第2話 この素晴らしき世界

「虚数域の証明および疑似拡張完了。あとクレードルも起動完了」

『ファーストエンジンへのデュプリケイトシステムによるエネルギー置換実施。プロトコル【ヨーギー】による観測を実施。後続処理はクレードルに準管理権限を委託。非常時コールはティニー、トーヤ両名に行うこと』


【承知いたしました。オンコールフローをティニエル、トーヤの順に設定しました】


 あたりに響く女性の声。声を発する人はあたりには存在しない。


【拡張領域における重力再現は正常に成功しました】


 この声の主はこの船、アルファの補助管理インターフェースになっているAIのクレードルだ。

 日常的なモニタリングやエラー報告、機体の維持や方向の微修正など彼女に支えられた部分は多く、彼女が居ないと乗員2名なんて到底無理だ。


「よし、それじゃあリビングに移動するか」

『あー拡張空間があってよかった。私これがなかったら宇宙飛行士やってないかもしれない』


 ティニーは宇宙服を脱ぎ捨て通常服へささっと着替えている、はずだ。

 覗いたらティニーが怒るので、着替え終わったら俺が着替える、というのがティニーと結んだルールの1つ。別に宇宙服の中に何も着てないわけでもあるまいに。


「ほんと。虚数様々だな」


 虚数の証明が行われて約80年。その有効な活用の一つがこの拡張空間だ。

 隣接した虚数空間の証明を行い、証明の主観をスケールすることにより擬似的に空間を広げる。

 虚数空間の拡大に伴ってエントロピーが溜まっていくので、エントロピーをエネルギー化して虚数空間の証明へのループをつなげる、だっけかな。

 正直俺たちは製品を使っているだけのただのユーザーなので原理はあまり詳しくない。


「それじゃさっそくHQに連絡とるか。」

「えー、せっかく宇宙まで来たんだよ?ちょっとくらい宇宙見ても良くない?」


 先程までの通信越しではない、ティニーの生の声がようやく聞こえる。


 本物の宇宙に興奮するのはわかるけど...一応本来は宇宙服脱ぐ前に即座に連絡する手順だ。

 ぶっちゃけ既にルール守っていないわけだが、連絡を後回しにする理由には少し弱いと思う。


「後4年ほど見続けるんだぞ?そのうち見たくなくなるって」

「ま、そうなんだけどさー。いいや、話は聞いてるからやっちゃって」

「じゃ、連絡するぞ。クレードル、HQへの秘匿コードを使用したテレビ通信を実施」

【承知いたしました。コールタイトルはどのようにされますか?】


 簡単な通知でしかないし、地上で俺らの船・シップアルファ担当オペレータのスティーブンは何やってるかわからないしな。


「問題なく第二宇宙速度を突破、でいいや」

【承知いたしました】

「遊びがないねぇ、トーヤは」

「ならティニーならなんてつけるんだ?」

「クレードルにデイジーベルを教えてもいいかどうか、かな」


 着替えが終わったらしく、ティニーはコックピッドに戻ってきた。

 宇宙もひとしきり見た、という感覚でティニーは頭の後ろに手を回しながらゆっくりと歩いてくる。

 デイジーベルで宇宙といえば...


「2001年宇宙の旅か?随分古臭いな」


 確かデイジーベルってのは初めて機械が歌った歌だったはずだ。


「映画通りになったらコフィンの証明切られて死んじまうけどな」


 コフィンは言わばコールドスリープのようなものだ。虚数空間に情報を保存し定義し続けることによって擬似的にコールドスリープを実現させる。コフィンの証明をやめるということはその中の状態の保存がされなくなるということだ。

つまり、中にいるティニーの存在は霧散してしまう。死というよりは無になる、という方が表現が近い。


「ユーモアってやつだよ、日本人にはわかんないかなー。」

【デイジーベルは既にデーターベースに入ってますから必要であれば歌えます。もちろんコフィンの証明のオフも。その場合は改めてリクエストしてください】


 そうクレードルがいうと俺とティニーは面を食らったように黙ってしまう。


「……あー。クレードル、トーヤのコールタイトルでいいや」

【承知いたしました。通信を実行します。】

「一番ユーモアあったのはクレードルだったんじゃないか?」

「まったくだぜ。」


 ほんと、AIも進化しすぎて怖いな……冗談だよな?


『こちらHQ。ライン20558にて通信を確立しました。それでは担当のスティーブンに代わりますね。アウト』


 聞こえてきた女性の声は一言告げるだけで会話もなく通信が途切れた。

 他の奴らの対応もしてるんだろうけど、感動がないなぁ。こっちは無事に出られてすごく安心したってのに。


 10秒ほどの間を開けて男の声が聞こえる。


『こちらスティーブン。そちらは問題なく出れたようだな。こちらではステータスはオールグリーンであることを確認してるけどどうだい?』


 スティーブンは俺達の船専属のオペレーターだ。

 いささか社会性には欠けるが……俺達とは相性がいいから問題なし。むしろ馬が合うってもんだ。


「ああ、こちらとしても無事に出れたのが何よりだ。他のナンバー達はどうだ?」

『No13が機材トラブルで明日改めて出発になった以外は特に問題はない。打ち上げは全て成功してる』


 ナンバー、つまり船につけられた番号だ。俺たちがアルファ、数字で言えば1番。

 しかし、全台成功とは随分と幸先がいい。


 シュミレーションの結果一番問題が発生したのは打ち上げだった。ひどいときは全体で20あるナンバーのうち10台ほど墜落した。かく言う俺たちもシュミレーションでは合計で3度ほど墜落させたことがある。もちろん趣味レーションでは俺ら二人共死亡だ。


「そうか。地球側はどうだ?」

『別にいつも通りさ、敷いて言えばテレビであのハゲが出張ってるってくらいだ。」

「スポンサーに苦情でもいってくれよ。自分は何もやってないのに人生かけてる人間の成果を自分の成果として宣伝してるクソ野郎だって」

『OK、あとでやっとくよ。匿名でね』


 普通なら冗談と取るところだが、スティーブンならやる。間違いなく。そういうところが上司のウケが悪いんだぞ。ま、俺もティニーも多分立場が違ったらやるだろうけれどな。


『ティニーはどうだい?』

「こちらは平和だぜ。これから冬眠のお時間なんだから起きたときの楽しみの一つでもほしいもんだ」

『そいつは難しいな。クレードルに僕のお気に入りの音楽1万曲くらい生存確認を兼ねて送信しとくからあとでそれでも聞いてくれ』

「お、言ってみるもんだね。頼むよクレードル。」

【承知いたしました。発電・蓄電システムは良好ですが、早めの通信をお願いいたします】

『OK、とりあえずこれだろ。Musicタグに音楽データを埋め込んどくからね』

【受信完了しました。受信したKeep-Aliveデータの内のMusicタグ部分を音楽データ区分に保存します】


 って早すぎないか?

 もしかしてシステムにもともとデータ置いてたんじゃ……いや突っ込むのはやめよう。


「それじゃあ早速再生してくれ」

【承知いたしました。】


 ああ、この曲は―――


「随分と古い曲選ぶね。」


『古い?時代を超えた名曲だよ、特に宇宙に関わる者にとっては』


 それを聞きながら俺とティニーはそれを口ずさんでいた。


 ルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」を。



~~~

・クレードル

※オリジナル設定

宇宙船【テトラ】に備えられているAIの通称名のこと。

主に通知、繰り返す簡易タスク、データ分析を行うために設けられており、

乗組員の両名がコフィンに格納された後の解除を実施するのはこのクレードルによるもの。


・プロトコル【ヨーギー】

※オリジナル設定

虚数域にエネルギーを保存したあとの監視手順。

観測及び証明を常時実施する他、虚数域の拡大・収束を防ぐ一連の手順のこと。

ヨーギーとはヒンドゥー教の主神の一人であるシヴァの相の一つであり、ヨガ、瞑想、芸術の守護神のことである。


・2001年宇宙の旅

SF小説・映画の金字塔とも呼ばれる作品。

1968年4月6日に映画が公開され現代でも人気のある作品。

※以下オリジナル設定

宇宙飛行士の中では作中の時代でも変わらず有名な作品。

この作品にも少なからず影響受けて書かれています。作中会話がすこしマニアックになって申し訳ない。

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