第188話 取り返しのつかない事

 蓮や哲也に相談した日の夜。今日も今日とて美羽は悠斗の膝の上だ。

 今日は涼しいので冷房は要らないものの、少し肌寒いので美羽の体温が有難い。

 ゲームのコントローラーを置き、美羽を少し強く抱き締める。

 偶に同じ事をしているからか、美羽はどこ吹く風で本を読んでいた。


(少しずつ触れるのを増やすか……。どうしようかなぁ)


 抱き締めるのは当たり前。キスも毎日している。そうなると、次は肌に触れる事くらいだろうか。

 ただ、美羽はくすぐったがりなので、不用意に触れて邪魔したくない。

 結果として、いつも通りに美羽の髪に顔を埋めるだけになっている。

 ままならないものだと小さく溜息をつけば、違和感を覚えたのか美羽が顔を上げた。


「今日は何か変じゃない? どうしたの?」

「いや、その、なんというか……」

「うん?」


 きょとんと無垢な顔で小首を傾げる仕草が、凄まじく可愛らしい。

 もっと触れたいという欲望が沸き上がり、おずおずと口を開く。


「もうちょっと、触れていいか?」


 何を、どこに、などと一切言わない抽象的な発言に、悠斗自身が呆れる。

 しかし、自己嫌悪に襲われる悠斗とは反対に、美羽は柔らかく破顔して頷いた。


「もちろん。どんどん触っていいからね」


 美羽が本を閉じ、悠斗へと凭れ掛かる。

 全幅の信頼が寄せられた行動に、どくりと心臓が鼓動した。


「それじゃあ、いくぞ?」


 まずはうなじに顔を寄せ、美羽の匂いを胸一杯に吸い込む。

 最近の美羽はある程度寛容になっており、風呂上がりでなくとも、こういう行動を許してくれる。

 それでも恥ずかしさはあるのか、もぞりと美羽が体を揺らした。


「ん……」

「嫌か?」

「……ううん。恥ずかしいだけ。本当に嫌なら、ちゃんと言うよ」

「ありがとな」


 羞恥が混じった声に感謝を返し、次は真っ白なうなじに唇を這わせる。

 単に触れただけだったが、柔らかな肌はどことなく甘い気がした。

 流石に予想外だったのか、美羽の体がびくりと跳ねる。


「ひうっ!?」

「わ、悪い。流石に駄目だったか?」

「だ、大丈夫。遠慮しないでね」

「……おう」


 どうやら許してくれるようだが、美羽の頬は火が出そうな程に真っ赤だ。

 やり過ぎないようにと自らに言い聞かせながら、首筋に口づけを落とす。


「んぅ……。ぁ……」


 美羽がぴくぴくを体を震わせるが、それでも「嫌だ」という事はない。

 妙に艶めかしい声が耳朶じだをくすぐり、思考がゆだってきた。

 欲望に促されるままに、美羽のうなじに強く吸い付く。


「ふあっ!?」


 美羽が驚いて変な声を上げたが、靄がかった悠斗の思考は気にも留めなかった。

 そのまま強く吸い付き続け、ある程度時間が経ってから顔を離す。

 雪のような首筋には、赤い点が出来ていた。

 悠斗のものだと証明したようで、興奮に心臓が拍動のペースを早める。


「な、何をしたの?」

「……へっ!? あ、あぁ、悪い!」


 潤んだ瞳に見つめられ、ようやく思考が冷えた。

 許可も取らずに痕を付けてしまった事を謝罪すれば、美羽が両目をぱちくりさせながら大きく首を傾げる。


「えっと、何か悪い事をしたの?」

「悪い事というか、何というか……」

「う、うん?」

「……ああもう、こういう事だ」


 自らの過ちを見せつけるのはこの上なく恥ずかしいが、このまま放っておく訳にもいかない。

 何も考えずに付けてしまったせいで、痕がバッチリと見えてしまっているのだから。

 頬が熱いのを自覚しつつ、スマホのカメラを起動させて美羽の首元を映す。

 悠斗が何をしたか理解出来たようで、美羽が耳すらも真っ赤に染めた。


「これって、悠くんに付けられたんだよね?」

「まあ、そうだな」

「え、えへへ……。悠くんのものになっちゃった……」


 悠斗の心配をよそに、美羽が照れたように恥じらいで満たされた顔ではにかむ。

 嫌がる素振りすら見えないのは嬉しいが、喜んでばかりはいられない。


「……ホントにごめん」

「何で謝るの? 付けたかったら付けていいんだよ?」

「それは嬉しいけど、その位置は他の人にも見えるぞ」

「それの何が問題なの?」


 悠斗が何を気にしているか分からない、と言いたげに美羽が首を傾げた。

 聡明な美羽ならば、学校で話題になるのが分かるはずだ。

 これから口に出す言葉で更に羞恥が炙られる覚悟を決め、真っ直ぐに美羽を見つめる。


「俺に手を出されたって周囲に証明してるようなものなんだぞ?」

「事実なんだし、別にいいでしょ?」

「……もしかして、隠さないつもりか?」


 手を出すという意味合いは少し違うが、首筋に吸い付いたのは間違いない。

 そしてこの様子だと、美羽は絆創膏ばんそうこう等で隠す事なく周囲に見せつけそうだ。

 悠斗の不安は的中し、美羽が満面の笑みで頷く。


「そんなの当たり前だよ! 隠すなんて勿体ない事、絶対にしないからね!」

「……」


 例え悠斗のお願いであろうとも、譲らないという意思表示に絶句した。

 美羽からすれば単なるご褒美なのだろう。この痕は悠斗に触れられたという証明なのだから。

 しかし、こんなものを誰かに見られれば、茶化されるに決まっている。

 悠斗の起こした騒動ではあるが、ここで折れる訳にはいかない。

 美羽の脇に手を入れ、悠斗の膝の上から退かす。

 突然放り出したからか、美羽が疑問符を頭に浮かべた。


「急にどうしたの?」

「絆創膏を取ってくる」

「っ!」


 短い言葉だけで察したらしく、美羽が痕のついた首筋を抑えて悠斗から距離を取る。

 ベッドの端に陣取り、淡い栗色の髪が乱れる程に首を激しく振った。


「やだ!」

「美羽」

「やー!」

「駄目だ。見られたら思いきりからかわれるだろうが」

「それでいいもん! これは私のものなの! 私がどう扱おうと自由でしょ!」

「……ええい。こうなったら実力行使だ」


 このままではらちが明かないと、絆創膏を取ってきて美羽に近付く。

 しかし、美羽は気丈に悠斗を睨みつけた。


「ふんだ! やれるものならどうぞ! 絆創膏なんて剝いじゃうんだから!」

「………………もしかして、詰んだか?」


 よくよく考えれば、悠斗がどれだけ努力しようと、美羽が抵抗する以上どうしようもない。

 言いくるめようとしても、この様子だと言葉を尽くしても無駄だろう。

 悠斗の顔が引き攣るのとは反対に、美羽がニヤリと黒い笑みを浮かべた。


「その通りだよ! 悠くんに何を言われようと、私は折れないからね!」

「終わった……」


 悠斗がいた種なので自業自得ではあるし、これほどまでに気に入ってくれたのは嬉しい。

 しかし、少しずつ接触を増やそうとした結果が、こんな事になるとは思わなかった。

 がっくりと項垂れる悠斗をよそに、美羽の顔が甘く蕩ける。


「悠くんのものになった証明がここにあるんだぁ……。最高だよぉ……」

「もうどうにでもなれ……」


 流石に自慢して回る事はないと思うが、そうなった場合、悠斗は間違いなく嫉妬と生温い視線に晒される。

 そうでなくとも、蓮達にからかわれるのは確定した。

 悠斗の力では何も変えられないので、現実逃避の為にゲームを再開する。

 悠斗が抵抗しなくなったからか、美羽がご機嫌な笑みを浮かべつつ近付いてきた。


「ね、ね。もう一回してくれると嬉しいなー」

「やだ」

「なんでぇー!?」

「何でも何も、そりゃあそうなるだろ」


 痕を隠さずに学校へ行くと宣言され、二個目を付ける度胸などない。

 呆れきった顔で告げると、美羽が頬を膨らませた。


「うぅ……。いいもん、今日はこれを大事にするんだもん」


 不機嫌になった美羽が、ベッドの端へ戻っていく。

 その日は珍しく、美羽を家に送り届けた際の日課が行われなかった。

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