雪と玉こんにゃく

ビリヤニ

運命

生きるのにはどうも理由が足りない。

そういうわけで首をくくることにした。


細い紐では肉に食い込んで痛いだろうから、うんと太い紐が良い。

せっかく安らかな天の国に向かうのだ、豪勢にしめ縄なんてのはいいんじゃないか。

そうだ。それがいい。


行きつけの百貨店まで行こうとしたが、数年に一度のドカ雪の影響で、相棒の電動自転車は使えない、タクシーもなかなか捕まらないときた。かといって、バスや電車といった、大勢の人間がはびこる公共交通機関は使う気になれない。


しかたなく、普段は使わない近所のコンビニまで徒歩で向かう。雪のせいなのか、店内は客一人見当たらなかった。


「すみません、しめ縄は売っていますか」

「は?申し訳ありません。ないです」


レジにいたチャバネゴキブリのように明るい茶髪の店員に聞けば、愛想のない返事をされた。

全く、"コンビニエンス"ストアを名乗っておきながら、しめ縄一つ売っていないなんて、

何という体たらくだろう。いっそ要らない頭の飾りをとって"ストア”とでも名乗った方が良い。

それに、店員の態度もよろしくない。頭こそ下げてはいるものの、怪訝そうに眉をひそめた様子からは、どうしたって謝意を感じ取れない。


文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、それは香ばしいだしの香りに鼻腔をくすぐられてあえなく失敗した。


香りの正体を目でたどれば、レジカウンターの奥に、黒髪の青年が見えた。

大きな銀色の鍋を抱えている。

鍋からあがる湯気のせいで、青年の顔はよく見えない。


「こら。お客さんに不愛想な態度をとってはいけないって言ってるでしょう」


湯気、もとい青年が声をあげた。

茶髪の店員は、だるそうに髪をかきあげる。


「だって店長。このヒト、意味わかんないこと言うんスもん」

「お、お客様になんてことを言うんですか」


青年――どうやら店長だったらしい――は、重そうな鍋を隣のレジカウンターに置く。

それから、大慌てでカウンターの外に飛び出してきた。


「申し訳ありません!失礼を申しまして」


そこでようやく青年の姿を目の当たりにして、私はあっけに取られてしまった。

透き通るような白い肌、髪は烏の濡れ羽色、薄桃色の艶めく唇、すっきりとした一重に、銀フレームの眼鏡が良く似合っている。

細い腰を真っ赤なエプロンがきゅっと引き締めていて、なんとも魅惑的な――。


「お、お客様。どうされましたか」


恋に落ちることはよく「雷にうたれる」と表現されることがあるが、とてもそのような衝撃では収まらない。

心臓を多方向から槍で突かれ、火をつけられたような、もっと苛烈で恐ろしい何かが、私を襲った。

ああ、胸が痛い。


思わずその場にうずくまった私に、天使が手を伸ばす。


「ど、どうしましたか!大丈夫ですか!」


よく聞けば、声も非常に愛らしい。木々のさざめきのように柔らかくかすれ、聞く者を包みこむような声。

青年の手にすがりたい思いもあったが、これ以上彼を心配させるわけにはいかまい。私は平静を装って、どうにか一人で立ち上がった。


「失礼。少し、動悸がしてね」

「だ、大丈夫ですか。体調が優れないようなら救急車を」

「それには及ばないさ。それに、これは医者に治せるものではないからね」


何せ、一目ぼれという恋の病だ。

格好つけてハットのつばを軽く持ち上げれば、青年は可愛らしくきょとんとした。


「だいたい、この雪じゃあ車を回すにも苦労するだろう」

「ああ。確かに、すごい雪ですものね。僕も今日は厚着を……ってそうではなくて」

「うん?」

「お客様。うちの店員が申し訳ありませんでした。何かお探しされていたようですが、どうしましたか」


なにかと思えばそんなことか。もうすっかり忘れていた。


「いや、恥ずかしながら、訳あって首をくくろうかと思ってね。しめ縄を探していたんだが」


我ながら忘れん坊で嫌になるよと、おどけて微笑む。

青年にも笑われてしまうかと思ったが、彼の反応は予想外のものだった。


「し、しめ縄?首をくくる?え、えっと」と落ち着かない様子の青年。

「ほら、だから言ったじゃないッスか。やばい人だって」とチャバネゴキブリくん。


「あの、えっと、その、どういうことでしょうか、首をくくるって、その、つまり」


「まぁ、概ねそういうことだね」

「だ、駄目ですよ!」


答えれば、彼は声を張り上げた。


「悩み事があるなら、僕でよければ聞きますから!」

「いや、別に誰かに言うほどのこともないんだが。ほら、雪も降っていて綺麗だし、ちょうどいいと思ってね」


ウェディングドレスしかり、死装束しかり。白は旅立ちの色である。

天上へ出かけるには、今日は実に良い日だ。しかし、天使と出会ってしまった今、その計画にも意義を見いだせなくなってきているが。


自動ドアの向こう、降りしきる雪を眺めていると、青年が動く気配がした。

ごそごそと鍋の中から何かを取り出している。

串にさされた団子のようなそれは、何とも旨そうな香りを辺りにまきながらてらてらと輝いていた。


「食べてください!お代は結構ですから」

「……これはなんだい?」

「自家製の玉こんにゃくです。毎年この時期になると売るんですけど、大人気なんですよ」

「たまこんにゃく」

「はい。あ、お嫌いでしたか?」

「いいや。とてもいい香りだね。食欲をそそる香りだ」


青年がどこか誇らしげにうなずく。


「はい!うちに伝わる自慢のレシピでして……ってそうではなくて」

「うん?」

「良かったら食べてください。寒いと心細くって、悲しいことも考えてしまうでしょう」

「うん」


別に、そうでもない。起きた時にベッドからでるのはおっくうにはなるがそれだけだ。

しかし、青年が何やら息巻いているのが可愛らしくてとりあえず頷いておいた。


「だから、これでも食べて一息ついてください。温かいものは体も心も温めてくれるでしょう」


青年の白く細い指から、玉こんにゃくの入った袋が渡される。


「これはいくらだい」

「お代はいりません」

「そういうわけにも。金ならあるんだ、受け取ってくれ」


金ごときで天使の授かりものに報いられるとは思わなかったが、いたしかたない。

財布から適当に札を抜いて渡そうとすれば、青年は目を丸くした。


「いや、あの!これ、1本120円なので!待ってください」


子兎のようにすばしっこくレジカウンターに向かう彼。チャバネゴキブリくんを押しやり、

ボタンをがちゃがちゃと押しているところを見る限り、レジを起動させようとしているらしい。


慌てている分、操作に手間取っているように見えた。操作に手いっぱいと言った様子で、目が合わないのが口惜しい。


「お釣りなんて本当に要らないんだけどな」

「そ、そういうわけにもいきませんから」

「君もこの玉こんにゃくが好きなのかい?」

「え、ええ。よく休憩とかに食べますね」

「なら、決まりだ」


え、と声をあげる青年に向かって、最大限の笑顔を見せる。


「これをあと二つ、追加でくれ。君の分と、ついでに隣のチャバネくんの分だ」


青年とチャバネくんは、そろってぽかんと口を開けた。


「い、いや頂けないですよ。な、斉藤」

「お、おお。つかチャバネって何」


チャバネくんはその名を斉藤というらしい。そういえば、エプロンの胸元に「斉藤」と書かれたネームプレートが付けられている。

しかし、私がチャバネくんと呼ぶのだから、彼はチャバネくんで良いだろう。

チャバネくんから目を反らし、青年の胸元を見つめる。


「貴方の名前を、良ければ教えていただけないだろうか」

「見りゃ分かんだろうが」


すかさず、青年ではなくチャバネくんが答えた。

しかし、私はチャバネくんに質問をしたのではない。チャバネくんの回答は無視をして、青年の花のかんばせをじっと見つめる。


「君の口から聞かせていただきたいんだ。私に手を差し伸べてくださった天の御使いの名を」


「や、山田、ですが」


それはまるで福音のようだった。


「山田。山田くんだね。どうもありがとう」


「は、はい。えっとその、玉こんにゃくは3つ、でよろしいでしょうか?」


「ああ。私と貴方と、ついでに隣の彼の分を頼むよ。もちろんお代はお支払いしよう。大変ささやかではあるが、君に助けてもらったお礼がしたいからね」


「えっと」


店長、もう適当に勘定して帰らせましょうよ。

天使の声に混じりノイズが聞こえた気がするが、幻聴だろう。結果として、会計は自分の思う通りに済んだ。


「あの、なんていうか、その、大丈夫ですか」

「ああ。おかげさまで」


羽のように体が軽い。陳腐な表現ではあるが、今ならなんでもできそうな気分だった。作品のインスピレーションも滝のように湧いてきている。


「本当にありがとう。またここに来ても良いだろうか」


げっとチャバネくんが声をあげた。失礼なやつだ。

青年、天使、もとい山田くんはというと、眉を下げてはにかんだ。


「あ、はい。えっと、またのお越しをお待ちしております?」


「ありがとう。では、また」


店長、やばいですってソイツ。


またもノイズが聞こえた気がするが、幻聴だろう。


名残惜しく思いつつも、店の出口へと向かう。

ピロンピロンと無機質な退店音は、アフロディーテの奏でる竪琴にも等しく思われた。


外では、祝福の紙吹雪にも似たパウダースノーが降り注いでいた。

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雪と玉こんにゃく ビリヤニ @yurugi_santaro

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