第86話 Lost Drifter Ⅰ

 クリスはアラヘシ市から飛んでいた。

 そう、「真東に」だ。



 クリスは房総沖の海上にあった、積乱雲に向かっていたのである。風龍イルヴェントゲートが巻き起こしている台風に拠って、不安定になった気象条件下で「ただ発生していた」だけの積乱雲に向かって邁進まいしんしていたのだ。

 しかも、そのまま空を飛び空路で千葉国の中に越境していた。


 更に付け加えると、クリスは未だにデバイスの操作が不得手ふえてな所がある為、少女のように防寒対策用のASPのインストールなんかもしていない。

 要するに少女の屋敷に行った時の「着の身着の儘まんま」の格好だった。この寒い冬の空をそんな格好で飛び、積乱雲に飛び込んでいったのである。

 当然の事ながら、びしょびしょの濡れネズミならぬ濡れ龍人族ドラゴニアになったのだが、モチのロンでそこに風龍はいない。

 いるワケも無い。



 「これは何か」と思い、クリスがバイザーで確認した時に初めて、風龍イルヴェントゲートの所在を知らない事に気付いたのだ。だが、クリスはくじけなかった。

 サラに対して必ず連れ帰ると約束したからだ。


 それ故にあろう事かそのまま東に向かって飛び続けていった。東に向かって飛び続ければ必ず見付かるだろうと安直に考えたからである。



 そこは海しかない陸地も何も無い太平洋上。視界に映るのは雲の白と海の青、そしてキラキラと輝く陽光だけだ。

 最初に突入した積乱雲以外の雨雲にはこうか不幸かぶつからなかったものの、陸地も何も見えず広大な海の上を飛び続けたクリスは、無理がたたり限界を迎えようとしていた。

 海を渡る鳥でさえ、そんな無茶なルートフライウェイは取らないだろう……。




 幾日も昼夜を問わず飛び続けた結果、クリスは既に限界を迎えていた。睡眠不足に加えて、途轍とてつもない疲労感と空腹に襲われた結果、方向感覚が徐々に狂っていった。

 しかし、これがクリスの唯一の僥倖ぎょうこうとも言える、幸運のたぐいだった事に変わりは無い。



「あそこに島が見える。水が飲みたい。食べ物が欲しい。そして、眠い。意識が朦朧とする。早く、早く降りて……」

「あぁ、いかんいかん、しっかり気を保たねば」


 クリスは当初の目的をすっかり忘れ、生存本能のままにその島へと降りる事を決めたのだった。



ばさッばさッ


「ふむ、久し振りの陸地だッ。あぁ、地に足が付くというのはこんなにも幸せなコトだったのだな!さて、眠気も疲労も空腹も……この島でなんとかなるだろうか?」


ざっざっ


「ところどころで木が倒れているな。それに人が住んでいる気配は感じられない。無人島なのか?だが、それでは困る。せめて水だけは確保したい!仕方ない……歩くよりは空から探した方が的確やもしれん」


ばさッばさッ


 クリスは一度島に降り立ったものの、上空から見た時よりもこの島はすさんでいる様子だった。


 あちらこちらで木々が倒れている。更には倒れた木が、折れた根本の辺りから遥か彼方に転がっている。それを見ただけでも、ここで何かが起きたのは明白だった。

 然しながら、見知らぬ土地で何かあっては困る。それが魔獣だったりすれば尚更だ。現状で戦闘に耐えられる程に、クリスの身体の調子は宜しくなどないのだから……。

 拠ってクリスは再び空から探索する方針に切り替えていった。



 比較的低空で空を飛び探索していくが、周囲に建物や住居は見当たらない。しかし、そこまで大きな島ではない様子だったので、数時間も念入りに調べれば何かしら見付かるだろうと安直に考えていた。

 最悪の場合は睡眠だけ取って、他の場所に動くコトも視野に入れながら。




 だが、クリスは島の北側の探索の途中で、きらめく物が一瞬だけ見えたような気がした。その煌めく物が何だったのかはサッパリ分かっていなかったが、クリスは単純にそれが水だと思った。

 よって翼をはためかせると方向転換し、そっちに向けて羽ばたいていったのである。



「さっき何かが見えたのはこの辺りだったか?もう少し高度を下げてみるか……鬱蒼うっそうと茂っている木々の上からじゃ、何か見落としているかもしれん」


ばさッばさッ、しゃー


「ここら辺はあっちより大地が泥濘ぬかるんでいるようだ……。いくら喉が渇いていても流石にアレは飲めないな」


きらッ


「ん?さっき光っていたのはアレか?よし、行ってみよう」


ばさッばさッ


「これは……家か?木の中に作ったツリーハウスと言うヤツか?そう言えば、此の身の村にもいくつかあったな」


ばさッ


「ん?装備が干してある。さっき光っていたのはコレか?この様子だとこの装備は捨てられたモノではないだろう。あの家の中にコレの持ち主がいるかもしれんな。よし、行ってみよう!人がいるなら、水と食料を分けてもらえるやもしれん!」


 それは大きな木の中腹辺りに作られた小屋みたいな家だった。だが、ツリーハウスと呼ぶには非常に質素かもしれない。

 家の外には誰かの装備品と思われる防具一式が木の枝に掛けて吊るされている。恐らく濡れた装備を干しているのだろう。


 「ここに住んでいるのはハンターだろうか?」「それとも魔獣を狩るハントする事を生業なりわいとする狩人だろうか?」そんな事を心の中で呟きながらクリスは小屋に近寄って行く。



 干されている装備品は太陽の光を浴びて、淡い緑色をかもした銀色に光っている。

 その装備品のあちらこちらからは、ぽたりぽたりと水滴が垂れていた。



「誰か、おられるかぁ?家主は留守だろうか?流石にインターホンは無い……な。ならばこの梯子を登って上まで行ってみるしかない……のか?不法侵入にならない事を祈るばかりだ」


ぎしっぎしっ


「結構丈夫な梯子のようだ。さっきの装備のサイズからしてもアルレ殿のような小柄な者ではないのだろう。しかし、油断はしないでおこう。いつでも羽ばたける準備はしておいた方がいいかもしれん」


ぎしっぎしっ


「誰か、おられるか?ん?返事がない……家主は留守か?しかしそれでは流石に、見ず知らずの者の家に上がり込んで、家主の帰りを待つワケにはいくまいな」


かたッ


「ん?物音?誰かおられるのか?此の身は怪しい者ではない。れっきとしたハンターだ。この近くの依頼クエストに来たのだが迷子になって困っている。もしよければ、飲み物と食べ物を少しでいい、分けてもらえないだろうか?」


 灯りも無くとても暗い為に中の様子は、入り口付近からでは何一つとして分からない。

 拠って小屋の中がどうなっているのかはサッパリ分からない。


 然しながらこの小屋は、木のうろを利用して作っているのだろうという事だけは分かった。外観は質素だが、中は思った以上に広そうな感じがしていた。

 拠って奥の方までは陽の光も届いていない様子で暗く、ひっそりと静まり返っていたのだった。



 だがクリスは奥から聞こえた物音で、誰かがいると、確信していた。ネズミやリスなどの小動物の可能性を考えなかった事から、それがクリスを天然足らしめる証拠かもしれない。

 よって、弁解混じりの独り言を話しつつ、小屋の中へと入っていく事を選択したのである。



 小屋の中はやっぱり暗かった。デバイスを光源代わりにしようと考えたが、デバイスの機能にうといクリスはどうすればいいか分からない。


 そこでクリスは暗い小屋の中で四つん這いになり、手探りだけを頼りに進んでいった。その姿は、明かりが灯っていれば言い逃れが絶対に出来ない不審者である。

 流石にといった言い訳も、状況だろう。


 こうして物音の聞こえた方へ、手探りで向かう不審者クリスの指先に温かい何かが触れたのだった。



「ひっ?!あ、いや、すまない。思わず悲鳴を上げてしまった。これはだな、此の身は……」


「……」


「ん?反応がない。えっと、デバイスが少しだけ明るいから、これで照らしてみるとするか……ん?これは、足か?人が寝ているのか?」


「アナタ、そこで何してる?」


「ひやあぁッ!?あわわわ、こ、此の身は、ハ、ハンターをしている者だ。勝手に上がり込んでしまって申し訳無い。近くの依頼クエストに来たのだが、その、道に迷ってしまってな、それに水と食料も無くて、正直困っている。だ、だから、決してモノではないし、コトなどしてないぞッ!」


「ハンター?アナタ、その人の知り合いか?」


「ん?この人は家主ではないのか?」


「やぬし?この家、リュウカだけ住んでる。その人、海で拾った。生きてたから連れて来た。見た目、ハンターだった。だから知り合いかと聞いた」


「知り合いか?と言われても、暗くてよく見えない。すまないが灯りは無いだろうか?」


「分かった、火を点ける。アナタ、そこで待つ」


たったったっ


「声からして女の幼子のようだったが、どこかに行ってしまったな?——火を点けるとか言ってたようだが、帰ってくるまで待つとしようか」


たったったっ


「今、灯りを点ける」


カチッカチッ


「火打ち石か?薪がそこにあるのだな?」


「そう」


「ならば、此の身が火を点けよう。石を貸してもらえるか?」


 本来であればクリスは不法侵入であり、挙動不審な不審者だ。だが家主リュウカはクリスを警戒する事なくクリスの言われるがままに火を点けようとしていた。

 どこか覚束ない話し方のリュウカだが、クリスはそれを気にする事なく火打ち石を預かるとリズムよく石を打ち鳴らしていく。



 暫くして、火花は小さな火種となり、その火種は薪を燃やすだけの炎となっていった。

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