第3話

 メリアの処刑まで、あと二日の昼――



 グランは昨日に引き続き、倉庫でケインと会っていた。


「聖女を助けた上で、大臣どもも殺す策があるだと……!?」


 皇帝派の人間に聞かれないよう、例によって声を殺しながらもケインは吃驚する。


「ああ。上手くいきゃ、相当な数の兵士を俺と聖女様だけで引きつけることができるし、城内も混乱させることができるはずだ」

「まさかとは思うが、お前が聖女を連れて逃げることで、追跡の人員を割かせるとか言うんじゃないだろうな? 言っとくが、その程度じゃ聖女の首が刎ねられた騒ぎに乗じる以上の効果は見込めないぞ」

「さすがに、んな凡策で幹部連中を納得させられるなんて思っちゃいねぇよ。そもそも、無駄に長い一本道の廊下と階段があるわ、そこしか脱出経路がないわ、その出口は皇帝派の兵士に押さえられてるわ、牢の鍵を大臣の誰かが保管してるせいで牢から聖女様を出すことができねぇわで、脱走すること自体が不可能だしな」


 肩をすくめるグランに、ケインは訊ねる。


「だったら、どうするつもりだ?」

「それなんだがな……ちょいと耳貸せよ」


 万が一にも余人の耳に入らないよう、グランは自分の考えた策をケインに耳打ちする。

 全てを聞き終えた彼の表情は、わかりやすいほどに難色を示していた。


「グラン……お前正気か?」

「正気も正気だ」


 即答するグランに、ケインは片手で頭を抱えながらもかぶりを振る。


「実行部隊に選ばれているだけあって、お前の腕が立つことは知っている。その上で言わせてもらうが、お前の策は無理がありすぎる。仮に聖女の協力を取りつけられたとしても、お前一人でわけがない」

「そうでもねぇよ。聖女様の奇跡は攻撃的な力がろくにねぇ代わりに援護に特化してるし、治癒の奇跡に至っちゃ致命傷でも完治させちまうくらいにすげぇ代物だからな。俺が折れるか、聖女様の魔力が底をつかない限りは、いつまでも自信はあるぜ」

「だとしてもだ、聖女の処刑を利用するプランを変更させるほどの支持を得るのは、はっきり言って厳しいぞ」

「ああ。俺もそう思う」


 あっさりと肯定されるとは思ってなかったのか、目を丸くするケインをよそにグランは言葉をつぐ。


「だから俺が失敗した場合は、そのままそっちのプランを進めてくれて構わないと、幹部連中に伝えてくれ」

「……なるほどな。お前の策の失敗によって、もともとのプランに与える影響が軽微だと判断されれば、支持を得られるかもしれないな」


 得心がいったのか、ケインは一つ頷く。


「わかった。早速持ち帰って幹部たちにかけ合ってみよう。昨日も言ったが、オレも聖女を見捨てることには反対だからな。お前の策が通るよう、できる限りの手は尽くそう」

「恩に着るぜ、ケイン。ただ……」

「わかっている。聖女の処刑日は明後日だからな。遅くとも、明日のこの時間までには幹部たちの決定をお前に伝える」

「ああ。頼む」




 日付が変わり、グランが牢番の職務につく夜。

 つまりは、メリアの処刑を明日に控えた夜――




「メリア。実は俺な、帝国をぶっ潰そうとしているレジスタンスの一員なんだわ」


 唐突すぎるグランの告白に、メリアの口から「はい?」と呆けた声が漏れる。


「だから俺、レジスタンスの一員なんだよ」


 二度言い聞かせてもまだ受け入れきれなかったのか、メリアは三〇秒ほど呆然としてから素っ頓狂な声を上げた。


「いくらなんでも唐突すぎません!?」

「第一声がそれかよ」


 カラカラと笑うグランに、不服そうな顔をしながらもメリアは訊ねる。


「けど本当に、どうして今になって打ち明けてくれたんですか?」

幹部うえの連中から、あんたに俺がレジスタンスだということを教えていいって許可を、ようやく取りつけることができたからだよ」


 しれっと嘘をつく、グラン。

 レジスタンスの幹部たちがグランの策を承諾しなかった場合、レジスタンスの存在をメリアに教えるのは、まず間違いなく許されないだろう。


 しかし、グランの策を成功させるにはメリアの協力が必要不可欠であり、ケインの返事を待っていては策の準備もままならないため、独断でレジスタンスであることを打ち明けた次第だった。


(それに、昨日の様子を見る限り、希望を見せてやらねぇとメリアの心がもたなさそうだしな)


 ゆえにここでも、自分の策が承諾されるのを前提で、しれっと希望うそを伝えることにする。


「そんでもって、許可が下りたことには理由がある。皇帝を殺した聖女様を救出する算段がついたっていう理由がな」

「……ぇ?」


 消え入るような声が、メリアの口から漏れる。


「助かるんですか……? 私……?」

「ああ。そのためには、あんたにも頑張ってもらわなきゃ――って、おいおい」


 グランは、バツが悪そうな顔をしながらも頭を掻く。

 メリアの目尻から、ポロポロと涙が零れて落ちていくのを目の当たりにしたがゆえに。


「……え? あれ? なんで……?」


 泣いている理由が自分でもわからないのか、メリアは目を白黒させながらも涙を拭う。

 しゃあねぇな――と思いながらも、鉄格子の隙間から手を伸ばし、彼女を頭を優しく撫で回した。


「そんだけ無理してたってことだろ。大陸諸国を手玉にとる皇帝を殺しただけでも大概だってのに、そのせいでギロチン刑にかけられるだなんて、いくら聖女様でも、しんどすぎるってもんだろ」

「そんなことは……ありますけど……」


 涙を拭い続けながらも、後半の言葉を小さくして肯定するメリアに苦笑する。


「つうか、んなタラタラ泣いてないで、思いっきり声を上げて泣いとけよ。そうした方が絶対にスッキリすると思うぜ?」

「……しません。これでも……聖女ですから……」


 敵地で眠るのを拒んでいた時もそうだったが、変なところで強情なメリアに、グランは苦笑を深めた。


(そんなこと言う割りには、俺が頭を撫でくり回すの、やめろとは言わねぇのな)


 とは思いながらも、口にしたらしたでまた変な強情さを発揮しそうなので、今思ったことは心の内に留めることにする。


 それからしばらくの間、グランはメリアの頭を撫で回し。


 メリアは目尻から零れる涙を拭い続ける。


 やがて涙が止まったところで、


「もう、大丈夫です」


 メリアは少し恥ずかしそうな顔をしながらも、頭を撫でていたグランの手をどかした。

 そのせいか、それとも泣いていたせいか、頬は少しだけ紅潮していた。


「それよりグランさん、一つ気になったことがあるんですが……」

「なんだぁ?」


 片眉を上げるグランをよそに、メリアはなぜかさらに頬を紅潮させながら、どこか拗ねたような口調でこんなことを訊ねてくる。


「グランさんが私に親切にしてくれているのは、レジスタンスから命令されたから……ですか?」


 縋るような響きすら感じられる問いに対し、グランはいつもどおりの調子で即答する。


「は? んなわけねぇだろ」


 メリアはなぜか安堵の吐息をつくと、もっとも至極な質問を重ねてくる。


「ならどうして、グランさんは私に親切にしてくれるんですか?」


 あらためて訊ねられると、その理由について明確に言語化できないことに気づいたグランは、顎に手を当てて考え込む。


 自分よりも他人を優先してしまう、損な性分をしているメリアのことが放っておけなかったという理由は確かにある。

 そんな少女がギロチンにかけられるというのに、ただ座して見ているなんてできなかったという理由もある。

 その二つの理由により、メリアに入れ込んでいることは自覚している。


 ただ、少し――いや、かなり、自分で思っている以上にメリアに入れ込みすぎている気がする。

 クソみたいな皇帝派の連中が国政を担う、今の帝国をぶっ潰すという目的と、その志を同じくする仲間レジスタンスよりも優先しないようにと気をつけていたはずなのに。

 今はレジスタンスの決定に背いて、メリアを救うことに注力している。


 ここまでくると「ただ放っておけなかった」という答えでは足りない気がする。


(となると……いやいやいや。ないないない。そもそも俺の好みは、もっとこう大人の色香が――……)


 いつの間にやら、メリアが覗き込むようにしてこちらの顔を見つめていることに気づき、思考が途切れる。

 依然として赤いままになっている頬には、楽しげな嬉しげな笑みが浮かんでいた。


「……んだよ?」

「べっつに~。何でもないです~」


 微妙に調子に乗っている物言いを聞いて、考えていたことが顔に出ていたことを悟ったグランは、わざとらしく鼻で笑ってしまう。


「何を勘違いしてんのかは知らねぇが、チンチクリンは俺の趣味じゃねぇぞ」

「だ、誰がチンチクリンですか!?」

「別に、あんたがチンチクリンだとは言ってねぇぞ」


 あくどい笑みを浮かべるグランを前に、メリアの頬が先程までとは別の意味で紅潮していく。


「……もうっ!」


 口では敵わないと思ったのか、拗ねるようにしてそっぽを向いた。


「とまぁ、楽しいお喋りはこれくらいにして、あんま楽しくねぇ真面目な話、初めてもいいか?」

「……先程もそうでしたけど、真面目な話の切り出し方、唐突すぎません?」


 首だけを振り返らせるメリアに、グランはおどけるように肩をすくめる。

 メリアは一つ息をつき、「もういいです」と言いながらも居住まいを正した。


「最初に断っておくが、レジスタンスがあんたのことを救出するといっても二の次だ。あんたが皇帝を仕留めた今、レジスタンスの目標は、皇帝派の中核を担う大臣どもをぶち殺すこと。皇帝が死んでも、こいつらが皇帝のやり方を引き継いでいる限りは、最低最悪なゲルーダ帝国はそのままだからな」

「つまり……私の救出は、あくまでも大臣の方々を打倒するということですか」

「そういうこった。そんでもって、レジスタンスが皇城に攻め込むための隙をつくる役目を、俺とあんたで担うってことになってる。処刑日に、この牢部屋で籠城することでな」


 そしてそれこそが、グランがレジスタンスに提案した、メリアを助けた上で皇帝派の大臣をも潰す策だった。


 この牢部屋は、出入口が一つしかない上に長い一本道になっているせいで、脱走を図る場合は困難を極めることになる。

 だが籠城する場合は、一つしかない出入り口も、無駄に長ったらしい一本道の廊下と階段も大きな利点となる。

 少人数で大人数を相手取るのに、これほど理想的な環境はそうはない。


 一方で、閉所にゆえに、魔法などを使って火攻めや水攻めをされたら一溜まりもないが、皇帝を殺された鬱憤を晴らすためか、大臣どもがメリアを衆人環視のもとギロチンにかけることに拘っているため、唯一最大の有効手は向こうが勝手に使用を控えてくれる。


 ゆえに、籠城という策は決して分は悪くない――と、グランは思っているが、


「む、無茶ですよ! 牢部屋ここで籠城するということは、グランさん一人でどれだけ来るかもわからない敵と戦わなくちゃいけないってことになるんですよ!?」

「んなこた、わぁってる。だが俺一人でも、聖女様の援護があった場合はどうよ?」

「……そういえば、先程グランさんは、私にも頑張ってもらわなきゃとか言いかけてましたね」


 皆まで言わなくても理解してくれたメリアは、少し考え込んでから、慎重な物言いで答える。


「やってやれないことはないと思います。だからこそ、賛同しかねますが」

「そいつぁ、聖女が人命救済を使命にしてるからか?」


 コクリと、メリアは首肯を返す。


「一人で大勢の人間を相手取る以上、グランさんには手心を加えている余裕なんて有りません。聖女わたしが助かるためには、必然的に大勢の血が流れることになります。我が身可愛さに、自分の手を汚すことなく他者の命を奪う……そんなの、聖女としては許されざる行いです」


 聖女ゆえか、それとも当人の気質ゆえか。

 つくづく損な性分をしているメリアに、グランはため息をついた。


「だったら、少し意地悪なこと言っていいか?」

「皇帝をこの手で殺してるくせに、今さらこんなこと言っても……とか、言うつもりですか」


 警戒を露わにする彼女に向かって、「いんや」とかぶりを振る。


「俺は、、あんたをギロチンにかけさせないために戦うつもりでいる。だがまぁ、そうなっちまった場合は籠城なんて上手くいくはずがねぇし、俺も確実に殺されちまうだろうけどな」


 途端、メリアの表情がみるみる情けない案配になっていく。


「本当にイジワルです……グランさん」

「だから言ったじゃねぇか」

「私の意地とグランさんの命を天秤にかけさせることは、『少し』どころのイジワルじゃないと思うんですけど」

「そいつは悪かったな。で、どうなんだ?」

「……しますよ……援護。私のせいでグランさんに死なれるなんて……イヤですし……」


 むくれながらも了承したメリアだったが、すぐにズビシとこちらを指差し、


「それでもっ。無茶であることには変わりありませんからねっ」

「わぁってるわぁってる。だから今夜は、少しでも無茶を減らすために、お互いのやれること、やれないことを確認した上で連携を詰めたいと思ってる。付き合ってくれるか?」

「その言い方もイジワルです。私のためにやってもらうことなのに、付き合わないわけないじゃないですか」


 ますますむくれる、メリア。


 実はまだ、この籠城策がレジスタンスの賛同を得られたわけではないこと。

 よしんば賛同を得られたとしても、皇城の警備が手薄になるほどに兵士を引きつけないかぎりはレジスタンスは動かないこと。

 これらに関しては、初めからメリアには黙っているつもりでいたけれど。

 むくれる彼女を見て、なおさら黙っていた方が良さそうだと思ったグランだった。



 ◇ ◇ ◇



 治癒の奇跡の回復速度。

 祝福の奇跡による身体強化の度合。

 結界の奇跡の範囲。

 それらについて確認した上で、使用タイミングなどといった連携を詰めている内に夜が明け、処刑日前日の朝を迎える。


 牢番を交代する時間の一分前になると、グランはメリアに「また明日な」と言い残し、長ったらしい廊下を抜けて牢部屋の玄関広間エントランスに移動する。


 聖女の牢番に選ばれた人間が、グランのような不良不真面目な者たちばかりだからか、交代時間よりも一〇分遅れて、次の牢番の兵士がやってくる。


「ったく、毎度毎度遅れてきやがって」


 毒づくグランを、交代に来た兵士は鼻で笑う。


「そういうテメェは、時間どおりに交代に来たことがあんのかよ?」

「あるっちゃあるぜ」

「その時点で、オレと同じ穴のむじなじゃねえか」

「まぁ、否定はしねぇよ」


 などと言いながらも、グランは兵士に近づき、小声で言う。


「なぁ、どうせ時間どおりに来る気がねぇなら、?」


 明日の正午――それは、メリアの首にギロチンが落とされる時刻だった。

 そして、その時間に処刑が行なわれるということは、メリアは正午を迎えるよりも早くにこの牢部屋から出されることになる。

 それはつまり、


「明日は来んな……そう言ってんのか? グラン」

「ああ」

「まさかとは思うが、馬鹿なこと考えてんじゃねえだろうな?」

「考えてない考えてない。お別れギリギリまで聖女様の傍にいてぇだけだ」

「テメェまさか……惚れたのか?」

「そんなんだったら、マジで馬鹿なこと考えてただろうな」


 肩をすくめる、グラン。

 真意を推し量ろうとするだけ無駄だと判断したのか、兵士もグランの真似をするように肩をすくめた。


「それじゃあオレは、お言葉に甘えて明日はサボらせてもらうわ」

「おう。そうしろそうしろ」


 そんなやり取りを最後に、兵士は牢番につき、グランは牢部屋を出る。

 長ったらしい階段を上りきり、その入口を見張っている皇帝派の兵士二人に向かって、


「よう。お疲れさん。そんでもって今の今まで牢番やってた俺、もっとお疲れさん」


 いつもどおりにウザ絡みをして、いつもどおりに無視されるのを確認してから、その場を離れていく。


(連中、やっぱ牢番おれたちのこと、割とどうでもいいって思ってるクチだな)


 あるいは、牢番なんていなければ、今すぐ階段を下りて皇帝陛下の仇をこの手でくびり殺してやるのにとか、考えているのかもしれない。

 この調子で明日も、グランが牢番を交代していないことに気づかないくらい無関心でいてくれたら好都合だが……さすがにそれは、希望的観測が過ぎるだろう。

 

 一度、皇城の敷地内にある兵舎に戻り、そこの食堂で腹拵えをしてから皇城内に戻る。

 何かしらの職務に従事しているフリをしながらも適当に時間を潰し、昼を迎えたところで、レジスタンスの決定を聞くために、ケインとの密談に使っている倉庫へ向かった。



 そして――



「やったぞ、グラン。お前の案、幹部たちに承諾されたぞ」


 ケインからの吉報に、グランは思わず拳を握り締める。


「よっしゃ……! これで、色々仕込んでたことは無駄にならずに済みそうだ」

「やっぱり、先走って勝手に動いていたか」

「しゃあねぇだろ。決定を聞いてからじゃ、準備なんて間に合わねぇからな」

「それは、ごもっともだが……本当に勝算はあるのか?」

「なかったら、んな無茶をやろうだなんて思いもしねぇよ」

「それも、ごもっともだな」


 諦めたようにため息をついてから、ケインはグランの胸を軽く叩く。


皇城しろの警備が手薄になったと判断したら、すぐにオレが突入部隊に合図を送ってやる。助けが来るまで精々生き残れよ」

「言われるまでもねぇよ」


 それからグランは首都まちに下りて籠城に必要な物、使えそうな物を見繕い、兵舎の自室に戻ってから、牢番の時間が訪れるまで一眠りすることにした。

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