第2話~リ・ボーン~


私の名前は、最上だ。最上 神【モガミ ジン】、人間ではない。


私は、死神だ。


ここで、誤解されている死神について少し触れておきたい。皆は死神と聞いて、どんな想像をするだろうか?「大鎌を持った骸骨?」それとも「異形の形をしたモンスター?」人それぞれ、良いイメージではないはずだ。

まぁ【死】の【神】だ、良いイメージを持てという方が、無理な話だと私でも思う。そこでまず、簡単にウィキペディアで、死神について調べてみることにしよう。


死神とは、「人間を死に誘う、または人間に死ぬ気を起こさせるとされる神」と書かれている。ウィキペディアが、どれだけ普及しているのかは定かではないが、これが、人間が我等に対して想像している真実なのだろう。

だがしかし、実はこれが、全くの見当違いなのだ。


そもそも、私から言わせれば、土台となる世界が違う。人間の言葉を借りるのであれば、「死神」は、職業に近い。

魂のサイクルを円滑に行なうこと。より綺麗で浄化された魂を月へ送り、新たな生へと還す。魂の守人みたいなものだ。

どうだろう、少しは誤解が解けただろうか?せっかくの機会なので、もう少し、我々の事について説明しよう。

まず、我々は人間を殺すことが出来ない。殺すどころか、死に誘う事さえ無理なのだ。我々は死期が近い人間に寄り添い、死に行く魂が正しく浄化されるのを見届ける事が役目だ。

その作業は、人間でいう仕事に近いと、私は考えている。

仕事と言っても給料が支払われるわけではなく、対価として存在できる時間をもらう。簡単に言えば、死神は仕事をし続ければ永遠に存在でき、逆に仕事をしなければ、死神は死ぬ。死ぬと言っても、既に死んでいる存在なので、「存在が無に帰す。」という表現が正しいかもしれない。

ともあれ、正しく真面目に仕事をこなしていれば、死ぬ事は無いのだから、人間の長年の夢とされる「不死」に一番近い存在になるだろう。(何度も言うが、我々は生きてはいない。)

まぁ、それが良い事なのか、悪い事なのかはそれぞれの価値観に任せるとして、どうだろう?少しは我々、死神の事を理解して頂けたであろうか?

この先の話は、私と一人の死神見習いの話になるわけだが、説明が足りない部分は、物語の中で補填してこうと思う。

まずは、彼との出会いからだ。あの忘れられない綺麗な満月の夜から、彼の心臓は止まり、代わりに、新しい物語が呼吸を始めたのだ。



 僕の名前は、桜木 ヒカル。2020年7月5日、僕は二十歳になった。

おめでたい誕生日に、母親が手作りしてくれたバースディケーキを食べ、名目上初めてのお酒を飲み、親子二人で今までの思い出を語りながら楽しく過ごしていた。

 僕は片親で、母親しか知らない、それを嫌だなんて思ったことはないし、母親には、ここまで育ててもらった感謝しかない。子供ながらに、これまでの人生を振り返ってみても、母の偉大さと優しさを、ただただ感じるばかりだ。

 でも僕は、二十歳になったら母に聞こうと心に決めていたことがあった。父親のことだ。

 今まで、父親については一度だけしか尋ねたことはない。小学校3年生の夏、「お父さんの仕事」という内容で作文を書く宿題が出たことがあった。

 そのときに、なんの深い意味もなく、「僕のパパは、何してる人なんだろう?」と、母に尋ねたのだ。

 その時見せた母の顔は、今でも鮮明に思い出せる。一生懸命に笑ったつもりの泣き顔。そんな、なんとも文字では表現し難い表情で、母は僕に「ヒカルのパパはね、女の人を可愛く綺麗にするのがお仕事だったのよ。」と話してくれた。

 その頃の僕には、母の泣き顔も、その言葉の意味も、理解できていなかった。やがて中学生になり、男としての性に目覚め始めた頃、インターネットを通して、母が昔、伝説のAV女優であったことを知り、父親もその関連の仕事をしていたんだろうと、ようやく理解した。


 それから僕は、母に父親の事を聞く事を止めた。

あの時の母の顔は、子供ながらに、聞いてはいけないこと聞いてしまった罪悪感を与えるには十分な威力があったし、何よりも、父親がいなくても楽しい毎日を用意しようと奮闘する母に敬意を表していたからだ。それは、母が元AV女優であっても関係ない。職業は生きる手段であって、母が僕を育てる為に選んだ結果なのだと理解できるから、それだけで母を軽蔑するほど、僕は子供ではない。

 ただ、父親のことに関しては、知らないことが多すぎて、大人になればなるほど、知りたい欲が積もってしまうのだった。

僕も二十歳になり、これから大人として生きていかなければならない。付き合い始めて半年の彼女もいる。このタイミングで、この子供から大人への節目に、しっかりと僕自身の事を知っておきたかった。自分の中でけじめをつけたかったのだ。

 だから思い切って、母に尋ねた。

 「大人になる前に、1つだけ聞いておきたい事があるあるんだけど。」

 「なぁに?女子の口説き文句なら自分で考えなさい。」

 酒に弱い母は、乾杯した缶ビール一杯で、既に酔っ払っている。

 「いや、俺もう彼女いるし。」

 「いるなら紹介しなさいよ。私は、自分の目で確かめるまでは、彼女と認めませーん。」

 頬を赤く染めておどけて見せる姿に、子供の僕から見ても、心を乱されてしまう。年齢不詳で控えめに言って美人の母は、時に無駄に愛らしく見えてしまい、この時も、乱れた心を整える為に「ふぅー。」となんともいえない溜息が鼻から抜けていった。

 「俺も二十歳になったし、来年の春まで待ってくれよ、あいつが卒業したらちゃんと連れて来るから。」

 僕も、酒が回ってきたのだろう。言わなくてもいいことが、次々と口から零れ落ちる。

 「えぇー。ヒカル学生と付き合ってるの?来年卒業って事は…大学生?年上じゃん。」

 もう止めておけ、と制止する僕の言葉を聞かずに、母は何缶目かのビールのプルタブを持ち上げた。

 「ヒカルが年上好きとは知らなかったよ。やるじゃん。」

 「高校生だけど、何か問題でも?」

 僕は、半分ほど残っていた生ぬるいビールを一気に飲み干して、今度はレモンの缶チューハイのブルタブをひねる。

 「まさかのJK来たぁぁぁ。」

 母は、何故か爆笑しながら、空けたばかりの缶ビール片手に、向かい合って座っていたテーブルを回り込んで、僕の隣に座った。肩をグリグリ僕の腕に密着させて、「見直したぞ、さすが我が息子。」と、にやけた赤い顔を僕に向けた。

 「そりゃ、どーも。お褒め頂いてあざす。」そう良いながら、僕は空けたばかりの缶チューハイを片手に、テーブルを回り込んで、さっきまで母が座っていた所に腰を下ろした。

 「私のスキンシップを拒否るとは、おぬしさては男ではないな。」

 「実の子供に何言っちゃってんすか。さてはおぬし、本当の母親ではないな。」

 本気ではない、いつもの冗談のキャッチボールの延長線上の話だ。

 「冗談でもそんなことは言わないで。」

 一瞬で酔いが醒めたように、母は真面目で少し怒ったような声を出した。僕は、ビックリして、飲もうと持ち上げた缶チューハイを唇に付けて止めた。

 「それで、聞きたいことって何?いずれその子と結婚するから、父親のことを教えてくれってこと?」

 一口だけ口に含んだレモン味のチューハイに、僕は咽た。アルコールの匂いが鼻を突き上げて、涙が滲む。

 「エスパーかよ。」何とか、声を絞り出す。

 「母親、なめんじゃないわよ。」テーブルの上にある、枝豆を取り、母は食べながら続ける。

 「彼女と結婚するのに、父親のことって関係あるのかなぁ。」僕の目を避け、枝豆を食べることに集中する振りをしている。動揺しているのがバレバレだ、息子をなめるな。

 「彼女の話は、凜が始めたんだろう。」枝豆の皿を、引き寄せて母から奪い、僕も一つ枝豆を噛み砕いた。塩加減が絶妙でとても美味しい。

 「俺も今日で二十歳になったんだ。自分にけじめをつけたいんだよ。凜が話したくない事だってことも理解してるつもりだよ。今までこの話を避けてきたのも、凜なりの理由があったんだろうと思う。だから今までは、無理に聞かなかった。今更知ったところで、ってのも、もちろんあるけどさ、このまま気にしない振りを、もう続けたくないんだよ。」

 自分でも呆れるほど、回りくどく、説得力に欠ける説明だった。

 「なんだか、まどろっこしい。男らしくない。」

 今度は、皿に残っているケーキを、一欠片フォークで掬って口に運び、母はそれを一気にビールで飲み込んだ。

 グビグビと喉を鳴らした後、ドン、っと缶をテーブルに叩きつける。

 「そもそも、レモンチューハイなんて女子の飲み物を飲んでいる貧弱男の願い事なんて、聞けるわけないでしょう。」

 完全に意味の分からない言い訳を最後に、母は酔っ払ってこの場を切り抜けることに決めたようで、また喉を鳴らして勢いよくビールを飲み始めた。

無理やりに話の腰を折られた僕は、それ以上、父親の話を持ち出すことをやめた。レモンチューハイ好きの男子には悪いが、僕は母が言うように貧弱男子で、ただのマザコンだ。これ以上踏み込んで、母の心を掻き乱す事は、僕には出来ない。

そして、完全に酔いを取り戻した母は、いつものように饒舌になり、あらゆる手を尽くして僕の彼女の写真を見せろと迫り、よく笑い、よく食べて、僕よりも早く酔い潰れた。

僕は、小さなテーブルに散乱した、空き缶や食べかけのケーキや枝豆を片付けて、床で眠ってしまった母を、何とか抱き起こして寝室に運んだ後、お気に入りのサイクルジャージに着替え、玄関の鍵を閉めて、ロードバイクに乗り、夜の闇へ走り出した。

走り出してすぐに、視線を感じて2階の寝室の窓を見上げると、母を運んだ時には気が付かなかったが、猫のクロが、光る二つの目で、じっと僕を見下ろしていた。


結局、父親のことは何一つ聞き出せなかった。二十歳の誕生日という絶好の機会だと思って望んだ僕の計画は、簡単に母に見抜かれ、はぐらかされ、僕に彼女がいることを、ただ母に暴露しただけに終わった。

走り始めは、ただただ自分の反省会だった。母との会話を思い出すと、突っ込みどころが満載で、あの時なぜ、「結婚するのに、父親のことは大いに関係あるでしょう。」と、切り返せなかったのか、後悔するばかりだ。

彼女には母子家庭で育ったことは話してある、しかし、僕が父親について何も知らないことは話していない。

彼女の事を考えていると、ハンドルに付いているサイクルコンピューターにメール受信の表示が出て、それと同時に背中のポケットが震えた。(サイクルコンピューターとは、リアルタイムで、心拍数や走行距離、スピードや走っている道の勾配、足の回転数にあたるケイデンスが表示され、自転車乗りには欠かせないアイテムの一つだ。良いものにはナビが付いているものもある。)

受信表示は彼女からのもので、自分の誕生日に彼女のメールをスルーするわけにはいかず、僕は道路脇に自転車を止めて、ポケットからスマホを取り出しラインを見ることにした。

「バイトもうすぐ終わるよ。お母さんとの大事な話は終わったかな?今日は何時に会えそう?」

ラインを読んで、「やっちまった。」と思わず声が出る。お酒を飲んで酔っ払ったからなのか、彼女との約束をすっかり忘れていた。母との誕生日会が終わったら、彼女と会う約束をしていたのだ。

「お母さんと大事な話があるんでしょ?だったら私はその後でいいよ、嫌がらせみたいにバイト入れられたし、それに二十歳の誕生日って特別でしょ。ヒカルはお母さんと二人暮らしだもんね、まずはお母さん優先、でも絶対に終わったら連絡してよね。私も、直接お祝いしたいし。」

なんと聞き分けの良い彼女だ、「誕生日はまず、母親と過ごしてもいいかな?」と言う、マザコンかと、罵られても文句の言えない僕からのお願いに、彼女は嫌な顔一つせず、理解を示してくれた。それなのに、僕はいったい何をしているのだ。

自己嫌悪に苛まれながら、酔っ払った頭を回転させる。彼女は確か、22時にバイトが終わる。ここから彼女のバイト先までは、電車で3駅分はあるし、今は21時30分過ぎだから、今から駅に向かっても、きっと22時過ぎの電車にしか乗れないだろう、それでは30分は遅刻してしまう。

ここから彼女のバイト先まで、最短距離で約18kmくらいだから、自転車で頑張れば40分くらいで着けるはず。「いつもの公園に、22時10分集合。」素早くそう返信して、迷わず僕は、ロードバイクを目的地に向けて走らせた。


彼女のバイト先は、僕の職場と同じイオンモールに入っている。僕が2階の眼鏡屋で、彼女は3階のアイスクリーム店で働いている。そのイオンモールの最寄り駅には、近くに公園があり、イオンがある側からは、階段を上って線路の反対側まで行かなければならないので、イオンの従業員達に見付かり辛い、僕らからしたら穴場の公園だ、僕らは仕事終りの待ち合わせ場所として、頻繁にその公園を利用している。それに、彼女の家は、その駅から1駅なので、電車の時間ギリギリまで一緒にいられるのもありがたい。

 たくさんの雨が降った今年の梅雨が、やっと終わったかと一息ついたところに、突然夏が猛暑を引き連れてくるものだから、7月初旬の夜にもかかわらず、気温は30度を超えて、ムシムシと、体の内側から汗を滲ませる。きっと公園に着く頃には、全身汗だくになるだろう。加えて飲酒運転になることも、頭の回転が速い彼女には見抜かれるだろうなと、公園に着いた後の言い訳を考えながら、いつもは電車から見過ごす風景の中を、ペダルを漕いで進んで行く。酔っ払っている感覚は無く、頭もスッキリと醒めていたと思う。でも不思議と体は軽くフワフワと飛んでいるように感じたのは、やっぱり単に、酔っ払っていたからなのだろうか。それほどまでに、ペダルは軽く、ロードバイクは、夜の道を軽快に走り抜け、住宅地から商業地へ、僕の体を運んで行く。

 途中、イオンモールまで残り5km弱のところで、サイクルコンピューターがまた、ラインの受信を告げた。液晶画面には、ラインの全文は表示されないので、途中までしか内容は分からなかったが、母からのラインだった。

 「さっきはごめん。父親のことは今度ゆっくり話すから、夜の自転車は気を付け…。」までは、読むことが出来た。

 僕の気持ちが少しでも、母に伝わっていたことに安心して、僕は少し笑顔になって、かなりの勾配の坂道を上りながら、坂の天辺の先に浮かぶ月を見た。この時間帯にしては、見たこともないほど大きく、オレンジ色に輝くその満月に、僕の心は、優しく満たされたみたいに温かくなった。

 それから、坂を上り切り、勢い良くスピードを上げた下り坂の途中で、突然現れた猫を避けようとした僕は、自転車から投げ出されて、意識を失った。

 自転車から投げ出された後、僕に何が起きたのか、僕は知れないはずだった。僕はもう、彼女に会うことも、母の話を聞くことも出来ないはずだった。

 この時の事故で、僕は、死んでしまったのだから。


 Ⅲ


 

 目が覚めたら、見知らぬ部屋のベッドの上だった。真っ白な天井を見つめて、今まで見ていた夢のことを思い出す。

やけに綺麗な満月と、暗闇で光る二つの目、そう言えば、彼女に会いに行く途中だったような…。曖昧なのが、夢なのか記憶なのか、徹夜明けの頭の中みたいに、ぼんやりと途切れ途切れにフラッシュバックする映像に、頭の芯が熱くなる。

 頭を抱えるように体を起こして、細めた目の隙間から部屋を見渡すと、ベッド以外何もない、殺風景な部屋だった。

 ズキズキと痛む頭を、右手の平で支えながら、状況を整理しようとした時、いつの間にか部屋に入ってきていた男が、ベッド脇まで来て自己紹介を始めた。

 「初めまして、私は死神の最上だ。よろしく頼む。」

 差し出された右手を、僕は、反射的に握ってしまった。その手は、生きているとは思えないほどに恐ろしく冷たく、ビックリして彼の顔を見上げる。

 最上と名乗ったその男は、真っ黒なスーツに身を包み、銀縁の細い眼鏡をかけているダンディな紳士で、無表情で僕を見つめ返していた。

「誕生日の日に、死んでしまった人に対しては、なんと声をかけるのが正解だろうか。」

 最上は、「自分を死神だ」と、自己紹介から訳が分からない事を言っていた。そしてまた、生きていれば、一度も聞かれることのない難題を、世間話を楽しんでいるかのように、僕に投げてよす。無表情のままで。

 「とりあえず…、おめでとう、でいいんじゃないですかね。それから…、ご愁傷様です。とかになるんじゃないでしょうか…分かんないけど。」

 未だに回復しない頭の痛みに耐えながら、僕は何とか難題に対して無難な答えを探す。

たまに思うのだが、こういうときのとっさの適応力には、自分自身、自画自賛したくなる。

 「なるほど、確かに祝い事のほうを先に祝福するべきか、喜びで緩和した心の方が、悲しみを受け止めるときに寛容になる、そういう理屈か。なるほど。」

 彼は、僕の意見に共感してくれたようで、一人フムフムと頷きながら、ベッド脇に腰掛け、どこから取り出したのか、紅茶を飲み始めた。

 「やはり、人間の視点から物事を考えることは、我々の仕事にも大いに役立つということが分かった。やはり、この計画は軌道に乗せるべきだな。」

 左手にソーサーを持ち、右手に持ったティーカップから紅茶をチビチビ飲みながら、自問自答するみたいに、彼はブツブツと独り言を呟いている。

 「あの。」

 この状況が、全く理解できない僕は、この男に話を聞くしか道がない。

 「どうした。」

 振り向いて僕を見た最上の手には、紅茶のカップもソーサーも消えてなくなっていた。

 「なんすかこれは、新手の宗教の勧誘かなんかですか?それに、ここは何処なんですか?もしかして俺は誘拐されたとかですかね?」

 「誘拐」と言う言葉を、自分で言って怖くなる。二十歳の男を誘拐してなんのメリットがあるかなんて思いつかないが、どんな世界でも物好きはいて、そんな物好きほど突拍子もないことをしでかす可能性が高いと思う。あくまでも持論だが。

 「お前はもう死んでいる。」

 最上は、僕から視線を外し、背を向けて立ち上がった。よく見ればかなりの長身でモデル体系だ、年齢不詳の顔立ちも整っている美紳士。

 「はい?」

 美紳士に面食らった僕は、有名なアニメ主人公の台詞を、聞いていない振りで、聞き返した。

 「何度も言わせるな、お前はもう、死んでいるんだ。」

 最上は、もう一度、僕に死の宣告を告げると、左胸ポケットから取り出した名刺入れから、一枚名刺を取り出して、僕の目の前に掲げた。

 「何でも屋 店主 最上 神(モガミ ジン) ~何でもいいから相談してみろ~」

 とりあえず、声に出して読上げる。

 「おっと、失礼した。こっちは人間用だ。君にはこっちだな。」

 今度は、右ポケットから、そのまま一枚の名刺を取り出し、僕の目の前に掲げた。

 「疲れるから、受け取ってもらえるかな。」

 すいませんの意味を込めて、小さく頭を下げ、二枚目に差し出された名刺を受け取る。

 「死神 上級管理官 最上 神 【特別死神教官兼務】」

 受け取った名刺に書かれた文字を、とりあえず読上げる。分かった情報は、この男の名前が、モガミ ジンと言うことだけだ。死神上級管理官?特別死神教官?見慣れない文字の羅列に、頭痛が更に酷くなる。

 「やっぱり、新手の宗教っすか。拉致とかマジ勘弁して下さいよ。」

 状況が、飲み込めなさ過ぎてパニック寸前だ。思わず、貰った名刺を握りつぶしてしまう。肩で大きく息を吸い込み、全身を使って、深くゆっくりと吐き出す。何とか落ち着け自分。

 「やはり、状況説明は面倒だな。人間には理解出来ない事が多過ぎる。だがしかし、それも遣り甲斐だと思えば、何の問題もない。」

 最上は、そう自分に言い聞かせてから、初めて僕の目をまっすぐに見据えて質問をした。

 「君の最後の記憶はなんだ?まずは、そこから始めるとしよう」


 最後の記憶ってなんだよ。僕は生きているじゃないか。死んでいるって言うのなら、今お前と話している僕は何なんだ。

 最上が口を開くたびに、どんどん現実が分からなくなっていく、でも今は、この男に頼るしかないのだ。今僕の目の前にいる男にしか、僕の状況を説明できる人はいない。

 必死で考えても、やはり思い浮かぶ映像は変わらなかった。

 「綺麗な満月と、暗闇に光る二つの目。」

 最上の視線を外すことなく、出来るだけ静かに叫ぶ。

 「そうだな、あの日の満月は今年一番の美しさだった。」

 最上は、そう言うと「パチン」と、指を鳴らした。すると、殺風景な部屋が一瞬にして消えて、変わりに僕らは、夜の闇の中にベッドごと浮かんでいた。更に驚くことに、目の前には、手が届きそうなほど近くに、オレンジ色の満月が浮かんでいる。

 「なんて綺麗なんだ。」

 思わず、そんな言葉が自然と零れるほど、見たこともない絶景だ。

 「これは、死神の特権の一つだ、死ななければこの景色は見れない。君が死ぬ直前に見た満月は、こんなにも綺麗だったことを忘れないで欲しい。」

 ベッドの端に座りながら、いつの間にか最上はまた紅茶を飲んでいた。

 「どうだ、月を見ると心が落ち着かないか。月の力は偉大で不思議なものだ。死に行く魂は、やがて月に還り、新たな命となる準備を始める、生命にとって、月は母親みたいな存在なのだよ。」

 最上は、別のソーサーに空のティーカップを載せ、それを僕の手に優しく押し付け、そのカップの中に温かい紅茶を注いだ。

 「君の身に起こったことは、確かに悲劇だ。だがそれが全て不幸だとは限らない、と私は思っている。まずは、君自身が今を受け止めるしかない。残念だが、君が死んでしまったことは変える事が出来ない事実だ。今から、君が死んだ夜の出来事を見せてあげよう。君にはかなりショックな出来事になるが、今から見せる全てが真実だ。まぁ、紅茶でも飲んでゆっくり見ていてくれ。」

 そしてまた、最上は「パチン」と、指を鳴らした。今にも手が届きそうな満月が消え、見覚えのある景色に変わった。


 自分が死ぬ場面を見られるなんて、普通の人間にはありえない出来事を、僕は体験してしまった。

 まさに、死の瞬間。僕は、ロードバイクから投げ出され、ガードレールに頭をぶつけて屑折れる自分を見た。一瞬の出来事で、テレビの特番でよく見る、決定的瞬間の映像を見ているようだった。ただ、派手な音声はなく、たまに通る車の音に、耳を突くような一瞬のブレーキの音だけで、死ぬ前の僕は、一言も発することなく、その死は、あっけないものだった。

 自分の死について考えるには、あまりに若過ぎる年齢だが、それでも、今までぼんやりと考えていた死のイメージとは、かけ離れていて、とても無様で、情けなく思った。

 最上は、この一瞬の映像を何度も見せて、僕の死の原因についても詳しく説明をした。「ヘルメットの安全ロックをかけ忘れていたこと」「ビンディングが磨り減っていて、ペダルから簡単に足が外れてしまったこと」等、無表情なまま、いくつかの不運が重なった。とかなんとか、いくつも理由を並べていたけれど、自分が死んだ理由なんて、聞いたところで何の意味もない。

 だって、今の僕のように、自分の死に関して説明を受けるなんてことは、普通あるはずがないのだから。それに、知ったところで、僕が生き返るわけでもないだろう。

 それから、最上の説明が終わると、彼はもう一度指を鳴らし、今度は、僕の葬式の場面にベッドは飛んだ。

 自分の葬式を見るなんて、俳優にでもならないと体験することは不可能だ、しかも、嘘ではなく、本当の自分の葬式なんて、今まで誰も見たことは無いはずだ。

 泣き疲れたみたいに、うな垂れた母が、御焼香の列に向かい、まるで、お辞儀をする機械のように、一定の間隔で腰を折り、頭を下げている。

 自分の葬式を見て、改めて実感したことが、僕の家族は、母しかいないと言うことだ。親戚もいなければ、父親だっていない。

  きっと、この葬式の準備も進行も全て、母が行なってくれたのだろう。そう思うと、母に感謝の気持ちと、親よりも先に逝ってしまった事へのやりきれない悔しさが、溢れて涙が出た。

 また、御焼香に並ぶ列は少なく、自分の友達の少なさにも、少しショックを受けたが、その列の中には、職場の店長や同僚が数人来てくれていて、とても嬉しく救われた。

 そして、列の最後には、放心状態の彼女、美波がいた。焦点の合わない目で、前の列の動きに合わせて、少しずつ進んではいるものの、足取りは覚束無い。隣についている女性が、多分、お姉さんだろう。心配そうな顔で、美波を優しく支えていた。

 不謹慎ではあるが、久しぶりに見る彼女のセーラー服姿に僕は、少し見惚れてしまっていた。黒髪のショートヘアーに、白い肌は、セーラー服姿の彼女に、とてもマッチしていて、彼女の可愛さを改めて実感する。

 そして、美波の家族構成についても、全く知らなかったことを思い知った。母には「結婚するつもりだ。」などと、大見得を切っておきながら、彼女に姉がいたことすら知らないでいた自分に呆れる。自分の父親のこともあって、僕は彼女との会話に、家族の話をすることを避けていた、自分のことを話すことも、勿論彼女の家族の話を聞くのも、怖く感じて遠ざけていた。きっと、彼女の平凡な家庭生活の話を聞いて、普通の幸せを当たり前のように過ごしている彼女に、嫉妬する自分が容易に想像出来たからだろう。

 そんなことを考えながら、しばらく葬儀を見ていると、あることに気が付いた。僕の葬式なのだから、あの人が来ているかもしれない。そう、父親だ。

 実の息子が死んだことを知れば、いくらなんでも葬式ぐらい顔を出すのではないのか、母が今でも、父親と連絡を取っているかは分からないが、息子の死を知らせないはずがない、それに、どんな理由があるにせよ、息子の葬式に、出席しない父親がいるとも思えなかった。

 そう思うと、いてもたってもいられなくなり。僕は、式場の隅から隅まで見渡し、中年男を見つけては、念入りに観察することにした。

会社の上司に、高校生二年の時の担任と、そもそも参列者が少ない葬式なので、条件に合致する人は、ごく僅かだったが、もしかしての望みを捨てきれずくまなく探した。

 するとその中に、アロハシャツにジーパン姿の明らかに場違いな男を見つけた。

チンピラのような見た目から、年齢を判断するのは難しいが、きっと40歳は超えているだろう。

しかし、自分ながらにこんな常識外れな知り合いがいたのかと、頭を捻った。どんなに思い出そうとしても、この男の記憶は見つけられない。ただ、この男が僕の父親でないことは、すぐに分かってしまった。

 彼女と、そのお姉さんが、御焼香を終えた後に、その男のもとへ歩いていったからだ、少し以外だったが、きっと二人の父親に違いない。

 その後も、何度か最上に頼んで、葬式の場面を何度も見させてもらったのだが、僕は、僕の父親らしき人物を見つけることは出来なかった。

 この事実は、僕にかなりのショックをもたらした。父親は、息子の死をなんとも思わないような人間か、知っても来られない所に住んでいるのか、もしかすると、そもそももう生きていないのかもしれない。まぁ、理由はどうあれ、僕は、父親を知る最後のチャンスに、縁がなかったようだ、ここまで来ると、さすがにもう、父親のことは諦めるしかない、と腹を括るしかないだろう。そもそも、なぜこんなにも父親に拘るのか、自分でも分からなくなってきてしまって、最終的にはどうでもよくなってしまった。

 僕には、母がいた。それだけで幸せで、それ以上を望むべきではなかったのだ。きっと、そういうことなんだ。


 「そろそろ戻るぞ。」最上の声に、僕は静かに頷いた。

 最上の何度目かの、パチンの音を合図に、ベッドは、殺風景な白い壁の部屋へ戻った。まさに真っ白、今の僕の心そのものだ。

 「色々と分かってもらえたと思うが、さっき見てもらったものは、約一月前の出来事だ。あの、世にも綺麗な満月の夜に君は死に、君の魂は一度月へ送られた。それから私がもう一度、死神としての肉体を用意して、魂を現世に呼び戻したのだ。そして君が目覚めるまで待っていた。それが今日、多少のずれはあるにせよ、月齢は一周して、満月の夜を目前に君は目覚めた。」

 最上は、狭い部屋をゆっくりと、行ったり来たりしながら話しを進める。

 「それはつまり、君が死神になる準備が整った事になる。それは、仕事が始まるのと同義だ。私は、君に死神の仕事を教えなければならない。」そこまで早口でまくし立てたところで立ち止まり、最上は、真っ直ぐ僕の目を見つめながら、僕に近づいた。あの恐ろしく整った青白い顔が、僕の鼻、擦れ擦れのところで止まる。

 「だが私は、強制はしない主義でね。君にも当然、選ぶ権利がある、と私は思っている。」大きくはないが、体の芯に響く、背中が寒くなるような静かな声で、最上は最後にこう言った。

 「これから私は仕事に出る。ここにはきっかり夜の8時に戻ってくる。だからそれまでに心の整理をして欲しい。死神になるのか、このまま死に魂のサイクルに戻るのか、その時までに決めておいてくれ。私は、君の意見を尊重し、従うことをここに約束しよう。だから君も、覚悟を持って選んでくれ。」

 それだけ言うと、最上は背を向けて歩き出し、部屋の扉を開いた後、何かを思い出したかのように振り向いた。

 「こちらの部屋には、私から君へのプレゼントがある、いわゆる死者への手向けだ。気に入ってもらえると良いが。」無表情で喋るので、言葉に感情が感じられないが、プレゼントとは?死んだ後にプレゼントを貰うなんて聞いたことがない。

 「それから、私が戻るまでこの家から出ないように。分かってると思うが、君は死んでる人間だ、そんな人間が外をうろつくとどうなるか、言わなくても想像できるだろう。」それだけ忠告して、彼は部屋を出て行った。

 最上が去ってから、右手にティーカップを握り締めていることに気が付いた。琥珀色に輝く液体に口を付けると、すでに冷め切った甘い紅茶が、喉を滑り下りていった。


 僕は、本当に死んでしまったのだろうか。

 最上が部屋を出て行ってから、僕はベッドに体をうずめ、真っ白な天井を見つめながら、自分の死について考えていた。もうどれくらいこうしているのか、この部屋には時計がないから分からない。

 ついさっき、ベッドから、最上が見せてくれた場面を思い出す。自分が死んだ場面は、思い出せる限りの最後の記憶と違いはなく、信用できると思う。でも、葬式の場面に関しては、そもそも自分が出席したものでないから判断のしようがない。だからと言って、母や美波の様子は、とても演技をしているようには見えなかったし、そもそもそんな演技をする理由が見当たらない。

 やはり僕は、死んでしまったのか…。

 顔の前で、両手を広げて眺めてみる。まじまじと自分の手の平なんて見たことがないから、これが本当に自分の手の平なのか、正直に言うと自身を持って判別できない、でも見慣れた感覚はある。

 それに、最上と会話をしているではないか。どんなに「死んでいる。」と言われても、今ここに、僕は存在しているのではないか。

最上の話す死神が何なのか、全く想像も出来ないが、さっき飲んだ甘ったるい紅茶の感覚も、その匂いも思い出せる。それなのに、死んでいると考えるほうがナンセンスだ。

魂とか肉体がどうとか、宗教じみた言葉を並べて。最上は僕を洗脳しようとしているのではないか。そんな考えが、ふと頭を過ぎった。

 やつは、新手の宗教家か詐欺師かなにかで、僕を洗脳し、何かに利用しようとしているのではないだろうか。冷静に考えれば分かることではないか、自分の死の映像だとか、葬式の映像を見られるなんて、ありえない話だ。あれはきっと、合成か何かで、僕を死んだと思わせる為の偽装工作に違いない。

 そう考えると、全ての辻褄が合うような気がしてきた。きっと僕は、自転車で転んで気を失ったんだ。それを最上が見つけ、ここへ連れて来られた。それから薬か何かで眠らされていたんじゃないだろうか。

 頭の中の靄が、風で吹き飛んだかのように、モヤモヤしていた頭と心が、一気に晴れてスッキリとしてきた。

 「僕は死んでいない…。」

 僕は、勢いよくベッドから体を起こし、心を決めた。死んでいないとするならば、早くここから脱出しなければいけない。

布団を剥ぎ取り、ベッドから降りると、自分がバスローブ一枚しか着ていないことに気が付いた。

 誰もいないのだが、一応バスローブを体に巻き直し、しっかりと紐で結んでから部屋を出た。

 部屋を出た先には、もう一つ、十畳ほどの大きい部屋があり、僕は、その部屋の真ん中にあるものから目が離せなくなった、瞳は大きく見開かれ、口は半開きのまま、ワナワナと震えている。ゆっくりと近づいて触れてみると、ひんやりとした柔らかいカーボンの感触が、皮膚を通して伝わってくる。

 触れることが出来る。これは夢ではない、そこには、僕が欲しくてたまらなかった、最高級のロードバイクが、ピカピカと輝きを放っていたのだ。

 これが、最上が言っていたプレゼントだとすると、最上は誰よりも、僕のことを理解しているのかもしれない、とすら、思えてしまった。


 Ⅳ


 「あれから、もう一周回っちゃったなんて、信じられないなぁ。」

 凜は、独り言を漏らしながら、寝室の窓を開け、そこから見える満月を眺めている。今年の夏は、いつものように、去年より暑さを更新しているらしく、月が昇り始めた夕方19時頃でも、外気は蒸し暑く、片手に持っている缶ビールは汗をかきはじめて、一口飲むと既に少しだけ温くなっていた。

 まだ紫色に近い若い夜の始まりは、満月の力を借りてまだ明るさを残している。まるで暗闇になることを恐れ、嫌っている、今の自分のようで、凜は、暑いはずなのに震える体を、自分で抱き締めてさする。

 ふと、視線に気が付きベッドを振り返ると、そこには月明かりに照らされた、真っ黒な猫が一匹、ベッドに座り込み、じっと凜を見つめていた。

 数秒間、凜は黒猫は見つめあった後、深く大きな溜息を吐いた。今までの私の生活は、間違いなく幸せだった。ヒカルがいなければ、きっと今ごろ、私はこの世にはいなかっただろう。

 それと比べて、ヒカルは幸せであったのだろうか、私はしっかり母親をやれていたのだろうか、上手くお別れが出来なかった自分に腹が立ち、気が付けば頬を涙が伝っていた。

 涙の混じった温めのビールは、気の抜けた炭酸水のように味気なく、凜はビールの缶をサイドテーブルに置いて、ティッシュを2枚抜き取り、涙を拭った。

 猫の視線から逃げるように、まだ若い満月を睨む。知らないうちに色を濃くした夜の紫に、その満月は、オレンジ色の怪しい輝きを身に纏いながら、ゆっくりと暗闇を連れて昇って行く。

 

 Ⅴ


 「やれやれ、やはり私は、まだ人間という生き物を分かっていないのかもしれないな。」

 夜の8時5分前、部屋に帰ってきた最上は、誰もいない部屋のダイニングチェアーに座り、紅茶を飲んでいた。

 ダークブラウンの木目調のシンプルなダイニングセットで、猫足がお洒落なテーブルを囲むように、それぞれの辺に1脚ずつ、ダイニングチェアーが置かれている。最上はI型のカウンターキッチンから、一番遠い椅子に座り、左肘をテーブルにつき、顎を曲げた人差し指にのせながら、親指で顎の下を撫でている。

 「部屋から出ないように。」と、忠告したはずのヒカルの姿は何処にもない。代わりに用意しプレゼント一式は、見事に無くなっているではないか。

 「人間の特徴①簡単な約束は守れない。」最上は、どこかから取り出したB5版の黒い大学ノートに、メモを取った。

 【対策】と書いた後、しばし考え込んで、「温かい目で見守る。」と書き込んだ。

ティーポットで用意した紅茶が、冷め切らぬように、クッキーを摘みながら、3杯目をカップに注いでいると、玄関の扉が開く音が聞こえた。

呆然とした顔に、絶望をぶら下げて、トボトボとロードレーサーを引き連れながら、ヒカルが部屋に入って来る。

「いろいろと、言いたいことはあるが、まずは帰ってきた事を喜ぶとしよう。お帰り。」

最上は、出来るだけ穏やかな声を心がけてヒカルに声をかける。

 しかし、ヒカルは、最上を見ようともせずに部屋の中央へ進み、ロードレーサーをもとあった場所に停めた。

「帰って来たら、まず言うべき言葉があるだろう。聞こえていなかったかもしれないからもう一度だけ言おう、お帰り。」

少しだけ、苛立ちを混ぜ込んで声にしてみたのだが、先ほどとさほど変わった気がしない。感情を表現することは、なんと難しいことか。

「僕は、本当に死んでるんだな。」

上の空に視線を向けながら、ヒカルが呟く。

「何処に行って来たのか知らないが、私のことがよほど信用できなかったようだな。」

最上は、大学ノートにペンを走らせる。「人間から信用を得る方法」と書くと、そこから小さな矢印を引いた。

「当たり前だろう。何処の悪徳宗教家か、新手の詐欺師にしか見えないっつうの。」

苛立ちをあらわに、ヒカルは振り返った。汗が飛び、床に落ちる。

 「私としては、出来る限り丁寧に説明したつもりでいたんだが、それが伝わっていなかったのなら、謝罪しよう。」

引いた矢印の先に、【対策】と書き、「温かく見守る。」と書き込む。

 「いや、あんたに八つ当たりするのも、なんか違う感じがしてきた。もう、何がなんだかわかんねぇ。そもそも、ここにいる僕は、何者なんだよ。」

 汗と唾を撒き散らしながら、ヒカルは吼える。

そこで、最上は一つ大事なことを話し忘れていることに気が付いた。罰が悪くなり、右手で頭を掻き、姿勢を正して立ち上がった。

 「君は死神だ、人間だった頃は、桜木ヒカルという名だったが今は違う、人間だった頃の君は、もう死んでしまった。今ここに存在しているのは、人間の君じゃない、死神としての君だ。」

 最上が、パチンと指を鳴らすと、ヒカルの汗にまみれた体が、風呂上りのように綺麗になった。サイクルジャージ姿だった服装も、最上と同じ、真っ黒なスーツ姿に変わっている。

 「今の君が、これからの君だ。」

そう言うと最上は、ヒカルに一枚の名刺を渡した。そこには最上の名刺と同様に、こう書かれていた。

「死神 見習い 三ツ星 光 (ミツボシ ヒカリ)」

「なるほど、僕は今日から、ヒカルからヒカリになるわけか。」名刺を見た光は、苦笑交じりに呟いた。

「そうだな、動詞から名詞になったわけだ。」私の言葉に、光の顔が曇る。

「笑えない冗談はやめてくれ。」

「私は、冗談を言ったつもりはない、別に笑いを取りたいわけではないからな。ただ単に事実を話しているだけだ。」私は、椅子に座り直して、先ほど注いだ紅茶に口を付ける。生温くなってしまった紅茶は、香りも薄く舌触りも悪い。

「それで、この三ツ星って言うのは何なんだ。」何とか冷静を保とうとしているのか、光の顔は少しずつ赤みを帯びてきている。心なしか呼吸も早く、荒くなっているようだ。

「まさかとは思うが、気に入らないのか?私は中々お洒落で、死神らしい苗字だと思っているのだが。」

私は、出来る限り正確に、光からの質問に回答しているつもりだ。しかし何故だか、光の苛立ちは、納まるどころか、更に増すばかりのようだ。

「あんたの主観なんてどうでもいいんだよ。…そうか、わかった。じゃぁこの体も、この顔も、あんたが用意したものってことだな。」光は、両手を広げて、二、三歩、私に近づいて来る。

やはり、新しい体に関して、しっかりと説明をしておくべきだったと、私は素直に反省した。どうやら光にいらぬ混乱を与えてしまったようだ。

「事前に話しておかなかったのは私のミスだ、素直に非を認めよう。」私は、怒る光の目を見据えて、謝罪を述べ続ける。

「しかし、…こんな言い方をしては誤解を招くかもしれないが、今の君の容姿は、以前の君より、遥かに優れているはずだ、何が不満だと言うのだ。」これも、私の本心だ。

【死神はスマートでなければいけない】これは、あくまで私のモットーのようなものだが、何事も、まずは、見た目が肝心なのだ。だから、私が思う死神像を、そのまま彼の体には反映させた。つまり、光は今、私が思う、理想の死神像そのものになっている。不満などあるはずがない、と私は思いたい。

光は、突然何も喋らなくなった。開いた両腕を下ろし、眉間に寄せた皺を、右手の平で擦るようにしている。

私の気持ちが伝わったのか、光からの反論はなく、彼は自分に起きた出来事を、どうにか噛み砕いて飲み込もうと、無言でもがいている様に見える。眉間を擦る右手の平のスピードが徐々に激しくなる。

「洗面所は何処にある?」

擦る右手を止めて、光は私に尋ねる。

「そこのドアを出て、左に歩いた突き当たりにある。」

さっき光が、入ってきたドアを指差して告げると、彼は静かに扉の向こうに消えた。


数分後、光が戻ってきて私の前のダイニングチェアーに腰を下ろした。私は、無言で彼の前にソーサーを置き、温まった紅茶の入ったカップを、そっとその上に載せた。

「僕は、これからどうすればいい?」

落ち着きを取り戻した光は、そう私に問うと、一口紅茶に口をつけた。

「前にも言ったが、それは君次第だ。このまま死を受け入れ、魂のサイクルに戻ることも可能だ。だが、私の希望は違う。君がその気になってくれるなら、私の下で死神見習いとして働いてもらいたい。」

「死神として働くって、どういうことなんだ?僕になんのメリットがある。」

やっと冷静に話が出来る時が来た。私は、大きく溜息を吐きたいところをぐっと堪えて、具体的な説明を始める。

「まずは第一に、私は人間の心を持つ死神を、育てる使命を帯びている。だが、死神候補は誰でも良い訳ではない。君は、私の見立てで死神候補に足りうる能力を有していると判断されたのだ。」

テーブルに両肘をつけて、手を組み。私は、真剣な眼差しを光に向ける。

「死神の仕事は、魂のサイクルを円滑に行なうことだ。より綺麗で浄化された魂を月へ送り、新たな生へと還す。謂わば魂の守人といったところだ。」

光の眉間には、また少しずつ、皺が深く刻まれ、首が左に傾いていく。

「君のメリットととしては、いくつかあると思うが、一つは、ほぼ死なないことだ。我等の技術力は素晴らしい。死神の体は、人間とほぼ同じに作られている、心臓以外を除いてはな。」私は、右手の親指を立て、胸の真ん中を二、三度叩いた。

「この体は、人間と同じ機能を果たす。傷が付けば血が流れ、髪も伸びる。しかし、当たり前の話だが、我々死神は死んでいる存在だ、だから心臓は存在しない。変わりに我々の心臓はこれだ。」

私は、スーツの左内ポケットに入っているライフを取り出して、テーブルの上に置いた。

「これがライフ、我々の命を具現化したものだ。」

「見た目は、スマートフォンだが、これには我々の全てが詰まっている。このライフが破壊されたり、充電切れを起こしたりしない限り、我々死神は死ぬ事はない。言い換えれば、不死だ。まぁ、いくつかの例外はあるがな。」

私は、テーブルに差し出したライフを、光の前に置く。

「これは、君のものだ。死神になる気があるなら受け取ってくれ。」

数秒の沈黙の後、光は差し出されたライフに触れた。その瞬間、ピコーンという安っぽい電子音が鳴り、ライフが起動し始めた。

私は内心、ホッと胸を撫で下ろした。まずは第一関門突破といったところだ。

「死神になるとして、僕はこれから、あなたの下で何をすればいいんですか?」

口調が少し和らぎ、私は更に安堵する。

「簡単だ、もうすぐここにクライアントが訪れる。その依頼に全力で応えれば良い。」

「死神の仕事は、何でも屋ってことですか?」

「死神の仕事は、魂のサイクルを守ることだと言ったな。」光は頷く。

「ではここで質問だ、魂のサイクルとは何だと思う。」

「んー…。普通に死んで、普通に生まれ変わる的な?」

「概ね正解だ。それでは、普通に死ぬとは、どういう死のことを指す?」

光は、眉間に寄せた皺を更に濃くして、首を完全に左に傾けた。

「寿命で安らかに死ぬ的な?」

「半分正解だ。」

「普通に死ぬと言うことは、寿命を全うすることに他ならない。だが、そういった安らかな死を迎えられる人は少ない。寿命に分類されるのは、病死や、故意に分類されない事故死くらいだ。更に言えば、他者に殺された死も、大きな枠組みで考えれば、寿命による死に分類される。他者に殺されたのだから抗えない死だ。だがそれは、安らかな死には程遠い。」

「では、またここで質問だ。今話したもの以外で、死の分類には他に何があるか分かるか?」

「…自殺。」光は、届かなかった所に、手が届いたときのような、スッキリした顔で叫んだ。

「ご名答。」

「我々死神は、クライアントに自殺をさせないように、見守り、正しい死へ導くことを仕事としているのだ。また、大きな枠組みで考えれば、自殺以外にも、クライアントが殺されないように警護をすることもあれば、間抜けな交通事故に遭わないよう、目を光らせていなければならない。ようは、魂の質を保つこと、安らかな寿命を迎えさせることが、我々の仕事と言えるだろう。」

私は、腕時計を確認して指を鳴らした。さっきまでいた部屋が消え、光が死んだ時の満月の空に、私たちは浮かんでいる。

「さあ、時間だ。君の決断を聞こうじゃぁないか。時は戻した。君が死を選びたければ、今ここで君を魂に還そう。死神になる決意が出来たなら、ライフを胸に当て目を閉じるがいい。」

私は、両手を広げ、空虚を歩いた。「さぁ。」と、光に決断を迫る。

 すると光は、迷うことなく、ライフを胸に当て目を閉じた。

 その瞬間、光の体は、満月から放たれる光の粒に包まれた。そのまま、パチンという音と共に、満月は消え部屋に戻った。

 

人間の心を持った死神の誕生だ。私は、祝福の意味を込めて、紅茶の残ったカップを持ち上げ、一口飲んだ。

体を覆う、光の残光に見惚れている光に、私は気になったことを聞いた。

「どうして突然、私の話を信じる気になったんだ。」

「理由なんて簡単ですよ。」

光は、残光を楽しんでいるようで、両手をグーパーさせながら光の変化を見ている。

「自分の死を受け入れるしかなくなった。ただそれだけです。」

「なるほど、やっと素直になれたということか。」

「後は、しいて言うなら。最上さんのセンスを認めたからっすかね。」

そう言いながら、光は私の目を見た。その目に私は、真っ直ぐな決意を読み取った。

「三ツ星 光、格好良い名前と、綺麗な体、有難うございます。」

差し出された右手が、何を意味しているのか、私が訝っていると。

「死神同盟結成の握手ですよ。」と、光は笑った。

「同盟とは違う。だがまぁいいだろう。これからは宜しく頼む。」

私は、差し出された手を軽く握った。するとその時、玄関から、ピンポーンっと、間抜けな呼び出し音が鳴った。

「さて、始まりの合図だ。クライアントのお出ましだ。」


今夜も、夜空には綺麗な満月が夜を照らし、眠る魂の行く末を静かに見守っている。あの日の彼の死がそうであったように。今夜もまた、誰かがどこかで、命の幕を静かに下ろして、どこかの死神が、憂いながら月を見上げていることだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る