第4話

 夜が更け、日付が変わる。


 メリアの処刑日が、最後の牢番の夜が、訪れる。


「じゃ、最後のお勤め頑張れよ」

「結局寝てばっかだった、あんたの言う台詞じゃねぇな」


 そんな軽口を最後に、グランと牢番を交代した兵士が牢部屋から出ていく。

 階段を上がる音が聞こえなくなったところで、グランは玄関広間エントランスにある事務手続き用の机を鉄扉の前に置くことで申し訳程度に出入り口を塞いだ。


 メリアの処刑時刻は正午だが、いつ、どのタイミングで彼女を牢部屋から連れ出すのかは、牢番であるグランも聞かされていない。

 常識的に考えれば処刑時刻の一~二時間前くらいになるだろうが、万が一にも夜中に連れ出しに来た場合に備えて出入り口を塞いだ次第だった。

 

 腹拵えのために持って来たパンを食べた後、グランは装備の再確認を行ない、メリアには明日に備えて眠ってもらうことにする。


 武器となる物は、全兵士に支給され、今も腰に吊り下げている長剣。

 チェスやカードとは別に、兵士の間では賭け事の定番になっている、樽を的にする遊戯に使われる手投げ矢ダート

 この二つのみ。


 ベルトを改造して、複数のダートを携帯できるようにはしているものの、それでも数は一二本程度。

 下手をすると一〇〇人以上の兵士と戦う可能性すらあることを考えると、心許ない数だった。


(槍が用意できりゃ良かったんだがな……)


 リーチの長さが活きて、なおかつ剣を振るえないほどに狭い、玄関広間に続く一本道の廊下を見やりながら嘆息する。


 この皇城において、槍を持って警備についているのは屋外の兵士のみ。

 服の下に隠せるダートならいざ知らず、槍なんて持って牢番につこうものなら、階段前を見張っている皇帝派の兵士に呼び止められるのは必至だろう。


(用意したかったといやぁ、鎖帷子くさりかたびらもそうだが……)


 思った以上に着膨れしてしまう上に、動く度に鎖がシャリシャリと鳴ってしまうため、こちらに関しても、装着して牢番につこうものなら階段前の兵士に呼び止められるのは必至だろう。


(使えそうな物があったら、倒した兵士から拝借することも考えておいた方がよさそうだな、こりゃ)


 賭け事は好きだが、つくづく分の悪い賭けに出たものだと我が事ながら呆れる。

 ケインにも言ったとおり、籠城策については、グランの中では確かに勝算はあるが、あくまでもあるというだけで高いわけではない。


 分が悪いとわかっていてなお賭けに出た理由を探していると、ふと牢番の交代に来ないように頼んだ兵士に言われた、ある言葉を思い出す。



『テメェまさか……惚れたのか?』



 いくらメリアが、頭に「絶世」がついても過言ではない美少女だといっても、たかだか一週間程度くっちゃべっただけの一五歳のガキに、自分が惚れてしまったとは思いたくなかった。

 思いたくなかったが、これからする無茶を考えると、そうとしか思えないのもまた事実で。


(……いやいやいや。ないないない。そもそも俺の好みは、もっとこう大人の色香がある

女であってだな……)


 などと、ひどく既視感のある言い訳をしていたその時、



「グランさん……」



 眠っていたはずのメリアから声をかけられ、意味もなくビクリとしてしまう。

 体と同じくらいに吃驚している心をどうにか鎮めながら、牢の隅で毛布にくるまり、横になっているメリアを見やる。


「どうした?」

「その……眠れなくて……」


 そりゃそうだよな――と、グランは思う。

 夜が明け、太陽が最も高い位置まで昇るまでの半日足らずの間に、己の生死が決まる。

 そんな状況でグースカ眠れる人間は、そう多くない。


「それでも寝とけ。少しでも英気を養っておかねぇと、ここぞというところで踏ん張りが利かなくなるからな」

「それを言うなら、グランさんだって……」

「俺は牢部屋ここに来る前に寝てきたからな。それに、いつ連中があんたをお迎えに来るかわからない以上、二人とも寝ちまうってわけにもいかねぇ。だから、あんただけでも寝てろ」

「そう言われましても、妙に目が冴えてしまっているせいで、眠気が全然――……」


 何か思いついたのか、メリアは言葉を切り、数瞬考え込んだ後、モジモジしながらこんなことを訊ねてくる。


「あくまでも、こうしたら眠れるかもって話ですが……一つ、グランさんにお願いしてもいいですか?」


 そうして、お願いどおりにした結果がだった。


「んだよ、これ」


 つい、思ったことをそのまま口に出してしまう。


 メリアのお願いは、鉄格子越しで、背中合わせに座ってほしいという珍妙なものだった。

 いったいこれのどこに、眠りを誘う要素があるのかさっぱりわからなかった。


「あ、グランさんも被ります?」


 なぜか妙に楽しげな声音で、鉄格子の隙間から毛布を延ばしてくる。


「一人で包まってろ。そもそも一つの毛布を、鉄格子挟んだ状態で無理矢理二人で包まってたら、いざってぇ時に動きづらいだろうが」

「それは……そのとおりですけど……」


 悄然とした声音が、背後から聞こえてくる。

 まさかヘコまれるとは思わなかったグランは、正直勘弁してほしいと心の底から思った。


「つうか、こんなんでマジで眠れんのかよ?」

「あくまでも『おそらくは』ですが。この帝国において、私の味方だと言い切れる方はグランさんだけですし……グランさんとの距離が近い方が……その……私としても……安心できますし……」


 後半の言葉は、いやにしどろもどろしていたことは、さておき。

 唯一の味方が近くにいた方が安心して眠ることができると解釈したグランは、「しゃあねぇな」と言いながらも、このまま付き合ってあげることにした。


「……グランさん」

「んだよ?」

「仮にの話ですが、全てが上手くいって、私もグランさんも生き残れた後、グランさんはどうするつもりなんですか?」

「どうするって……」


 よくよく考えたら、メリアを助け、今の帝国をぶっ潰した後の身の振り方は全く考えていなかったことに気づく。


「ダメですよ。ちゃんと未来あとのことを考えておかないと。ここぞというところで踏ん張りが利かなくなりますから」


 先の意趣返しと言わんばかりの正論に、グランはバツが悪そうに口ごもる。

 

「……本当に、何も考えてなかったですか?」

「……まぁな。ぶっちゃけ、目の前のことしか考えてなかった」


 背後から、わざとらしいため息が聞こえてくる。

 続けて、なぜか、妙に嬉しげな声音で、こんなことを提案してきた。


「だったら仕方ありませんね。全てが終わったら、グランさんには私と一緒にエルルカ聖教国に来てもらいましょう」

「なんでそうなる?」


 思わず、真顔をかえしてしまう。

 エルルカ聖教国とは大陸随一の宗教国家で、神の御使みつかいとも呼ばれている聖女は、代々この国の預かりとなっている。

 その聖教国に一緒に来いと言っているのだ、メリアは。


「だって……もともと私、生き残る予定なんてなかったんですから……。勝手に無茶して、勝手に処刑されそうになっただなんて教皇様が知ったら、私……絶対に大目玉を食らいます……」

「まさかとぁ思うが、一緒に怒られろとか言うつもりじゃねぇだろうな?」

「言うつもりです」

「即答しやがった」


 思わず、ため息をついてしまう。

 内心で、全てが終わった後もメリアと一緒にいられることを、ちょっとでも喜んでしまったことを不覚に思いながら。


「どうせ、後のことは何も考えてなかったしな……わぁったよ。一緒に怒られてやるよ」

「本当ですか!?」

「本当だ。まぁ、ここぞというところで踏ん張りが利くような未来はなしでもねぇけどな」

「それは……そのとおりですけど……」


 先程と同じように悄然とした声音で、同じ言葉を返してくる。

 しかし先程とは違って、悄然としている割りには、声音にはどこか嬉しげな響きも入り混じっていた。


(にしても、怒られるのが恐いって。最初に会った時の毅然としているというか、堅物というか……とにかく今やすっかり見る影もねぇな。まぁ、年齢としを考えたら、死ぬ覚悟が決まりまくりの如何にも聖女然としているよりも、年長者に怒られることにビビったり、甘い物の誘惑に負けたりしてる方が健全っちゃ健全だけどな)


 そんなことを考えながらも、再びため息をつくグランだった。




 ◆ ◆ ◆




(背中合わせにしててよかったぁ……)


 緩みきった頬を両手でムニムニしながらも、メリアは心の中で安堵する。

 この数時間後には、自分もグランも生死を賭けた戦いに臨むというのに、心の奥底から湧き出てくる幸せいっぱいな気持ちが抑えられない。


 だって、二人揃って無事にこの危機を乗り切ることができたら、引き続きグランさんと一緒にいられるのだから。


 だって、私にとってそれは、間違いなくここぞというところで踏ん張りが利く、嬉しい未来はなしだから。


 だって、私は、間違いなく、グランさんのことが好きだから。


(恋にとは、よく聞きますけど……)


 自分の場合、まさしく落ちるような速度だったとメリアは思う。


 思い返すだけで恥ずかしい話だが、最初はただ甘い物に釣られただけだった。

 それだけで「この人は敵ではない」と認定してしまったことも、思い返すだけで恥ずかしい話だった。


 けれど、グランのことを好きになったのは、それだけではなかった。


 自他ともに認める不良兵士というだけあって、言動は粗野だし、不真面目だし、イジワルなところもある。

 けれど、不良兵士というレッテルでは隠しきれない優しさが、フラフラしているように見えてその実、一本筋が通った芯の強さが、どうしようもないほどにメリアの心を惹きつけた。


(おまけに、私を助けるために、こんな無茶までしてくれるなんて……)


 胸が高鳴らないわけがなかった。

 好きにならないわけがなかった。


(だけど……だからこそ、ですね)


 もし、全てが失敗に終わってしまったとしても。


 私の首がギロチンにかけられることになったとしても。


 グランさんだけは生き延びてほしいと。


 心の底から思った。


 心の底から願った。


(だから、ちゃんと寝て、ちゃんとグランさんの力にならないと……)


 そんなことを考えていたせいか。

 大好きなグランと背中合わせになっているせいか。

 当人も気づかないうちに、メリアは深い眠りの底へと落ちていった。




 ◇ ◇ ◇




 朝の九時――それは、本来ならば別の兵士と牢番を交代する時間だった。

 その時間に、グランは朝食用に懐に忍ばせていたパンを、メリアと一緒に頬張っていた。


 ちなみに、日に一度メリアに支給される麦粥の時間は正午になっている。

 グランが食べ物を忍ばせていなければ、昨日の昼に食べた麦粥がこの牢部屋における最後の食事になっていたことには、いくら皇帝を殺した大罪人とはいえ、あんまりな扱いだとグランは思う。


 パンを食べ終え、満足げな吐息をついたメリアは、気持ち緊張した面持ちで訊ねてくる。


「私のお迎えは、いつくらいに来ると思います?」

「希望的観測を言やぁ、処刑時刻の三〇分前。普通に考えたら一~二時間前ってところだが……俺と牢番を交代するはずだった野郎には来んなっってるからな。そのことを怪しまれてた場合は、今すぐって可能性も充分あり得る」

「それって、いつ来てもおかしくないってことじゃないですか!?」

「そうとも言――」



 ガタンッ。



 玄関広間の方から物音が聞こえ、グランは口をつぐみ、メリアの表情が強張こわばる。


「メリア。念のため、牢の隅で身を潜めてろ」


 首肯を返すと、言われたとおりに牢の隅へ移動する。


 玄関広間と牢部屋の間には長く狭い廊下があるとはいえ、戦闘が始まったら武器にしろ魔法にしろ、何が飛んでくるかわかったものではない。

 それゆえの指示だった。


(それに、メリアには極力殺し合いなんて見せたくねぇしな)


 戦闘が始まったら、どうせすぐにそんな甘いことは言っていられない状況になるのはわかっている。

 それでも、少しでも、血が流れるところをメリアに見せたくないという気持ちを、抑えることができなかった。


 グランが立ち上がったところで、再び玄関広間の方から、ガタンッ、ガタンッという物音と、「クソッ、なんで開かないんだ!?」という男の声が聞こえてくる。

 廊下を進みながら出入り口となる鉄扉を見やると、ただでさえ重い扉が机で塞がれているせいで、開けるのに四苦八苦している様子が見て取れた。


 玄関広間に辿り着いたところで、グランは懐から空の酒瓶を取り出し、酔っ払いを装いながらも鉄扉の向こう側にいる兵士に話しかける。


「あんれ~? どうしたんすか~? 鍵はちゃんと開いてるっすよ~。まぁ、なんか目の前に机がぶっ倒れちまってるっすけどね~」


 そう言って、ゲラゲラ笑う。

 グランの様子を訝しんだのか、向こう側にいる兵士が、わずかに開いた鉄扉の隙間からこちらの様子を覗き込み……怒声をあげた。


「貴様! その手に持っているのはなんだ!」

「あぁ? これっすか~? ちょいと良いウイスキーが手に入りましたね~。おたくも一杯どうっす?」

「クソが! だからこんなクズに牢番をやらせるのは反対だったんだよ!」


 怒り狂う兵士をゲラゲラと笑いながらも、頭の中では冷静に状況を分析する。


(キレてるのは一人だけ。他に誰かいる感じでもねぇ。つうことは、階段を見張ってる兵士の片割れが、牢番の交代が来ないことを怪しく思って様子を見に来たといったところか。それなら……)


 対応を即決したグランは、依然酔っ払ったフリをしながらも、鉄扉の向こう側にいる兵士に言う。


「そんなに怒らなくもていいじゃないすか~。今、机どかせるんで~」

「さっさとしろ……!」

「はいは~い」


 ふざけた返事をかえしながらも、言ったとおりに鉄扉の前に置いていた机をどかす。


「いいっすよ~」


 と伝えると、兵士は舌打ちを漏らしながらも鉄扉を開き、中に入ってくる。


 次の瞬間、


 グランは酒瓶を手放すと同時に鞘から剣を抜き、油断しきっていた兵士の喉を刺し貫いた。


「……っ!?」


 兵士は血泡を吐きながらその場でくずおれ、ほどなくして絶命する。

 兵士の死体を引きずり、玄関広間の入口側の壁際の隅に移動させた後、鉄扉を閉めて机を置き、再び出入り口を塞ぐ。


 机と一緒に兵士の死体を置くことで、より扉を開けにくくすることも考えたが、今のように相手の油断を誘う場合、死体が目についてしまっては元も子もないので、入口からは死角となる位置に移動させた次第だった。


(現状は、今みてぇにチマチマと兵士の相手をしていく感じでいいだろ。時間も稼げるしな)


 レジスタンスを皇城に攻め入らせるには、兵士の数を減らすことが肝要だが、それ以上に皇城内を混乱させることが肝要だ。

 皇帝派の連中が、グランが聖女メリアとともに籠城していることに気づくのが遅ければ遅いほど、気づくタイミングが処刑時刻の正午に近ければ近いほど、連中の動揺を誘うことができる。

 そうなれば、兵士の数を減らす以上の隙が城内に生じる。


 その機を見逃すレジスタンスではなく、上手くその流れに持ち込むことができれば、グランとメリアの負担が格段に軽くなる。

 ひいては、二人揃って生き残る可能性が高くなる。


(階段の見張りについてる兵士の数は二人。つうことは、相方がなかなか戻ってこないことが気になったもう一人が、ぼちぼちやって来るかもしれねぇな)


 そんなことを考えながらも、先程手放した際に床に落ちてヒビが入ってしまった酒瓶を拾い上げる。

 酔っ払い演技の小道具としてはまだ使えるので、懐に戻そうとしたその時、入口の鉄扉がガタンッと音を立てた。

 予測どおり、もう一人の見張りが様子を見に来たようだ。


 即座に頭を切り替えたグランは、酔っ払うフリをしながらも、先程と同じ台詞を鉄扉の向こう側にいる兵士に投げかける。


「あんれ~? どうしたんすか~? 鍵はちゃんと開いてるっすよ~。まぁ、なんか目の前に机がぶっ倒れちまってるっすけどね~」


 そうして先程と同じように油断を誘い、玄関広間の中に引き込み、剣で喉を刺し貫くことで声を上げるいとますら与えずに仕留める。

 死体を入口からは死角になる位置に移動させた後、グランは一度メリアのもとに戻ろうと廊下へ向かい……唐突に、その手前で立ち止まった。


 今自分は、人を殺した。

 その行為が仕方のないということは、メリアも頭ではわかっているだろうが、生来の気性ゆえか、人命救済を使命とする聖女ゆえか、心では受け入れがたいものがあるはず。

 事実、グランが自分の命を盾にすることで無理矢理納得させたというだけで、メリアは人死にが大勢出ることを良しとはしていない。


(……今戻ったらまず間違いなく、兵士を殺したかどうかって話になるよな)


 正直に答えた結果、メリアの士気が下がってしまうなんて事態は、さすがに避けたい。


(まぁ、敵が大勢押しかけてきたら、そんなことを考えている余裕もなくなるだろうし、今メリアのとこに行って変に意識させるよりは、このまま緊張感を緩めることなく待ち構えていた方がいいわな)


 ゆえにグランは踵を返し、二体の死体と仲良く、お迎えの兵士が来るのを待つことにする。


 そこからは、ただただ時間が過ぎていった。

 五分おきくらいに懐中時計で時刻を確認していたせいか、体感的な時の歩みは亀の歩み寄りも遅かった。


 そうして三〇分の時が過ぎようとしたところで、鉄扉の向こう側から複数の足音が聞こえてくる。


(来たか……!)


 ここから先は、本格的な戦闘が発生する可能性が高い。

 ゆえに、あらかじめ取り決めていた祝福の奇跡の使用を催促する合言葉を、酔っ払っているフリをしながら大声でメリアに伝えた。


「なんだなんだぁ? ?」


 直後、グランの足元から青白い光が噴き上がり、身体能力強化と魔法耐性を付与する祝福の奇跡が施される。

 

(にしても、メリアの位置からじゃ俺の姿なんて見えねぇのに、よくもまぁ正確に奇跡を施せるもんだな)


 メリア曰く、聖女に選ばれて以降、人間がその身に宿している生気を感じ取れるようになったらしく、その生気を目印にすることで、多少離れていようが姿が見えなかろうが、聖女の奇跡を施すことができるとのことだった。


 もっとも、奇跡を施せる範囲と生気を感じ取れる範囲は全くの同じ、牢部屋から玄関広間の三分の二程度をカバーできる程度なので、戦闘になった際はその範囲からは出ないよう気をつける必要があるが。


 そうこうしている内に、机で塞がれた鉄扉がガタッと音を立てる。


「おい……」

「ああ。やはり、そういうことらしいな」


 意味深な会話が、鉄扉の向こう側から聞こえてくる。

 気になったグランが、聞き耳を立てるために鉄扉に近づいた、その時。



「離れてグランさんっ!!」



 悲鳴じみたメリアの声が聞こえたのも束の間、耳をつんざく爆音とともに、鉄扉と机が吹っ飛ぶ。

 メリアの声を聞いてすぐさま飛び離れていたグランは、派手に吹っ飛んだ鉄扉と机には巻き込まれずに済んだ。が、それらを吹き飛ばした大元となる爆風によって、背中から壁に叩きつけられてしまう。

 その痛みに顔をしかめながらも、グランは毒づく。


「い、まの……は、爆発系の魔法!? こんな地下で使うなんて正気かよ!?」



「正気を疑いたいのは、こちらの方だ」



 冷ややかな声とともに現れたのは、黒いローブを身に纏った男の魔導師だった。

 彼に続いて、鉄扉がなくなった出入り口からぞろぞろと兵士が入り込んでくる。

 とはいえ、玄関広間は決して広くはないので、入ってきたのは五人程度だった。


「不良兵士だとは聞いていたが、まさか聖女に与するとはな」

「皇帝陛下を殺したクズにほだされたか?」

「いや、こいつのことだ。誰もいないからって、聖女相手にやましいことをしていたのかもしれない」

「聖女に体を売らせたってか?」

「まあ、コイツならあり得るだろ」


 好き勝手言いながらも、兵士たちは腰に下げていた剣を抜き、壁を背に尻餅をついているグランに切っ先を向ける。

 魔導師も、その手に持っていた杖の先端を向けてくる。


「あの女は人命救済を使命とする聖女でありながら、我らが皇帝陛下を殺めた大罪人。何をトチ狂って断罪の邪魔をしているのかは知らないが……」


 杖の先端に、炎が具象する。


「あの世で、馬鹿な真似をした己の愚かさを悔いるがいい」


 言い終わると同時に、グランに向かって火炎を浴びせた。

 が相手ならば、これで全てが終わっていたところだが、


「やらせるかよ!」


 グランは左手を勢いよく真横に薙ぐことで、火炎を振り払う。


「なんだとッ!?」


 素手で魔法を振り払われるとは思っていなかったのか、魔導師が狼狽を吐き出す。

 その隙を見逃さなかったグランは、立ち上がると同時に剣を抜き、勢いをそのままに魔導師の首を刎ね飛ばした。


 油断しきっていた五人の兵士は慌てて剣を構え直そうとするも時すでに遅く、瞬く間にグランに斬り捨てられ、床に血溜まりをつくりながらも倒れ伏した。


「弱い魔法なら素手で振り払えるくらいの耐性が付くって、メリアは言ってたが……出鱈目でたらめにも程があんだろ」


 先程火炎を振り払った左手を見つめながら、感心の吐息をつく。


 出鱈目と言えば、身体能力強化の恩恵も大概だった。

 ケインも言っていたことだが、皇帝暗殺の実行部隊に選ばれるだけあって、グランは相応に腕が立つ。

 だがそれでも、油断していたとはいえ、五人の兵士を瞬殺できるほどの腕はない。

 ひとえに、祝福の奇跡によって身体能力を強化されたおかげ――


「……ッ」


 突然、グランは身を捻る。

 ほぼ同時に、斬り捨てたはずの兵士の一人が立ち上がりざまに刺突を放ち、グランの脇腹を抉った。


「こいつ……!」


 激痛に顔を歪めながらも、刺突直後の隙を突いて、兵士の首を刎ね飛ばす。


「クッソ……! 相手の油断を突けたからって、てめぇで油断してたら世話ねぇぞ……!」


 自身の甘さを悔やんでいたその時、何の前触れもなく具象した青白い光が、刺し抉られた脇腹を包み込む。

 そのわずか数秒後、脇腹の傷が完全に塞がり、嘘のように痛みが消えたことに目を丸くした。


 重傷を負ったことで生気に異常が生じたのか、向こうからは見えないのにグランが傷を負ったことを把握したメリアが、治癒の奇跡を施してくれたのだ。


「サンキュな! メリア!」

「やるべきことをやっただけです! それより、血はあまり流し過ぎないようにしてください! いくら治癒の奇跡でも、失った血はどうにもできませんから!」

「りょ~かい!」


 距離が離れているゆえに大声でやり取りした後、グランは確かな手応えとともに剣を持たない左手を握り締める。


「聖女の奇跡の力が、ここまでとぁな。これなら、マジでいけるかもしれねぇ」


 そうこうしている間にも、鉄扉がなくなった入口から、大勢の人間が階段を下りてくる音が聞こえてくる。


 戦いはまだ、始まったばかりだ。

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