。

 外では時折強く吹く風に乗って冷気が身を縛る。それが帰路に着く歩を速めていた。


「あー、さぶ」


 身を震わせながらマンションの入口に入り、郵便受けを確認する。そこには一通の封筒が入っていた。

 灰色の封筒だ。チラシの類以外のものとは縁がない為、不思議に思いながら差出人を確認すると、そこには不動産会社の文字があった。

 なんだろ、と思いながら封筒を抱えてすぐそばの自室の鍵を開ける。ドアノブを引けば暖気が溢れてくる。それをもったいないと思いそそくさと部屋に入りドアを閉めた。

 手荷物を置いて片付けを再開、とその前にハサミを探す。文房具類はひとところにまとめてあるのでそこからハサミを抜き取って開封する。

 中身は書面が一枚。文章がつらつらと書かれていて、それを読み進めるうちに光秀の表情は暗くなっていく。

 それはただの通知であった。来月までにマンションの更新料を家賃一月分引くという簡素な内容だ。

 確かにそんな内容のことを契約時にした記憶が蘇る。次いで即座に思い浮かんだのは口座の残高だった。


 ……

 足りない訳では無い。が、予想外の出費は学生にとってきついものがあった。

 とはいえ、では引っ越します、という訳にも行かない。また契約時に敷金礼金に引越し代がかかる方がお金がかかる。

 紙面を見つめたまましばらく考えていたが、どうにもならないことに気づいて紙を置いた。


「とりあえず、掃除しよ」




「お待たせー」


 手を振りながら現れた信一は光秀の隣、聡とテーブルを挟んで向かい側に座った。

 大学の最寄りの駅近くにあるファミレスに集まった三人は休みの間の近況を報告しあっていた。と言っても特定の相手がいない光秀と信一はだいたい自宅かバイトに行くくらいしか行動していなくて、また聡も気を使ってその手の話題を控えていたため、すぐに話題が尽きてしまっていた。


「そういえばさ」


 ひとしきり話したところでコーラを飲みながら聡はそう切り出した。


「俺、引越しするわ」

「ほーん」


 その言葉を受けて、光秀は気のない返事で返した。

 信一はドリンクバーに行って離席中。そのため他に話を続ける人がいないことに気づいて、


「……どうして?」

「更新料二ヶ月分が高くてさぁ。もっと安いところにしようと思って」


 どこかで聞いた話だな、と光秀は思う。

 聡の家は大学のすぐ近くだった。そのため間取りも築年数もあまり宜しくないのに家賃は相場よりも高い。周辺の施設も充実しているとは言いがたく、駅までも遠い。その事でよく不満を漏らしていたのをよく覚えていた。

 ただそうなると、講義終わりに集まる場所がひとつなくなってしまう。それだけを少し残念に思っていた。


「いいんじゃない。俺でもあそこに住むのは嫌だし」

「よくだべりに来といてそういうこと言うのな」


 不満気な表情の聡に対して、それは感謝していますよー、と適当に流す。

 そして、


「で、どこに引越すん?」

「そこ」

「そこ?」


 聡は手を上げ、指を指していた。その方角、真後ろの方を振り返ると、よく磨かれたガラス窓からは外の景色がよく見える。

 車通りを挟んで向こうにはスーパーやコンビニ、マンションが立ち並んでいた。聡の言葉を信じるのならばそのどれかということになる。


「なになに、どうしたの?」


 ドリンクバーから帰ってきた信一が二人の様子を見て言う。手には氷の入った黒い液体を持っていた。


「聡がここら辺に引っ越すんだって……何持ってきたん?」

「エスプレッソのルイボスティー割。最近ハマってるんだよね」


 あとミルク、と手に持った物をテーブルに置いたあと、所定の位置へ腰掛けた。

 そして、嬉々としてグラスにコーヒーフレッシュをグラスに入れてかき混ぜている。見た目はただのコーヒーなのだが、


「不味いだろそれ」

「……いつも言ってくるけど僕は美味しいと思ってるからいいの。それにルイボスティーは肌にもいいんだよ」


 聡に対して反論する信一だが、多分不味いんだろうな、と光秀は思っていた。

 以前にもドリンクバーで不思議な組み合わせを披露したことがあった。そのときは信一のことをまだよく知らずに勧められるまま飲んだが、翌日まで胃に違和感を覚えるほど強烈な風味だった。

 そのことを思い出す度に喉に込上げるものを感じるようになっていた。なので口には出さないが信一から飲み物を受け取るのは極力避けるようにしていた。

 信一が一口、口に含む。どんな味か想像がつかないが嚥下したあとの表情は無理しているような引きつった笑みでは無い、本物だった。

 その様子をやや引き気味に眺めていた二人に対して、


「そういえば、近くに引っ越すんだっけ。遊びに行ってもいい?」

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