第7話 自覚し始めた小さな副作用
私はとあるボランティア団体のお世話になっていました。
私のように病気や障害を抱えた人たちの支援をする団体です。
その支援の一環として「おはなし会」なるものがありました。
(具体的な会の名称は覚えていませんが便宜上「おはなし会」と呼ぶことにします。)
その「おはなし会」は生きづらさを抱えた人のための自由な交流の場所でした。
私も月に何度か参加させてもらっていました。
いつもいるメンバーは統合失調症の方と自閉症の方。
お二人とも教養に富み、どんな話題でもついていくことができる。
そういったところはとても尊敬していましたが、やはり普段押し込められていた自分を解放できる場。
二人とも弁が立つだけあって議論も白熱しがちでした。
私は引っ込み思案なほうでしたが、「打ち解ける」「仲良く交流」というより自分と他人のぶつかり合いという表現のほうが正しいこの会ではなんとか「自分」を出せるようになっていきました。
そして私もその方たちに負けじと声を張っていき…そのうちに涙が出ることもありました。別に悲しい話をしているわけでもなかったのに。
そしてさらに音がくぐもって聴こえる感覚も、おはなし会にいるときには襲ってくるようになりました。手で耳をふさいでいるような、水の中で音を聞いているような、それでいて常に小さく耳鳴りに似たノイズが響いてくるような不思議な感覚に支配されていました。
私がゾルピデムよりずっと後、19歳のころ飲むことになった「ルネスタ」という入眠剤の副作用も「音がくぐもって聴こえる、音が遠くで聴こえるようになりジーというノイズが音に交じる」というものでした。
おはなし会での、悲しくもないのに涙があふれてくる、水の中にいるように聴こえるなどの現象は入眠剤の影響だったと今では言えるでしょう。
音が聴こえにくくなっているときは自分の声も聞き取りづらくなっていたため、私はかなり大きい声を発していたはずです。それに関していまだに反省しています。実際ふと気づいたときには、横にいた人がびっくりした顔でこちらを見ていたことも何度かあったのです。そのことに気づいたときは冷や水を浴びせられたような心地になりました。
それからも自分の変なところを晒しながら、それでも受け入れられていることに甘えてしばらく通いました。私を否定しない環境はいくつもあるとは思えなかったからです。
しかしそこで自分でもびっくりするような思想や観念を他人に披露することになってしまうのでした。
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