文化祭が始まる03

 

 文化祭の開幕と同時に、俺と先生は屋上にイベント用の白い集会テントを設置した。


 いつもなら数人しか来ないフリーハグだが、今日は違う。

 一般公開が始まった瞬間、程よいペースでフリーハグを求める人が来るようになった。

 文化祭の前、ゆのは言っていた。

「校舎前でフリーハグをしても、写真を撮られ、SNSに晒されて笑われる。ただの見せ物になるだけ」だと。

 そうなると、フリーハグは恥ずかしいという集団心理が働いてしまうのは必然。


 だから俺たちは、《校舎前》という絶好のアピール場所を捨てて、いつもの屋上を貸し切ることにした。


 一昨日、先生に頼んだのは屋上の使用許可であり、校長に数学の田村先生(巨乳メガネ)との不倫を暴露する、と言ったらあっさり許してくれたらしい。(証拠の提供は玉木先輩)


「佐野くん、次来ましたよ」


 この短時間でフリーハグの数は既に50を超えたと思う。

 この調子なら当面の目標であった100人は楽に超えるであろう。


「どうも失礼します。私、東新報あずましんぽうの多賀という者で……」


 ……ん? 誰だ?


「あなたが東新報の……私は教師の安西です。多賀さんのことは校長先生から予々」

「そうでしたか。まぁ彼とは旧友なだけで、校長の彼とは違って私はただの新聞記者ですからそんなにかしこまらずに。それより今日は、よろしくお願いします安西先生」


 聞き覚えのない声がする。

 アイマスクを外すとそこには武将髭を蓄えた中年男性が手帳を片手に立っていた。

 新聞社の取材?


「まさか……俺に取材ですか⁈」

「いやいや、キミのためだけに来たわけじゃ無いよ。虹高の文化祭って毎年1万人近くが来るし、話題になるからね」

「あー、そうなんすね」

「でもさ、屋上で面白いことをしてると聞いたからキミのことも書こうと思ってね」


 その男性記者は優しそうな垂れ目と柔らかい表情が特徴的で、近所にいそうなおじさんだった。

 懐から取り出したペンを走らせ、先生が持ってきたパイプ椅子に一礼してから座ると、俺への取材を開始する。活動内容やフリーハグをしてる理由、立案者であるゆののことについて、矢継ぎ早に質問された。


「ふーん、じゃあ実験の一環でやってると」

「は、はい」

「……色々聞かせてくれてありがとう。なかなか興味深い活動だね」

「新聞には載せられそうですか?」

「善処するが……ダメだったらごめんね」


 俺がこんな素っ頓狂なことをしてるなんて世間に知れたら嫌だし、別に構わないのだが。


「安西先生それでは」

「ありがとうございました」


 安西先生は会釈して多賀さんを見送った。

 あの多賀って人、校長の知り合いとか言ってたが、俺のことは校長から聞いたのかな?

 校長もハグした事あるし、俺たちへの援護射撃みたいな感じで、新聞記者の多賀さんに伝えてくれたのかも。


「佐野くんっもうすぐ12時になるのでお昼買って来ますよ?」

「お昼? そーいや、もうそんな時間か」

「何食べたいですか? 私はそろそろビールをこう〜グッと行きたいのですが」

「校長にチクりますよ?」

「えー! こんな炎天下でやってるんだからアルコールが欲しいですぅ!」


 このアル中が。


「佐野くんはこのままフリーハグしててください。私は文化祭のお店で適当に買って来ますので」

「あ、ありがとうございます」


 先生は「いってきまーす」と言って小走りで屋上を後にした。

 多分、立ってるのに飽きたんだなあの人。


 俺は再びアイマスクをして真っ暗闇の中に意識を研ぎ澄ます。


 今日だけで色んな属性の人を抱いた。


 若い女性からおばあちゃんまで、もちろん男性もいた。


 なんでみんなフリーハグをするのだろう。


 なんでみんなこんな活動を真面目に受け止めてくれたのだろう。


 俺にはそれが分からない。でも、その分からないものを知るために、心理学実験は行うものなんだ……と、フリーハグをしながら俺は実感していた。


 しばらくして、屋上のドアが開く音がした。

 コツンコツンと足音が近づいてくる。


「ふ、フリーハグ、よろしいですの?」

「……どうぞ」


 フルーティで爽やかな香水の匂い。ハグをすると余計にその爽快感が俺の鼻を支配した。


「……あなた、わたくしが誰か気づいているのでしょ?」

「そんな絵に描いたようなお嬢様口調はあんたしかいないからな……神宮寺さんよ」


 俺は二枚目になったつもりでイケボ(仮)で言った。


「冷やかしなら帰った帰った。俺たちは勝つために」

「それはもう……どうでもいいんですの」

「は?」


 神宮寺の様子がおかしい。

 急に鼻声に変わり、抱きしめていたら俺の肩が湿ってきた。


「もしかして、泣いてるのか? あんた」


 俺がアイマスクを外そうとすると、神宮寺はそれを阻止してくる。

 プライドの高いお嬢様は、泣き顔を見られたくないってわけか。


「毎回毎回毎回毎回! わたくしは、何をどうやってもあの女に勝てない! わたくしは非行なんて一度もしていない! テストも常にトップ! 先生たちの信頼も厚い! それなのになぜ!」

「……いやいや、俺に聞かれても」


 あの女ってのは玉木先輩のことだよな。

 神宮寺のメンタルは開始数時間で既にボロボロになっているようだった。

 俺の知らないところで戦いは終戦を迎えていたらしい。


「わたくしはあなたみたいな問題児が校舎前で世間の笑い者になるのを楽しみにしていたのに! なぜかそこに居たのは玉木若葉で!  それも1年B組のチラシを配っていて! もう何がなんだか」

「お、落ち着けって」


 神宮寺を抱きながら彼女の背中を撫でた。

 すると、神宮寺は落ち着いたからか、俺から離れる。

 それと同時に俺はアイマスクを外した。


「別に、俺たちは変わったことは一つもしてない。ただ、1年B組と手を組んだだけ」

「手を組んだ?」

「実行委員長のあんたなら分かるだろ? この文化祭で1年生が不利な理由」

「不利というと……4階にあること?」

「その通り。実際にこれまでの虹高文化祭でも1年生の出店は、文化祭のランキングTOP3に入ったことが無い」


 でも、ゆのの作戦によってそれがひっくり返ることになる。


「だいたいみんな3階と2階にある2年生、3年生の出店を見て回ったら帰ってしまう。腹を満たすと4階に上がるのを億劫に感じてしまうからだ。すると必然的に4階への客足は遠退く」

「じゃあつまり、心理学実験同好会は手に入れた校舎前のスペースを1年B組のために⁈」


 俺は小さく頷く。


「話は変わるが……あんたはこのゲームをやったことがあるか?」


 俺は懐から黒光りする中古のゲームカセットを取り出した。

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