第218話 時既に遅し

「どう、して……?」


 茉莉が呆然とした表情で立ち竦む。

 もう悠斗は茉莉と何の関係もないので、声を掛ける理由もない。

 しかし迷子の子供のような姿に、僅かに憐憫れんびんを抱いた。


「……」


 無言で美羽を見れば、悠斗が何をするのか分かったようで、仕方ないなあという風に苦笑する。

 悠斗に呆れて先に家に入るかと思ったのだが、どうやら傍に居てくれるらしい。

 内心では茉莉に愛想を尽かせているにも関わらず、悠斗の為に傍に居てくれる恋人へ、笑顔のみで感謝を示した。

 そして、改めて茉莉と向き合う。


「なあ篠崎。誰かに可愛く見られるなら、他人を蹴落としていいのか?」

「……いきなり何よ」


 茉莉の本質に少しだけ踏み込めば、露骨に嫌そうな顔をされた。

 元彼氏にあっさり振られた直後に傷を抉られたのだから、触れて欲しくない気持ちは理解出来る。

 それに、これは余計なお節介だ。少しも悠斗の為にはならない。

 それでも、どこかで道を踏み外した元幼馴染へ、必死に声を届ける。


「それが正当化されるって、本当に思ってるのか?」

「あんたには関係ないでしょ!」

「あるさ。昔遊んだ友達が、いつの間にか平気で他人を蹴落とすような人になってたんだ。それを咎めるのはおかしな事か?」


 金切り声を上げられたが気にしない。

 淡々と告げれば、茉莉の顔が更に不快そうな顔になる。


「おかしいに決まってるでしょ! 人の事情に踏み込むなんて最低よ!」

「そうか……」


 どうやら、悠斗の言葉は少しも茉莉に響いていないらしい。

 出来る限り頑張ろうと思ったのだが、たった一言二言話しただけで、あっさりと心が折れてしまった。

 結局無駄骨だったのかと、茉莉に背を向ける。


「小さい頃、俺や『茉莉』の家で遊ぶのが楽しかった。お前はどうだったか知らないけどな。……もう、あの頃の『茉莉』は居ないんだな」

「はぁ? 何を言って――」

「そうやって自分より下と判断した人の言葉に耳を貸さず、自分の思い通りにならなければ、あっさりと他人を見捨てる。他人の気持ちなんてどうでもいい。俺の知ってる『茉莉』は、そんな人じゃなかったよ」

「いつの頃の話をしてるんだか。もしかして、あんたは子供の頃の私が良かったの? 気持ち悪い」

「……だよな」


 もう目の前に居る人は、悠斗の知る「篠崎茉莉」ではない。

 何度も何度も思い知らされているはずなのに、口にすると胸が締め付けられるように痛んだ。

 余計な事を言ってしまったと後悔しつつ、家に戻ろうとする。

 しかし、隣の美羽は未だに茉莉を見ていた。


「あなたはどこまで行っても自分しか見てないよね。……寂しい人」


 憐れみの込められた声が、夕方の空気に響き渡る。


「自分が可愛くなるなら何だってする。可愛く在れば、女子にちやほやされて、男子が勝手に寄って来るから。そして、あなたは当然のように皆の上に立つ」

「当然でしょ。私には、その権利があるんだから」


 どうやら美羽とは話をする気のようで、茉莉が何の迷いもなく頷いた。

 元幼馴染より、自分と同じくらい見目麗しい人の方が、会話するのに相応しいようだ。

 茉莉の態度に、美羽が冷笑を浮かべる。


「そうやってふんぞり返った結果がそれ? 女子はあなたの性格の悪さに嫌気が差し、男子は自分勝手に振る舞うあなたが嫌で離れて行ったんでしょ?」

「それは、あいつらが何にも分かってないからで――」

「『自分はあいつらと違う』、『可愛いなら何だってしてもいい』。そうだね。あなたは誰とも違う」


 美羽が一度言葉を切り、瞼(まぶた)を閉じて大きく息を吸い込む。

 再び見えたはしばみ色の瞳には、侮蔑ぶべつの感情がありありと浮かんでいた。

 

「だって、あなたは最低最悪の人間だもの。誰も見向きもしないに決まってるでしょ」

「分かった様な事を言わないでくれる?」

「へぇ……。自分の現状も把握出来ない人が、良く吠えるねぇ」


 美羽の口から、これまで一度も聞いた事のない罵倒が発せられた。

 嘲(あざけ)るように唇の端を吊り上げ、茉莉を眺める。

 今まで一度も見た事のない姿に、見られていない悠斗がたじろいでしまう。


「外見だけを取り繕っても、何も意味なんか無いのに」

「あんただって、その見た目で得をしてきたくせに! 自分だけ良い子ぶって馬鹿みたい!」


 美羽の態度がしゃくに障ったようで、茉莉が声を荒げた。

 茉莉からすれば、自らと同じくらい容姿の整った美少女が、容姿の重要さを否定するのは許せないのだろう。

 しかし悠斗は、美羽がその容姿でどれほど苦労してきたかを知っている。

 文句を言いたくはあるが、それは隣の恋人がすべき事だ。


「まあ、それなりに得はしたよ。それは否定しない。でも、それ以上に苦労の方が大きかった」


 先程までの態度を消し、美羽が沈痛な面持ちになる。


「色んな人が私に寄って来たし、告白も沢山受けた。良い子ぶりもしたよ。そうして私の近くに人が集まっても、少しも満たされなかったけどね」

「それはあんたがそう思っただけでしょ。私は違う!」

「だったら、せめて他人を見てあげないと。あなたを慕っていた人の気持ちを考えないと。自分だけが嬉しくても、いつか人は離れて行くよ。今のあなたのようにね」


 悠斗は茉莉以外知らないが、人の上に立つ事に喜びを見出す人は居るだろう。

 だが、その事ばかり気に掛け、自分を慕ってくれる人をおざなりにすれば、茉莉のような立場になって当たり前だ。

 美羽の忠告に、茉莉は訳が分からないという風に髪を振り乱す。


「考えてるわよ! 皆私と一緒に居るのが嬉しいんでしょ!? なのに、どうして離れて行くのよ!」

「あなたは慕ってくれる人に何かしたの?」

「する訳ないじゃない! だって、これまではそれで良かったんだもの!」


 その考えこそが間違っているのだと、美羽は溜息をつきつつ、ゆっくりと首を振った。


「なら、これからはそれが通用しないって事でしょ? それとも、誰もが離れて行っている状況で、そんな事すら理解出来ないの?」

「それは、私を理解しないあいつらが悪いのよ!」

「本当に? 散々皆に悪口を言われてるのに? それとも、見下してる人の悪口なんて興味ない?」

「当たり前――」

「見下してる人に気に入られようと、必死に可愛く在り続ける。見下してる人達からちやほやされるのが嬉しい。そのくせ意見は聞き入れない。それって矛盾してない?」

「う……」


 キツい言い方ではあるが、はっきりと言われた事で、美羽との会話で初めて茉莉がたじろいだ。

 しかしそれ以上聞きたくないという風に、首を何度も横に振る。


「うるさい! そんな事私が知る訳ないじゃない! あいつらが私に気を遣えばいいだけでしょ!」

「はぁ……。ここまで言われても聞き入れないのかぁ……。本当はこんな事したくなかったけど、仕方ない」


 大きく溜息をついた美羽が、一瞬だけ悠斗へ視線を移した。

 はしばみ色の瞳には大きな決意と、確かな不安が宿っているように見える。

 その感情を問いただすよりも早く、美羽が人を見下すような歪な笑みを作って茉莉を眺めた。


「ホント、男子って愛想良くして『あれが欲しいなぁ』っておねだりすれば、すぐ買ってくれるよねぇ」

「……美羽?」


 普段の美羽の過ごし方からすれば、その言葉は絶対に有り得ない。

 あまりにも食い違った発言に悠斗が戸惑っている間にも、美羽は言葉を紡ぎ続ける。


「女子も私に媚を売って、私の意見にすぐ従う。まあ当然だよね。私の方が可愛いもん」

「……」


 茉莉も美羽の変わりように驚いていたが、その顔色が少しずつ美羽への嫌悪へと変わっていく。


「でも、偶に私の言う事に従わなかったり、聞かない人が居るんだよねぇ。私より可愛くないくせに、男のくせに、何様のつもりなんだろ。……まあ、このくらいでいいかな」

 

 誰かが行っているような、他人を物扱いする態度をたっぷりと取った美羽が、急に無表情になって茉莉を見つめた。


「さて篠崎さん。さっきの私の態度を見て、何を思った?」

「……」

「性格が悪い女だって思わなかった? でも、私はあなたが言った言葉を再現しただけだよ?」

「わ、私は……」


 嘲るような笑みの美羽に問い詰められ、茉莉が言葉を喉に詰まらせる。

 普段の茉莉の姿を容姿が整っている人に真似される事など、茉莉にとって初めての経験なのだろう。

 もしくは、そういう人を自分の周囲から排斥していたのかもしれない。

 本当のところは分からないが、似た立場であった美羽によって、自らの行いがどれほど酷いのかを思い知ったようだ。

 顔色を悪くしていく茉莉へ、美羽が呆れと怒りを混ぜた視線を向ける。


「違う、とは言わせないよ。だって、あなたは心からそれが正しいと思って行動してたでしょ?」

「……」

「誰だってそんな女と関わるのは嫌だと、近寄りたくないと思うのが普通だよね。少なくとも、私は絶対に近寄らない。だって女子は馬鹿にされ続け、男子は都合の良いモノ扱いされるんだもの」

「だ、だって……」


 美羽の言葉が鋭い刃となって、茉莉に突き刺さる。

 茉莉の顔は、真っ青を通り越して土気色だ。


「私は悪くない。私を受け入れないあいつらが悪い。可愛いなら何だってしてもいい。……はっきり言おうか。そんな考えだから、あなたは一人になったんだよ」


 悠斗や直哉、桜が諦めて告げなかった言葉を、美羽が真正面から茉莉に叩きつけた。

 まだまだ美羽の怒りは収まらないのか、小さな唇からは非難の言葉が止まらない。


「容姿が気に入らないからって幼馴染を見下し、一緒に居てくれた彼氏に何も返さず、あまつさえ悪い噂を流して捨てる。あなたは自分から素晴らしい人達を切り離したの」

「ち、違う! そんなつもりじゃ――」

「今更何を言った所で、あなたが捨てたものは戻せない。幼馴染も、彼氏も、友人も。それだけの事を、あなたは行ったんだから」

「あ、ああ――」


 茉莉が頭を抱え、艶やかな黒髪を掻き毟った。

 いつ見たかも思い出せない雫が、茉莉の頬を落ちる。


「じゃあ、どうすればいいの? また私があいつらの上に立つには、どうしたらいいの?」


 既にその答えは美羽が伝えているはずなのに、気が動転した茉莉には考えが及ばないようだ。

 あるいは、どうでも良い事だと割り切り、茉莉の耳を通り過ぎていたのかもしれない。

 今まで散々文句をぶつけていた美羽に助けを求める姿に、呆れ果てて肩を落とす。

 美羽も同じ気持ちのようで、やれやれと言わんばかりに嘆息した。


「その考えをし続ける限り、あなたは一生その立場だよ。例え場所を変え、付き合う人を変えたとしても、いつかはその場所に墜ちる」

「そ、そんなの嫌よ! 私には、これしかないんだから!」


 必死の表情で容姿に縋る姿に、昔好きだった人の哀れな姿に、どうしようもなく悲しくなった。

 しかし、悠斗が手を貸すタイミングはとうの昔に過ぎている。

 言いたい事を言い終えたのか、美羽がくるりと茉莉に背を向けた。


「だったら、自分で何とかしたら? まあ、別にあなたがどうなろうと、私の知った事じゃないの。でも、私や私の友達、そして悠くんをあなたの破滅に巻き込むのは止めてね。私が気にしてるのはそれだけだから」

「ま、待っ――」

「戻ろう、悠くん。長話で桜や平原くんを待たせてるし、心配しちゃう」

「そうだな」


 普段の柔和な表情になった美羽が先に家に入り、悠斗を手招きする。

 どうせ悠斗など眼中にないだろうと、声を掛ける事なく悠斗も茉莉に背を向けた。


「あ、芦原――ううん、悠斗!」


 懐かしい名前呼びに、悠斗の足が止まる。

 美羽が心配そうに悠斗を見つめたが、柔らかく笑んで首を振った。


「私が悪かった! だから、もう一度――」

「何を言ってるんだ? 俺はお前のような女なんて知らないし、そもそも俺なんかどうでもいいんだろ? じゃあな」

「ごめ――」


 バタリと玄関の扉が閉まる。

 扉越しに何かを言っているようだが、良く聞こえない。

 隣に住んでいる元幼馴染との縁は、ぶつりと途切れたのだった。 

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