#2 両親と、図書館

 僕が異世界に転生して三年と半年が経った。あれから魔王や勇者、についてこれと言った情報は得られないままだ。

 強いて言うならば、災厄をもたらした魔王を勇者が倒したと言う御伽噺おとぎばなしくらいだろうか。それはこの世界の人間ならだれでも知っている話のようで、僕は半年程前に両親に聞かされた。

 その反面、この世界の情勢についてはある程度掴めてきている。 

 ここは『リベルタス』という大陸の東にある王国『フィデス』。そして僕ら親子が今住んでいる街は、王国領の北西部に位置している都市『アーデルハイト』にある。

 フィデス王国は近隣国随一の武力を誇り、大きな戦争などもない比較的平和な国のようだ。


「おいモニカ、準備は出来たのか?」

「はいはい。出来てますよ」


 僕はツワブキ家の長男として、父『オズワルド』と母『モニカ』の間に生を受けた。

 父は国の重要な書物を管理する図書館の館長として勤めているようだ。国の重要施設を管理する凄い立場の人間らしく、毎日遅くまで働き詰めている。

 僕がこの世界に来てからの主な情報源は、そんな父が図書館から持ち帰ってくる大量の書物だ。子供でも読める内容の本を選んで持ってきてくれているようだが、そのおかげで読み書きに苦労することは殆どなくなった。

 一方母は、この家から歩いてすぐの場所にある随分と年季の入った病院の院長を勤めている。

 僕が生まれてからは殆ど仕事には行ってなかったようだが、最近は外出する頻度が増えている。そして今日もその日だ。


「それじゃトモキ、ママ達行ってくるから大人しく待ってるのよ」

「お昼にはママが帰ってくるからな。それまで留守番頼んだぞ!」


 そう言って玄関をくぐる両親を見送ると、すぐさま父の部屋へと向かった。


 ◇


 父の部屋に入るなり、本棚の一番下の段にある本を手に取る。

 近頃は週に一度、誰も家に居なくなると父の部屋の本を読んでいる。後ろめたい事をしているわけではないのだが、三歳児がこんな本を読んでいたら流石におかしいと思われるに違いないからだ。


「さてと、確か昨日は百二十五ページまで読んでいたから……」


 そうひとりぼやきながら先週最後に読んだ箇所を探す。

 この本は『旧約魔導学きゅうやくまどうがく』という魔法技術の歴史と基本的な魔法の理論について書いてある書物だ。魔法という存在があるというのは非常に興味をそそられる。

 旧約魔導学によると、今現在の魔法は昔の物と違い多くの人間が使えるように簡易化されたものらしい。


「へぇー、やっぱ面白いなぁ」


 そもそも魔法という存在をちゃんと知ったのは最近なのだが、この世界の魔法はどうやら思い描いてたものとは少し違うようだ。

 魔法の発動には『制約』があり、魔法の力が及ぶのは使用者自身の体か直接触っている物体。そして離れた場所にある魔力を持たない物質のみに魔法の効果を発動させることが可能だとか。

 今から読む箇所は魔法の構築理論に関するもののようだ。


『現代魔法の理論は、平句ひらく割句かつく廻句かいくの三句の組み合わせと形状や形態の指定から成っているが、過去にはより複雑な式を用いられていたと思われ――』


 読み進めていくと過去は今よりも高い難度を誇っていた技術だとわかる。

 しかし、魔法に関する知識を全く持たない僕が読んでもそれ以上の事はさっぱり分からないままだ。気を取り直して次のページを捲る。


『五百年前に勇者が使用した火炎魔法と現代で一般的な火元素魔法の違い――』


 僕は目を見張りもう一度同じ行に目を通す。やっぱり間違いない、ついに見つけた。


「やっと見つけたぞ…… やっぱり勇者は実在したんだ!」


 僕は逸る気持ちを抑えながら次へと読み進める。


『魔王との決戦時に勇者が放ったとされる火炎魔法は、半径数十メートル以上の範囲で岩石をも融解させる力を有したと考えられる。この威力は現代魔法では絶対に成しえない考えられており――』


 この本の内容が本当だとすれば一人の人間がここまでの岩場を溶かすような威力の武力を持つと言う事になり、これはとんでもない事だろう。

 そんなに強力な力を持つ勇者が苦戦をするような相手が魔王だとすると、本当に世界の危機だったに違いない。

 

「いや、もしかすると今こそ世界の危機かもしれないんだよなぁ……」


 そう考え、思わず身震いをしながらページをめくる。


『現在の三句制御のみの魔法で実現できないのなら、新たな魔法体系を確立していく事が今後いずれ発生、もしくは復活すると思われる魔王への唯一の対抗策だと言えよう――』


 この本が書かれた時にはまだ魔王は復活していなかったのだろうか。

 しかし、これは魔法の勉強もしっかりと取り組んだほうがよさそうだ。それがこの国のどこかに居ると言われる勇者と接触するきっかけにもなるかもしれないからだ。


「三句制御、確か平句、割句、廻句の三句が基本…… だったかな」


 その言葉を口にした瞬間、まるで白昼夢かの様に記憶がフラッシュバックした。もう戻ることはできぬ遠く懐かしい記憶だ。


『……それでは錦戸にしきど君、プログラミングに必要な三つの処理ってなんでしょう』

『あぁ、順次、分岐、反復でしたっけ。それぞれ上から下に流れる単純な処理、条件に応じて処理を分ける処理、繰り返しを行う処理で――』


「順次、分岐、反復…… まさかっ!?」


 その時、ガチャっと扉が開く音が聞こえ、後ろを振り向くとびっくりとした表情の父が立っていた。

 本を読むのに集中しすぎて家に戻ってきた事に気付かなかったようだ。忘れ物でも取りに戻ってきたのだろうか。


「こんな所で何をしているんだ、トモキ」


 いつも笑顔で話しかける父が珍しく真顔でそう問いかけてきた。いつも笑顔だからこそ、こういった時に圧があって反射的に逃げたい気持ちに襲われる。


「そ、それは、本が読みたくて……」


 僕が素直にそう伝えると、父はいつもの笑顔に戻り戸棚の中を漁り始める。


「ガッハハ! 俺に似て本を読むのが好きなんだな。だがなぁ一人でこんな高いところにある本を取ったら危ないからな、次からはパパかママに取ってもらうんだぞ」


 そしてお目当ての物を見つけたのか、何やらポケットに突っ込むとこちらを振り向く。


「そういえばトモキは魔法に興味があるのか?」


 父は僕が持ってる本に目を向けながらそう言った。


「えっと、うん。魔法の勉強がしてみたいんだ」


 そう伝えると、父は屈んで僕の髪を嬉しそうにわしゃわしゃと撫でた。


「それならトモキ、今度ママと一緒にパパが働いてる図書館に来るといいぞ。この部屋よりずっと多くの本があるんだ」


「お父さんの? いいの?」

「いいに決まってるだろ! 魔法のことを勉強して、俺の跡を継いで貰わねぇとな!」


 父が働いている図書館では、国の重要な書物も取り扱っていると聞いている。魔法だけじゃなく、魔王や勇者の事も知ることができるかもしれない。こんなに有難い話はないだろう。

 僕は今度こそ父を見送り、旧約魔導学の続きを読み始めた。


 ◇


 それから3日後の午後、僕は母に連れられて王立魔導図書館を訪れている……のだが、あまりの大きさに口が開いてしまった。

 高さは元居た世界のビルに近しいほどの高さがある円柱型の塔で、ピサの斜塔を彷彿とさせる外観だ。いつの時代も世界も建築士の人は凄いものだと感心する。


「それじゃトモキ、行きましょうか」


 母は僕の手を引きながら少し前を歩いて門をくぐり、図書館の敷地に入る。そして入口に二人、剣を構えた警備員に引き留められる。


「失礼、ご婦人。王国の許可なく当図書館は入館できません、入館証等はお持ちでしょうか」


 警備員のうちのひとりが母に近寄り問いかける。王立と言うくらいだ、かなり厳重な警備がなされているのだろう。


「オズワルド・ツワブキの妻、モニカ・ツワブキです。旦那から何か聞いていませんか?」

「館長の奥様でいらっしゃいましたか! 大変失礼しました、少々こちらでお待ちください」


 片方の警備員が小走りで建物の中に入っていく。もしかして父は許可を取り忘れていたのだろうか。

 しばらくして、警備員と共に父が談笑しながら図書館の入り口から出てきた。


「トモキ、よく来たじゃねぇか!」


 普段は見かけない仕事着を来た父が僕の前に姿を表す。

 改めて父がこの巨大な図書館を管理する『館長』であることが少し誇りに思える。


「よし、モニカ中に入ろう。君たちもありがとう、警備に戻ってくれ」

「行くわよトモキ。お父さんに図書館を案内してもらいましょ!」


 僕は母に手を握られ、期待を胸に弾ませながら図書館の中へと入っていった。


 ◇


 図書館の1階部分は上階へと続く大きな螺旋階段と数人が本を読む事ができるスペース。そしていくつかの小部屋があり、そこを研究員の様な人が出入りしている。

 僕はこの図書館の事を詳しく聞くために、母の隣を歩いていた父に話しかける。


「お父さん、この図書館はどんな本が置いてあるの?」

「お、トモキは図書館に興味津々みたいだな! 流石は俺の跡を継ぐ息子だ!」


 館長には相応しくなさそうな笑い声を出した父は話を続ける。しかし一応は図書館だと言うのにこんなに大きな声で笑っていいものなのか、思わず苦笑いしてしまった。


「ここはな、魔法に関する本が沢山置いてあるんだ。『人間族の歴史』は、魔法の歴史と言ってもいいくらい魔法と密接な関係にあるんだ。まぁトモキには少し難しいかもしれんがな」


 そう優しく答える父に僕は続けて質問をする。


「本を持って帰ってもいいの?」

「いや、それは駄目だ。一般開放されてる別館の本は別だが、本館であるここの書物は俺の権限でも持ち帰ることはできない。ごめんな」


 僕は少し肩を落とした。たくさん持ち帰って本を読めでもすれば、家で独学する時の手伝いにもなっただろうに。

 これだけ厳重な図書館ともなると、一般人が立ち入れるのはさっき言っていた別館くらいなのだろう。


「普通の人は入れないの?」

「そうだ。普通の人は別館にある書物しか読むことはできない。ここ本館はそもそも国の機関に申請して許可を貰わないと入れないんだ」


 少し険しい顔をしながら説明していた父だが、再び笑みを浮かべこう付け足した。


「……っと、難しい言葉いっぱい使っちゃったけど分かったか?」

「うん! 詳しく教えてくれてありがとう!」


 笑顔でそう答えると、再び頭をワシワシと撫でてくる。


「トモキは賢いなぁ! 重畳、重畳! ガッハッハ!」


 精神年齢は殆ど変わらないであろう父に人前で頭を撫でられると羞恥心で心臓がむず痒いような気持になる。


「それじゃあ俺は仕事に戻るから、トモキのことは任せた。何かあれば司書に頼む」


 父は母のほうを向き、そう伝える。


「分かったわ、今日は何時くらいに帰るのかしら? 早めに帰れるのならご飯も早めにするわよ?」

「今日は日が暮れるまでには帰れると思う、夕飯はモニカのスペッシャルな手料理を頼む!」

「はいはい、あなたが帰るまでには準備しておきますから。お仕事、頑張ってくださいね」


 父は満足そうにうなずくと、今度こそ複数の側近を連れ、共に図書館の奥へと姿を消して行ってしまった。

 ひとまず僕は母と共に興味を惹かれる本を探すことにした。



 図書館の一階には魔法の応用についての本がズラリと並べられており、魔法に関して何も知らない僕が読んでも仕方ない。まずは、魔法について知らなければならない。


 円型状の図書館を一周ぐるっと見渡すと階段のすぐ近くの本棚にある本に目が行く。どうやらここの棚は魔法の基本について記されている書物が多いようだ。

 その棚にある丁度真ん中あたりにあった『魔法原書』という本に興味を惹かれる。


「お母さん、あの本が読みたい!」


 自分の身長では届かないもどかしさを感じながら母を呼ぶと、その本を棚から持ち出し僕に手渡した。


「はいどうぞ。あっちのテーブルで読もっか」

「うん! ありがとう!」


 元気よく返事を返し、本を読むためであろうスペースへと向かった。


「トモキにはちょっと難しいかもだし。お母さんが分からないところは教えるわね」


 母はそう言って、最初の1ページを開いた。

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