ヨルノミチカケ

@Yorunomichikace

第1話エピローグ「月が落ちてくる。」

状況が飲み込めていないクライアントは皆、口々にそう表現する。まぁ理解できなくもない。誰も生きている間じゃ、こんなにも月に近づいた事などないのだから。


 その男は、黒いスーツに黒いネクタイを締めて、ベッドの隅に座りながら紅茶を飲んでいる。そして、そのベッドには、若い男が仰向けに眠っていた。体は真っ白な布団で隠れ、顔しか見れないが、その顔は安らかで、眠りを満喫しているようにすら見える。

 ベッドは、スーツ姿の男と、安らかに眠っている若者を乗せて、ゆっくりと夜を昇って行く。


 不意に、スーツの男の胸ポケットが小さく震えた。

 男は、そのポケットからスマートフォンを取り出して画面を確認すると、小さな溜息を吐いて月を見上げた。


 「綺麗な夜には、それに見合った悲劇が起こるものだ。」


 詩的な言葉を呟くと、男はスマートフォンを何度か指で叩き、また胸ポケットにしまった。それとほぼ同時に、眠っていた若者の瞳が薄っすらと開かれた。

 眩しさに目を細め、大きな満月を朧げにその目に捉えたその若者は、


 「綺麗な満月だなぁ。」と、言葉をこぼした。


 その言葉を聴いて、スーツの男は、口元に運びかけた紅茶の入ったカップを止めた。その口元には、彼には似つかわしくない笑みが張り付いている。


 「こいつは、中々見込みがあるかもしれない。」


 そう心で呟いてから、男は、カップの中の紅茶を、一気に飲み干した。

 月は更に、大きくゆっくりと、熟成する群青の夜をバックに、高く高く昇っては、やがて沈み行く西の空を目指して、時を刻んで行く。

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