第189話 お返しと決意

「……何か、滅茶苦茶視線を感じるんだが」

「確かに。悠斗、心当たりはあるかい?」


 美羽の首に痕を付けた次の日。一限目の休み時間から、悠斗は凄まじく生暖かい視線を、美羽の周囲のクラスメイトから向けられている。

 流石に疑問を覚えたのか、蓮が首を傾げ、哲也が尋ねてきた。


(多分、さっき話したんだろうな……)


 黄色い悲鳴が上がらなかっただけ良かったのかもしれないが、それでも溜息を零す。

 先程、美羽は満面の笑みで悠斗が付けた痕に触れていた。

 間違いなく、その時に彼女達へ説明したはずだ。

 出来る事なら知らないフリをしていたかったが、そういう訳にもいかないだろう。

 この様子だと、悠斗が誤魔化した所で美羽が二人に説明するのが予想出来た。


「……笑うなよ?」

「おう。任せておけ」

「俺もだよ。というか、ちゃんと心当たりがあるんだね」

「そうじゃなきゃ、美羽があっちに居るのにあんな目で俺を見ないだろ。まあ、それはいいんだ。実はな――」


 自らの過ちを暴露するのは恥ずかしいが、この二人ならギリギリ耐えられる。

 そうして事情を説明したのだが――


「ははは! 何やってんだお前!」

「……大胆だねぇ」


 約束したにも関わらず蓮に大爆笑され、哲也には思いきり呆れられた。

 哲也は良いとしても、約束を破ったおしおきとして、蓮の脇腹に突きを入れる。

 手を挙げる事がいけないと分かっているが、容赦はしない。


「おう゛っ!?」

「思いきり笑いやがって、こいつめ」


 悠斗が突き刺した場所が痛いようで、蓮が背中を縮こまらせて脇腹を抑えた。

 しかし、蓮はそれでも悠斗をからかいたいようだ。

 頬を引き攣らせつつも、意地悪な笑みを浮かべている。


「そりゃあ笑うっての。触れ合いを増やすってアドバイスした次の日には、痕を付けてるんだからな」

「いや、むしろそれくらいじゃないと、悠斗達にとってはいつも通りなんだろうね」


 哲也の指摘に蓮が目を見開き、得心がいったという風に深く頷いた。


「…………つまり、俺の見通しが甘かったって事だな?」

「その通り。悠斗達はバカップルなんだから、それくらい予想しておかないとね」

「なるほど、俺が悪かった」

「好き勝手言いやがって……」


 悠斗の目の前にも関わらず、遠慮なく悠斗達をけなす蓮と哲也に、低い声で抗議する。

 しかし、二人はどこ吹く風と言わんばかりにじっとりとした目を返してきた。


「いや、言いたくもなるだろ。東雲の顔を見てみろ。恥ずかしさなんてなくて、すっげぇ嬉しそうじゃねえか」

「あれを見てバカップルじゃないって否定出来るかい?」

「……すみませんでした」


 普通であれば痕など恥ずかしがると思うのだが、昨日の時点で美羽は心から喜んでいた。

 それだけでなく、今も幸せそうに頬を淡く染めて微笑んでいるのだ。

 何も言い返せず深く謝罪をすれば、二人が重い溜息つく。


「まあ、それはいいとして。やったのはあれだけなのか?」

「当然だ。昨日の今日で手を出せる訳がないだろ」

「誠実なのは素晴らしい事なんだけど、あれ以上手を出してないって凄いな……」

「根性だ根性」


 いきなり段階を飛ばす訳にはいかないので、昨日はこれでも必死に理性を抑えていた。

 その結果があの痕な辺り、そろそろ悠斗の理性も限界なのかもしれない。

 それでも強がって何でもない風を装うと、蓮と哲也の顔が分かりやすく辟易したように肩を落とす。


「いや、もう、さっさと手を出せよ。絶対いけるだろうが」

「俺もそう思う。そもそも、東雲さんはもう準備出来てると思うんだよね」

「……そうだったら嬉しいけどな」


 二人に背中を押されたから、というだけではないが、もっと接触を深めてもいいかもしれない。

 凄まじく恥ずかしかったが、少なくとも間違ってはいなかったと分かって微笑を浮かべる。

 改めて美羽に視線を向ければ、ちょうど美羽が目を見開いて悠斗へと顔を向けた。

 驚きに染まっていた顔が、少しずつ甘さを滲ませた笑顔へと変わっていく。


「何か思いついたみたいだぞ。頑張れよ、悠」

「みたいだな。……後でどうなるかなぁ」


 決して嫌な事はしないはずだが、代わりに悠斗の理性が試される事になるはずだ。

 溜息を落とす悠斗を、呆れた目で蓮と哲也が眺めるのだった。





「……それで、何を言われたんだ?」


 一限目の休み時間に微笑まれた理由は、昼になっても教えてくれなかった。

 それどころか、夜飯を摂り終えるまではぐらかされ、今は美羽のお願いで悠斗の部屋に居る。

 ベッドの上の恋人に問い掛ければ、美羽がくすっと肩を震わせて、両目を細めて穏やかな笑みを浮かべた。


「そんなに警戒しないで? 変な事じゃないよ」

「信用できねぇ……」

「もう、酷いなぁ……。取り敢えず、おいで、悠くん」

「…………分かったよ」


 柔らかく笑う美羽に傍へ来るように促され、おそるおそるベッドへと向かう。

 美羽の前に座ると、小柄な体が悠斗の腕の中に滑り込んできた。

 至近距離の澄んだ瞳は、吸い込まれそうな程に綺麗で、聞くべき事も忘れて見惚れてしまう。


「まずは、悠くんの質問に答えようかな。皆にはねぇ、『お返しをしなくて良かったの?』って言われたの」

「お返し?」

「そう。悠くんはこれをくれたのに、私があげないのは不公平だよね。……浮かれすぎて、言われるまで全然気付かなかったよ」

「ああ、そういう事か」


 どうやら、痕を付けられたなら悠斗にも付けるべきだと助言されたらしい。

 美羽が更に距離を詰め、互いの吐息すら肌に掛かるようになった。


「ね、いいでしょ? それとも、嫌?」


 期待と少しの不安に潤んだはしばみ色の瞳に見つめられ、どくりと心臓が跳ねる。


「嫌な訳ないだろ。それに、もう皆に茶化されたからな。好きなだけどうぞ」


 恋人が痕を付けてくれるのだ。嫌な気持ちなど少しもなく、悠斗の胸にあるのは歓喜だけだ。

 また、朝に蓮と哲也にからかわれただけでなく、昼には紬にも呆れ交じりにからかわれたので、今更隠す必要もない。

 肩の力を抜いて笑みを向ければ、美羽が愛らしい瞳を輝かせて幸せそうに目を細めた。


「ありがとぉ、悠くん。それじゃあ、えいっ」

「おっと」


 美羽に思いきり寄り掛かられ、ベッドに体を預ける。

 すぐに美羽が悠斗の上に覆い被さり、悠斗の体に手を添えた。

 悠斗を見下ろす美しい顔は、これからの事を想像してか、楽しそうに笑んでいる。


「それじゃあ、いくよー」


 美羽がほんのりと顔を赤らめ、悠斗の首筋へと顔を寄せる。

 すぐに柔らかい唇が肌に触れ、強く吸い付いてきた。


「……っ」


 痕を付けられるのは初めてなので、吸われる痛みに体が反応してしまう。

 まるで恋人に襲われているような状況に、少しずつ体の中心に血が集まってきた。

 少しでも美羽に触れたくて、淡い栗色の髪をゆっくり撫でると、美羽が嬉しそうに喉を鳴らす。


「んぅ……」


 美羽の顔は見えないが、嬉しそうに目を細めている姿が想像出来た。

 そのまま撫で続けていると、美羽がゆっくりと顔を離す。

 暫くぶりに見た気がする美羽の瞳には、何か熱いものが秘められている気がした。


「あはっ。出来たぁ……」

「これでお相子だな。まあ、なんだ、ありがと――」

「やーだ。まだ、するの」


 礼を受け取る時間すら惜しいかの如く、美羽が再び悠斗の首筋へと顔を埋める。

 二個目は聞いていないが、ここまで来ると痕の一つや二つ、何も変わらない。

 嬉しさを胸に抱きつつ、無抵抗で受け入れた。


(……いや、何かおかしくないか?)


 美羽にされるがままになっているが、唇の触れる回数が明らかに多い。

 そして、首に掛かる美羽の鼻息が荒くなっていた。


「ん、ふ……。ちゅ……。ゆう、く……」


 すりすりと体を擦り付けられ、一心不乱に悠斗の首に美羽が痕を付け続ける。

 このままだと、悠斗の首筋は凄い事になるはずだ。

 それはもう諦めたので、一向に構わない。

 しかし、明らかに興奮している様子の美羽に、心臓が駆けているくらいに速く鼓動する。


(……もう、限界だ。出来る限り早めに何とかしよう)


 こんなにも求められて我慢が出来る人が居るなら、それは聖人だろう。少なくとも、悠斗には無理だ。

 とはいえ、この場では手を出さない。

 美羽にも準備が必要だし、ムードというものがあるのだから。

 ただ、少しずつ進めて行くという思考は、この瞬間に投げ捨てた。

 頭を切り替えると、満足したのかちょうど美羽が顔を上げる。


「わぁ。いっぱいついたねぇ……」

「……ホント、覚悟しろよ?」


 熱っぽい目で見下ろされ、悠斗の中の欲望がこれでもかという程かき乱された。

 美羽にすら聞こえない程に小さく呟きつつ、どうするべきかと考えを巡らせるのだった。

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