第2話 君は?


今、僕は1人自分の家のリビングで座っている。


暗闇の中座っていた彼女のことは、名前などの情報も含め何も聞いていない。

帰り道で聞くことも出来たのだが、何となく聞いてはいけないような気がした。

しかし、名前くらいは知っておかなくては呼ぶ時にも不便なので、後で聞くことにしよう。


そんな、僕を困らせている彼女はと言うと、今は風呂に入っている。

いや僕が入れと言った。


これだけ聞くと犯罪感が否めないが、服も顔も汚れていたし仕方がないだろう。


今まで、自分しかいなかった家の中から自分以外がいることを感じ、少し心が暖かくなったような気がした。


人間不思議なもので、さっきまで死のうとしていたのに、他の人と関わることで安心してしまっていた。

その程度しか死にたいと思ってないのだろうか?

死ぬ覚悟ができていないのだろうか?


否。


どちらも本気だし、覚悟もできている。

だけど、心に少しの引っ掛かりがあるのは何故だ。

自分でも何がこんなに自分を引き止めているのかが分からない。

これからも、自殺を試みるのに、この気持ちでどうしたら良いのだろうか。


そんなことを考えていた時に風呂場から音が聞こえた。

あの子が風呂から出てきたのだろう。

一度この思考を捨てて、あの子のことをどうするのかを真剣に考えなくてはならない。


「お風呂ありがとうございました。」


僕の部屋着をダボダボに来て丁寧にお辞儀をしてきたその子を改めてよく見てみると、あの時よりもより可愛く美しく見えた。


「おう」と短く返事をしてから、僕は「ここに座れ」と彼女を座らせた。



聞きたいことは山ほどある。

親のことや、何故あんなところにいたのか。何があったのか。どうして、諦めたような顔をしていたのかなど。


しかし、それらを聞いたとして僕には何が出来る?

もちろん、この子の親に会いに行ったとして、強く当たれる立場でもなければ、家庭事情に首を突っ込める関係でもない。

多少は何か出来るかもしれないが、結局は何も変わらないだろう。


だからまずは、


「お前、名前は?」


とそれだけを尋ねることにした。


彼女は少しの間考え込んでいたが、「詩乃(しの)」と答えた。


「答えたくないなら、答えなくていい。なんであんなところにいたんだ?」

そう聞くと彼女は下を向いたまま黙り込んでしまった。

……少し踏み込みすぎただろうか。


僕は、とりあえず名前が聞けただけで収穫だと思いながら、話を変えることにした。


「お腹減っただろ?今あまり材料ないけど適当にご飯作るよ。好き嫌いとかはないか?」

そう声をかけると、彼女は少し目を丸くした後に、目を細めながら首を横に振り、「ない」と答えた。



それから数十分後、僕は、冷蔵庫の中にあった鶏肉を使って唐揚げを作った。


もちろん、僕はプロでもないし、誰かに習った訳でもない、素人が作ったものだ。

そう、親からも何一つ習ったことがない。

勉強も、生活するために必要な最低限の知識も、家族の愛情さえ。

……今は考えなくていい。もう過ぎ去ったことだから。


出来上がった唐揚げをテーブルに持っていくと、礼儀正しく座っている詩乃と目が合った。

彼女は少しだけ微笑んだ、ような気がする。しかし、すぐに無表情になってしまった。


この数時間でわかったことは、詩乃は基本無表情で感情を前に出さず、無口であるということだ。

だが、彼女に対してなにかしてあげた時にはほんの僅かに表情が優しいものになる。

その表情を見る度に、可愛いと思ってしまう。


しかし、その笑顔が作り物のような気がして、少し心が締め付けられた。


その少しの感情の変化に気づかれないようにしながらテーブルにご飯を並べていると、詩乃が立ち上がって手伝ってくれた。


「座っててくれても良かったんだけど、ありがとう」そう伝えると詩乃は少し戸惑いながら、

「うん」とだけ言った。


テーブルにご飯を並べ終わり、2人で「いただきます」を言って食べ始めたが……僕は少しだけ緊張していた。

仕方ないだろう。

自分の作ったものを他人に食べてもらうのは初めてなのだ。


別に僕はプロでもないし、なにかそういう道に進む訳では無い。

まず進む道なんて見つけてすらいない。

死ぬ事しか考えてなかったし。

まあそれでも他人に食べてもらうなら美味しい方がいいだろう。


少し緊張しながら詩乃が食べるのを待った。

詩乃が唐揚げをひとくち食べると、表情が変わった。

それは誰も分からないくらいの極わずかな変化だったかもしれない。

口角がほんのちょっと上がっただけ、目がほんの少し大きく開いただけ。

そんな少しの変化だ。


彼女と出会って、彼女を連れて帰ってきて、彼女に風呂を貸した。

たかがそれだけの時間しか一緒に過ごしていないが、それまでに彼女は大きく表情を変えたり、自分の意思を伝えてきたりしなかった。


まあ、最初に会った時は泣いていたし、一緒に来いと言った時は安心してくれていたけど。

そんな彼女が僅かにだが表情を変えてくれたことにどこか嬉しさを感じていた。


驚いているような、幸せそうな表情になった。しかしそれと同時に、懐かしいものを見ているような寂しそうな目をしていた。


「美味しい」


詩乃がそう口にしてくれたおかげで、僕の緊張も解けた。ひとくち食べてみると、確かに美味しかった。それに、最近は何も食べないことがほとんどだったからなのか、昔1人で食べていた時よりもご飯は暖かく感じた。




あの後、特に会話もなく晩御飯を終えて片付けまで終わらせた。

そして、これからの事を話し合うことにした。


「さて、これからどうするかなんだが……。君さえ良ければ、この家にいてもらって構わない。もちろん、変に気を使うのはなしだ。」そういうと、彼女は少し考えてから

「……じゃあ、ここにいさせて。」と言ってきた。


意外だった。

気を使うなとは言ったものの、こういうのは普通もう少し躊躇ったりするものだと思っていた。


少しの動揺を隠す意味も込めて、「こほん」と一度咳払いをしてから「わかった」と答えた。


この話し合いにより、詩乃との生活が始まったのだった。

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