第88話 Lost Drifter Ⅲ

 クリスはフライパンの火を男に近付けていく。だが顔は見た覚えが無い。瞳の色こそ分からないがフライパンの火に照らされる髪の毛は短く、赤毛混じりのようだった。

 それ以外に身体に目立った特徴はないから、獣人種ではなくヒト種に思えた……とまぁ、その程度しかクリスには分からなかった。

 だがそれで諦めるクリスではない。


 男の胸にはロケットがあり、ロケットの蓋は開いていた。その中には写真が入っているようだったから、クリスは火を近付けその写真を見る事にしたのだった。



 写真には4人の男女が写っていた。顎髭を蓄えた壮年男性の前に2人の子供が写っている。子供のうちの1人はこの男だと思われた。どことなく面影があるからだ。

 あとのもう1人は着ている服からして女の子だろう。そして男の子よりも小さいから妹かもしれない。髪はそこまで長くない様子で、髪の毛はっすらとした茶色だった。



「どこかで見たような気がするが、誰かに似ているだけか?ぬぬぬ……他人の空似にしては、似過ぎのような気しかしないが、誰に似ておるのだ?」


「そんなの知らない」


「そ、それはそうだな。リュウカ殿は会った事はないハズだからな。ところで、最後の1人は……んッ!?これは、まさかッ!」


「これは知ってる?」


「こ、これは、執事殿だ!」


どの?それ


 ちょうどその時、クリスのデバイスに着信が入った。




 爺は戻って来たシソーラスを引き取ると乗り込み、そのまま南に向かってシソーラスを走らせていった。屋敷のサラとレミには前もって「しばらく戻れないかもしれない」と話し、屋敷の事は全て任せると伝えた。

 薄情な感じがしなくもなかったが、それだけ切羽詰まっていたとも言い換えられる。



 爺は暫く走ると1軒の家の前にシソーラスを停めた。そしてその家の中へと入っていく。



「あぁ、時間通りに来たな。頼まれていたモンは用意しておいた。代金は嬢ちゃんにツケとくから、依頼クエストの報酬から回収させて貰うとするが……それでいいかい?」


「手持ちで良ければお支払い致しますが、いかほどで御座いますか?」


「急だったんでな割り増し料金になっちまう。4枚で5万ゼンだな」


「かしこまりました、ツケでお願い致します」


「あははっ、りょーかい。じゃあ、これが頼まれモンだ。ほらよッ」


ぱしっ


「有り難う御座います」


 その声は迫力のある低い声だが、聞き取りやすく通る声だった。



 ここの外観は普通の一軒家の様相だが、中はバーのような造りに改装されている。そのバーのカウンターの中にその男はいた。

 歳の頃は30代半ばといったところで、髪はシルバーメッシュが入っているが全体的に燃えるような赤髪で短い。更に右の眉尻から頬に向かって細長い傷が見える。

 この男が通称「スカーフェイス」と呼ばれる神奈川国ギルドの、ギルドマスターギルマスである。


 そして、何の変哲も無いこの一軒家風のバーが神奈川国ギルドの本部であり、武力組織という肩書きに於いては公安と比肩ひけんする存在と言える。



「だが、旅券パスポートなんて一体何に使うんだ?嬢ちゃんは星持ちだろ?旅券パスポート無しであっちこっち行けんだろ?……ま、聞くだけ野暮ってモンだわな。わりぃ」


「お気遣い有り難う御座います。それでは、当方はこれにて」


「おう、嬢ちゃんに宜しくな。たまには公安だけじゃなくて、こっちの依頼クエストも頼むって言っといてくれや」


「お嬢様に伝えておきます」


 爺はスカーフェイスから受け取った「旅券パスポート」を手に握り、そのままシソーラスを海岸線沿いに走り抜けていく。




 この世界に於いて、旅行は一般的とは言えない。


 ハンターはブーツで空を駆ける事が出来るが、翼や羽を持つ獣人種や精霊種以外の一般的な人々は空を飛ぶ事が出来無い。また、空を翔ぶ魔術はあまり知られていない。


 魔術を得意とする亜人種のエルフ族エルフィアや、翼や羽を持たない精霊種なんかもそれらの魔術は使えるようだが、やはり広く知られている魔術とは言えなかった。

 然しながらので推奨は絶対にされていない。


 だからもしも旅行をしたいのであれば陸路がメインになる。だがその場合は、各国境間にある高い壁を越える必要がある。

 一部高い壁がない国境線もあるがその場合は大抵高い山や深い渓谷、大きな河などが存在している。拠って自由気ままに、国境をまたぐ往来は基本的には出来ない。

 だからこそ、国境高い壁を越える為に必要な物が「旅券パスポート」なのである。



 「旅券パスポート」は公安やギルドのみが発行出来るシロモノで、それが無ければ陸路で国境を越える事は基本的に出来ないとされる。その結果、人々にとって旅行は一般的ではないと言える。

 付け加えるならば、その「旅券パスポート」は決して安い物ではないので「旅行」が一般的でない結論に繋がる。



 大体、普通の一般的な家庭に於いて1ヶ月あたりの生活費は統合通貨で1000ゼンあれば足りる。

 そして旅券パスポートは入国時に1枚使う。謂わば片道切符なのだ。だから帰ってくるには必ずもう1枚必要になる。

 拠って、隣国に行くのだけでも2年分くらいの生活費を求められる事になる。それだけでも、旅行は一般的ではないと断言出来る。

 それ以外にも魔獣の問題や野盗の問題などもあるが、それは言わずもがなだろう。だからそこまでして、旅行に行きたい人がいるワケもなかった。




 爺はシソーラスを走らせ、国境を2つ越えた。神奈川国と東京国の国境と、東京国と千葉国の国境である。


 爺はハンターでは無いが、ハンターの関係者である事に違いは無い。その為にシソーラスの積載品などは細かい検閲けんえつを受けずに済んだが、それでも「旅券パスポート」は必要だった。


 こうして2回国境を越えたシソーラスは、ひたすら東に向かって走り続けていった。



 向かった先は最東端の「犬吠埼いぬぼうざき」と呼ばれる場所である。

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