夜、伸びたパーマと鈍行列車

@Yorunomichikace

第1話 TikTokに励まされるアラフォー男

雨予想の夜を満月が照らす。

片道2時間半以上かかる自宅までの道のりを思うと、社用車が止まっている駐車場を前に、大きな溜息が胃の中から迫り上がるように、歯の隙間からマスクの中に漏れ出した。

「大丈夫、息は臭くないから。」

誰にともなく、何が大丈夫なのかも謎な独り言を、道端に転がして、月曜日なのに既に重く感じる足を動かす。


今日は、あの子と食事に行くはずだったなぁ。曇り空の中、やけに明るく感じる満月に照らされながら、昼休みのLINEを思い出す。


『今日は夜大丈夫かな?』


『今日は偏頭痛が酷くて、また今度がいいです。』


『了解。今日はゆっくり休んでくれ。』


俺からの最後のLINEには、8時間経過した今でも既読が付いていない。

あの子とは、同じ工場にある違う会社のアラサー女子で、小さくて可愛い俺好みの女の子、ここではじゃぁ…ミツコのミっちゃんと名付けよう。

ミっちゃんとは、3ヶ月前に仕事の忙しさとプレッシャーで身体を壊してから急接近することが出来た。

知らなかったのだが、彼女もプライベートで病んでおり、俺が病んでしまった事を俺の同僚から聞いて、心配して連絡をくれたのだ。

それがキッカケで、それから2ヶ月位は毎週のように食事や電話をし、家にも何度か上げてもらった。

なのに、2週間前位からパッタリと連絡がとりずらくなり、その前から約束していた今日の予定も、あっさりと流れてしまった。


「偏頭痛で体調不良じゃ仕方がない。」

「また今度って、いつやねん。」


プラスとマイナスの思考が瞬時に脳内を走り、また溜め息となってマスクから溢れ出る。

とぼとぼと駐車場を歩きながら、「どうでもいいけど、月が綺麗だなぁ。」と、無意識に落ちた声を拾うように、ゆっくりと車のドアを開けた。


「本当に申し訳ないんだが、顧問の言い分で、やっぱりこの仕事は本社では対応出来なくなりました。言い辛いけど、こちらで対応をお願いするしかないと思います。」


エンジンボタンを押して、ハンドルを握りサイドブレーキを下ろす。

頭の中では、昼に課長から言われた言葉が蘇る。

「これが中間管理職の宿命なのかねぇ。」どこかで聞いた事のあるような言葉を、実際に自分が思い浮かべるようになるなんて、人生と言うものはつくづく、思い描いたシナリオに掠りもしないものかと、マスクを外し下唇を噛む。

血が出るほど強く噛んでやろうかと、力を込めるも、すぐに痛みに反応して戻した。

苛立ちはどこにも逃げ場は無く、自分でも所在が知れない所に、確実に積もっている。

逃げ場のない檻の中を、永遠と回っている動物園の猛獣よろしく、俺は目に見えない檻の中をどれだけの間彷徨っているのだろうか…。

そんな事を考えながらアクセルを踏み出し、家路への道を走り始める。


ラジオも音楽も無い無音の空間に、少しだけ開けた窓をすり抜けて行く風の音だけが規則正しく鳴っている。

規則正しい、単調な日常のそれに当てはめて、それが当たり前であり、それの継続が幸せの近道だと、誰かが言っていた気がする。

何事にも積み重ねが大切で、幸せも優しさも、求める物ではなく、溢れ出てくる物だと聞いた事がある。

日常は、確かに単調だ、大体決められた時間に目覚め、自転車と電車と車を駆使して職場へ行き、仕事をこなして同じ道を辿り、日が変わるか変わらないかの時間に帰ってくる。

これを単調以外になんと呼べるだろうか。

しかし、その中身は単純じゃ無い。

今、俺の中には色々な物が、いつ崩れても仕方がない位に積もっている。

心は目に見えない、だから何が何処に?って質問をされたら正確に言い表せないけれど、その目に見えない良くない何かに、俺の心が埋め尽くされている事は嘘じゃない。

別に誰かに共感してもらいたい訳じゃない。それは、とうの昔に諦めたから。何でも話せると思い上がっていた嫁にも、うまく説明出来ないから話すのを止めた。

初めは、心配させたくないんだと、誰かのせいにして逃げてたけど、本当はただ面倒なだけで、嫁に何かしらの反論をされる事がただ怖いだけなんだと、自分の本性を知ってしまった今は、唯只管に、いろいろな感情を諦める事に慣れるように、嫁との距離感を保っている自分がいる。


「結婚生活の秘訣は、忍耐力だ。」


これは、そろそろ10年を迎える結婚生活を経験した俺が思う事。でも、これは、それに見合う等価交換があってこそ成り立つ事で、いつの間にか、ただの底の知れないただ1人での我慢比べに変わっていて、それを自分なりに受け入れる為、気が付けば諦めと自己犠牲が癖になって、ここまで来てしまった。


ミっちゃんに寄り掛かってしまったのも、彼女の優しさに甘えたかったからで、距離を取られて我にかえると、迷惑な愚痴ばかりの妻子持ちのおっさんでしかない事に気付かされた。


「そりゃ、重いしキモいよなぁ。」


規則正しく、ヒューヒューと吹く夜風に頬を包まれながら、掠れた声が湿度を増した夜の世界に流れて行く。


「俺はいったい何がしたいんだろう。」


最近になって、迷宮入りを確実にした問いに、今夜も頭を支配されながら、それでも事故らないように安全運転で、車は駅への道を確実に進んで行く。

時刻は、20時57分、今夜は日が変わるギリギリ前には家に帰れそうだな。


帰りの電車は、必ず一番前の車両の一番前に座る事にしている。

特に理由はないが、電車を降りる時に、乗り換えダッシュに巻き込まれてずに、安全に降りれるし、乗り始めのかなりの時間、車両に誰も乗ってこない確率が高いから、広い車両を静かに一人で満喫出来る。


あっ、今考えて思ったが、無意識に理由がないと思っていた事にも、ちゃんと言葉にしようとすれば、理由が出来るんだと学んだ。


いつも通りの、一人の空間の中、同僚から借りていた漫画を持っていた事を思い出した。

リュックから取り出してジャケットを眺める。

『魔法少女』とタイトルが付いていて、ゴスロリのグロいツインテールの女の子が、血塗れで描かれている。

「何じゃこりゃ。」

素直な感想をとりあえず呟く。

まぁ、せっかく持って来たからと、ページをめくり読み始める。

物語は、魔法少女と呼ばれる謎の生き物に、人間が次々と惨殺されていく話。

いつもの日常、をズタズタにぶち壊されながら、主人公と少ない生存者が生き残る為にもがき足掻く話。

そう言えば、ミっちゃんも同じような漫画を貸してくれたな。あれはどやって返そうか。そんな事を考えながら、持って来た2巻を読み終える。


「マジカル」


魔法少女が唯一発せられる魔法の言葉。


「あぁ、こんな風に日常をぶち壊されるのも悪くないな。」


魔法少女に瞬殺される、名前も無いキャラでも、生にしがみつきひたすらにもがく主人公でもいい。

この、当たり前だとのうのうとやってくる朝を、空を割ってどうしようもないほどに、滅茶苦茶にリセットされる様を、少しでも見られるなら、それもまた良いかもな。


そんな感想は、今の俺の心の状態がヤバイ事の表れで、それに気付かないふりで、瞳を閉じて不規則な電車の揺れに身を任せる。

いつの間にか人で埋められた車両は、乗客の雑音で満たされ、俺は両耳にイヤホンをして、音楽で耳を塞いだ。


♪抱き締めたいほどに美しい日々に、 栞を挟んでおいて♪


名前を知らない男の歌声に、ゆっくりと眠りが冷めていく。これは条件反射なのでは?今の自分には到底理解出来ない幸せな歌詞に、体は無条件に反応して、疲れているはずの体を呼び覚ます。

溜め息なのか、漏れ出した嘲笑なのか判断付かない息がマスクに溜まる。

携帯の時刻表示を見ると、まだ乗り換えの駅までは30分程はありそうだ。

ダメもとでもう一度瞳を閉じてみるが、眠気はどこかへ消えてしまったようで、イヤホンからは星野源の最新曲が流れてくる。

好きな歌を聴く気にはなれず、音楽プレイヤーの停止ボタンを押してホーム画面を見る。


LINEのアイコンは緑のまま、ミっちゃんからの返信は予想通りない。

分かってはいるのだけど、画面に現実を突き付けられると、それなりにこたえる。

もうなん度目かも分からなくなった溜め息を飲み込み、顔を上げた。

夜の黒を背景に、煌びやかな街並みが流れては消えて、鏡のように自分の姿が映る。

若者に流行りの髪型と、勧められたスパイラルパーマだったが、アラフォーの俺には似合わない。更に少し伸びたせいか、収集のつかない毛先があちこちに突き出し、おばさんみたいな髪型になっている。

手のひらで、前髪をボサボサと弄ってみても、無造作ヘアを通り越して諦めヘアとなり、疲れが滲む2つの瞳が、落胆で落ち窪んで見えた。


「なんか良いことはなかろーか。」


小声で呟きながらスマホを操作して、風俗サイトを開く。

電車内という公共の場であり、妻子がいる身でありながらも、嫁から距離を取り出してからというもの、半年位ご無沙汰な男の欲望は止められない。

こういう背徳な時間ほど、一瞬に感じる程早く過ぎていくもので、スマホが勧める何人もの女の子を、チラチラ眺めているだけで、電車は急速にテンポを上げ、名古屋までのレールを進んで行く。


「行くならこの子にしよう。」


手持ちのお金と、来月のお小遣いを合わせても足りない金額を見ないフリにして、実現薄な未来を夢見る自分を更に見ないふりをする。

切ないとか、不憫だとか、寂しいとか、そんな感情は、何処かに忘れた事にして、現実逃避行へ突入しかけた矢先に、電車は名古屋駅に辿り着いた。


「今日も、なんとかここまで来たな。」


スマホをポケットにしまって、数時間ぶりに立ち上がると、停車の揺れと共に、俺は少しよろめいて、吊り革にしがみついた。


扉の窓に映った情け無い自分が、奇妙な笑みを貼り付けて、こっちを見返している。

そんな末期的な自分を引き裂くように、扉が左右に開き、俺は開かれた向こう側に仕方なく歩みを進めた。


夜の23時15分前、降り立った名古屋駅のホーム、月曜日だからなのか、人通りは少ない。

近鉄の改札を抜けて、JR乗場へと続く長い階段を登る。

小走りで追い越して行く女子高生のスカートが揺れている。

膝下まで隠す紺色のハイソックスと、ギリギリのラインで揺れるスカートが、絶対領域をより色っぽく見せて、俺はゆっくりと階段を登りながら、駆け上がって行く彼女の後姿を見送った。

若いということは、それだけで羨ましい。戻る事は叶わない時間を、どれだけ呪ってみたところで、垂れ流すように過ごした毎日が巻き戻る事はない。

そんな当たり前な事に、幾つになっても気付く事ができないのだ。いつも、過ぎ去ってからの後悔の毎日に、未来の俺もきっと、今この時に戻りたいと、願う時が来るのだろうと思う。

今繰り返している毎日は、マイナスを積み重ねて、どんどん日常に沈み込んで終わりが見えることもない。

きっと、どれくらいか未来にはまた、俺は身体を壊しているのだろう。

簡単に想像できてしまう未来、その未来の先にはきっと、ミっちゃんの優しい笑顔はないのだろうと思うと、階段を登る足が、一段と重く、歩みを遅くする。


家族の為、会社の為、部下の為、毎日を消化する理由をどれだけ自分に問いかけても、「自分の為」という答えが出てこない事に驚く。

結婚して、嫁の為、子供の為に働く事は当たり前の事で、出世して役職が付いてからは、会社の為、部下の為に働く事がmustになった。

でもそこには、働く自分が中心にあって、自分が生きていないと働く事はできない。

身体的にも精神的にも、働く事はハードワークで、日常と簡単に片付けられる毎日も、緊張と疲弊はついて回っていて。

本当は、辛くて、苦しくて、今すぐにでも逃げ出したいところを、何かの為と心を縛って、それを遣り甲斐と置き換えて、なんとか日常に立ち向かっている。


「たまには褒めてくれ。」

「たまには抱き締めてくれ。」

「お疲れ様。って、たまには夜まで起きてて出迎えてくれよ。」


俺からしたら、たったこれだけの願いだけど、口に出す事も出来ない自分に、心臓が痛む。

嫁との距離感を図ることに気を使い過ぎて、距離を積めることを面倒になり、今ではその距離には、激流の川が渦を巻いて流れて、飛び込む気すら起きないものになっている。

それでも寂しさは、ポッカリと心の中に鎮座して、日に日にその黒い穴を広げていくものだから、何かで埋めないと、いつしか心が全て呑み込まれて、音もなく崩れ落ちてしまいそうで、そうやって男はいろいろな形で女の温もりを求めてしまうんだろうと思う。

身近に優しく話を聞いてくれる人がいれば、頼ったっていいと思う。

癒されたいが為に、心を保つ為に、風俗に頼ってもいいんじゃないかと思う。

これは俺の持論だから、否定も大歓迎だけど、その先にSEXがあったっていいんじゃないのか?

結婚という契約の中で、パートナーに登りきれない高い壁で囲まれてしまった時、その壁を登り切らなけれならない義務は無い。

壁を建てた時点で、向こうもコチラを見ることを諦めたって事だろう?

だったら、そこに背を向けて歩き出したっていいじゃないか。

理不尽なのは、壁には見えない窓が付いていて、たまにそこからこちらを眺めてくるところで、その時には笑顔で手を振って応えなきゃいけないところ…。


あぁー、ダメだ。心が病んでいる。嫁を悪者にして、今を正当化しようとするなんて、もう終わっている。


規則正しくいつもの道を辿り、JRのホームに立っていた俺の前に、電車のドアが滑り込んで止まる。


「これが嫁の心の扉だったらなぁ。」


静かに開いた扉からは、ぱらぱらと疲れ顔のサラリーマンが降りて、同じ様な顔の俺が入れ替わるみたいに乗り込んで行く。

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